育児ノイローゼ|他人と比べられて育った子供:心を押しつぶす親

育児ノイローゼの母親を喜ばせるようとする子供

わがままざかりの幼稚園児が、自分の母親に媚びるんです。
母親の顔色を見て、空気を読むのです。こんなに小さい子供が生きる術を会得し、なにをすれば母親が機嫌よくしてくれるかを理解しているんです。  
 
目を覚ますと真っ先には母親の様子を観察します。
眉間に皺を寄せて難しい表情でいるのか、軽快なテンポの鼻歌交じりであちこち動いているか、、、。

子供は母親の様子を見て『口数少なく手のかからない良い子』でいるべきか、胸に飛び込んで甘えてもいいのかを判断するんです。欲しいおもちゃや、食べたいお菓子や、見たいテレビを思い浮かべていいのは、その後なんです。
母親が今、何を好むかが第一優先で、黙っているべきか、無邪気におやつをねだるべきか、誕生日プレゼントを要求すべきかを選択するんです。

情緒が不安定な親は子供に負の影響を与えます。

育児ノイローゼでふさぎこんだり、酒の力で軽躁状態になったり、言動の一貫性の無さが子供に余計な気を遣わせ、心配な気落ちに突き落とすんんです。我が家という元来安心して暮らせる場所のはずが、今にもヒビが入りって割れそうな薄い氷みたいな不安定な場所と化しているんです。
これが子供の心を押しつぶす親なんです。

 

他人と比べられて育った子供  

子育てをしながら我が子の成長をよその子供と比べようとする心理はわからなくもないですね。勝っているとか 劣っているとかで一喜一憂してしまうんですね。
でも、それが過敏すぎるとメンタルに悪影響を及ぼします。

神経質すぎる親は我が子がちょっとでも劣っていると思っただけで気掛かりで仕方なくなるんです。
発育不全ではないか、生まれつきどこか内因的に悪い部分があるのではないか、遺伝性の病気なのか、、、。

すると強迫心理のように寝ても覚めてもよその子供と比べずにはいられなくなってくるんです。心配したり安心したり、喜んだり悲しんだりでどんどん疲労が蓄積していくんです。
 この穏やかとかけ離れたピリピリとした親の様子を子供は読み取ってゆくんです。

我が子を思うが故の一喜一憂のはずが、幼子の心をかき混ぜて、神経を逆なでし、健全な成長を妨げてしまうんです。

自分のただならぬ態度が子供をマインドコントロールしてしましまっているのに親は気づけていないんです。子供の心を押しつぶし、自滅へと誘導しているのです。
   

幼稚園児をコントロールする親   

 

幼稚園に通い始めると、子供にとって生きる世界がいっきに広がります。普通の親(メンタル的に健康な親)でも、よその子供を意識しだすものです。
比べてみてどのあたりのポジションにいるのかを知りたいと気持ちが動くのです。家の近くの公園で普通に立ち話をしていたママ友との関係がライバルのように感じられてくるんです。

そんな中で、なににつけても我が子が一番でなければ心穏やかで居られない親が現われてきます。あれこれ見比べて、少しでも劣っているように感じると四六時中、気になってしかたがない。

我が子の良いところを見つけて伸していこうという心の余裕がないのです。

『伸び伸びと健康で元気に育ってくれればいい』などとは程遠い監視モニターの中に押し込まれているんです。それがだんだんと、大人に媚びるませた子役のような気持ちの悪い生き物へと育て上げてしまうわけです。

 自分の子供は可愛いですから 心配なのはわからなくはありません。
でも、それが強すぎて子供を支配してしまっている事に気付かない親なのです。

 絵が下手、運動が苦手、忘れ物が多い、集中力が散漫、等々。こんなふうに他人と比べられて育っていく子供が増えてます。    
それでも、たいていの親子は暫くすると一定の立ち位置に落ち着きます。
音楽の才能はないな、とか、運動が苦手なのは父親譲りなんだとか、、、。
納得して穏やかな気持ちになっていくものなんです。  

でも、それが許せない親が子供の心を押しつぶすのです。
自分の心配ごとを幼稚園児に露骨にぶつけ、小さな心を混乱させるんです。

   
 「なんで、あなたは色使いができないのよ。ほら、外の景色をよく観てみなさい。空は青いでしょ、草は緑色、太陽は赤い、人間の髪の毛は黒、、、、。一色で描くなんてどうかしているわよ」と我が子にキツイ言葉でつめよっていく。
  
  はじめのうちは、子供は自分が友達と比較されているとは思いません。  
母親が良くない部分を指導してくれている、それでも上手くできないから叱られてしまうんだ、と思うわけです。
  
幼稚園児だったら、クレヨン画の色使いなど感覚的にしか意識していませんから、細かく説明したって理解できるわけはありません。
運動神経だって、子供それぞれみんな違うのは天性のものですね。
   
親がやきもきして、どうこうなる問題じゃないのです。
  
でも、子供は徐々に苛立つ親の顔色に恐れを抱くようになっていきます。
そんなに怒らなくたっていいじゃないか、と内心思っても反抗できないんです。ただ怖いだけです。大人の世界でいうパワハラです。

子供は逃げ場を失い、ただただ不安に取り囲まれます。どうすれば怒られずに済むようになるかを考えるようになるんです。

このタイミングで直球勝負できる親子は健全なメンタルで生きていくことができるんです。

 

「できるようになるまで今日は、夕飯食べさせませんよ!」
「腹が減ったら出来るものもできなくなるじゃないか」
「ご飯が食べたきゃもっと真面目に取り組みなさん」
「やっているじゃないか。鬼ばばあ!」
このやり取りなら全然OKなんです。

子供の心を押しつぶす親は被害者の立場に立とうとします。
「アナタがしっかりしてくれないと母さんは寂しくなってくる。一生懸命教えているのだから、こっちの意図も少しは汲み取って頂戴」
「ハイ、ごめんなさいお母さん。この次は誰よりも頑張ってできるようになるから」
「これ以上お母さんをガッカリさせないでね。アナタが今のままだったら、母さんどこか遠くに行ってしまうかもしれないわ」
「絶対に頑張るから。死ぬ気で頑張るから」

このままだと母親は自分を捨てて、どこかに行ってしまうと思わせて努力させるの作戦です。  
心を押しつぶされた子供の口からこぼれるセリフは、 「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」。
自分一人では生きていけないと思い知らされ涙目になる。

これが積み重なっていくうちに、母親を喜ばせることが子供の優先事項になっていく。

自分は比較される対象で、なにがあっても友達に勝たなければならない、と思い込むのです。

 

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小学校に入学して暫くたつと  


小学校に入学した頃には、子供にとって生きる上での優先順位が決まってきます。母親にとって良い子であることが最も大切だと信じて疑う余地はありません。
  
他人と比べられて育った子供たちは、恐怖政治のなかで暮らす奴隷のようなものです。母親に言われるまま塾に通い、習い事を続け、身に着ける服装すら自分の好みを押し殺すようになるんです。
 観るテレビすら「お母さん、今日はどんな番組がおもしろいかなあ?」と、、、。

精神的な従属です。
言われるがままの奴隷生活。 
 子供らしい自由な発想も、自由な行動も押しつぶされて、もう跡形もありません。   
小学校の高学年になる頃には、母親の感情が何に左右されているのかさえ敏感に感じ取ります。
 

 母親は同級生と自分を比べていると、確信しています。友達に勝たなければ母親は喜んでくれないと自分に言い聞かせます。  
クラスで一番にならなければ自分には価値がないと考えるわけです。それに勝ってはじめて親は自分を認めてくれものだと信じ込むんです。     
  
競争に勝たなければ生きている価値がないと受け止めた瞬間から、周りの友達は全員敵になるのです。表面的にはニコニコ話をしていても、心の底ではみんな敵なのです。
    
安心できる場所、ホットできる場所が無くなり、四面楚歌の状態へと追い込まれていきます。      
自分は自分というオンリーワンの価値観は自分にはあてはまらない。
比べられて勝つことだけが、母親に認められる唯一の条件。   

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潜在意識に刷り込まれてしまったら  
 

母親に褒められる事こそ第一優先という価値観はいつまで続くのでしょうか?
    
途中で気付く子供もいれば、中学校、高校、大学とずっと母親の顔色を優先する子供もます。
      
心を許すことができないのだから真の友達などできるわけもありません。潜在意識に刷り込まれてしまった価値観はマインドコントロールと一緒です。

 自分の意志などもはや何の意味もありません。 
 
ノイローゼのような母親がこの世から消えたあとも、彼女が押しつぶし、支配した心は一人歩きします。母親に逆らおうとする自分に、自ら自虐的に罰を与えるようになる。

まるで映画『サイコ』の現代版のようなものです。
白骨化してなお椅子に座り二階の窓越しに息子ににらみを利かせる母親はノーマン・ベイツの心を押しつぶし続けるのです。      

 

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