許容範囲から外れて生きる人とのびのび範囲内で生きる人|その先は危険だよ

仕事でドジを踏んだり、信頼していた仲間に裏切られたとき、自分の生き方に自信が持てなくなったりするものです。成功している同僚を尻目に、なぜオレは世渡りが上手くないのだろうと真剣に落ち込んだりしますね。

壁にぶち当たったとき前向きに対処できるか、弱気になるかどうかは人の性格に依ります。

が、性格以外にもメンタルを支える要因はいくつもあるんですよ。

知能、人付き合い、お金、異性関係、、、等々が勇気や余裕を与えてくれる。

これらを最大限利用して生きればいいんです。

ここではこれらの武器を法的に許容される範囲でどう使うか、さらに人として受け入れらる許容範囲はどこまでなのかを考え幅広く生きるスタンスを構える指針を解説させて頂きます。

 

真面目な人と不真面目な人の許容範囲とは

 

真面目・不真面目は人の性格を表す一つの側面です。

窮地に立たされたとき大きなポーションをしめる真面目度について考えてみます。

楽観的―悲観的

大雑把―几帳面

この二つは実態としては異なりますがニュアンスとして通底しています。楽観的で大雑把がひとくくりで、その対極が悲観的で几帳面。

(明るくて几帳面な人もたくさんいますが、、、。)

 

許容範囲の観点で見てみるとなかなか面白いんです。

大雑把よりも一段階上をいくのがテキトウです。これは「丁度よく適度に」という意味ではなく俗にいう「根拠なきテキトウ」のことです。

ここが許容範囲のギリギリのところです。

根拠がないから理屈で攻められると反論できない。だから結果が伴わないときは無残な敗北者になってしまうんです。
それに比較し大雑把ではあるけれど本人の中に基準があれば、仮に敗れたとしても「なるほど、そういう判断だったのか」と腑に落ちるわけです。

判断基準を持つと持たないとではしくじったときの扱われかたが全然ちがうんですよ。

さらに、根拠なきテキトウの上を抜け抜けと飛ぶのが、「敢えて逆をついて相手の反応を面白がる」があります。

YouTubeで見かけますね。

スキー場の滑走禁止区域に侵入する動画をあげたり、夜中にレストランの厨房に忍び込んで食材にいたずらする動画をあげたりする。悪いと承知していながら、常識や社会ルールにとらわれない別格ぶりをアピールして、大物気取りでいるキモい奴らです。

いずれもっとヤバイことに巻き込まれていくのが目に浮かぶ。

まともな死に方はしないだろうと思えてくるんです。

ここまで腐ってしまったら許容範囲の外であるには違いありません。

 

真逆の悲観的かつ几帳面を下っていくとどんな姿が見えるでしょうか。

些細なことにこだわってサクサクと前には進めない性格。

今までの自分の言動を思い起こしては、あれでよかったのだろうかと常々不安と後悔を抱くタイプです。医者から精神安定剤を定期的に処方されて気持ちを紛らわせて暮らしている。

慢性的な不安症ですが別に法律違反ではありません。充分に許容される範囲にいるんです。

これはこれで良いんです。全然OK。

いつか、考え方に変化が表れ穏やかになっていくものです。

許容範囲からはみ出すのは、ここで自殺へと突き進む人。こんなに生きるのが辛いのなら死んで楽になりたいと考える人はアウトです。

「意地でも自殺などするものか」とジタバタするのは明白に許容範囲内なんです。

 

人付き合い

 

人との付き合いの頻度や深さを考察する時の指標は社交性です。

社交的―人見知り

解放的―閉鎖的

 

社交的をさらに快活に押し上げていくと何が見えてくるか?

八方美人や軽躁的あたりがチラついてきます。

誰にでも気楽に話しかけ、親切に応対する八方美人タイプ。「あの人の本心はいったいどこにあるのか?」と疑惑を掛けたくなることもあります。ちょっと鼻につくタイプもいます。

でも堂々、許容範囲です。

でもはた迷惑も気にせずに明け方まで騒ぎ続ける躁病チックなのはNGです。相手の都合を一切考えない自分勝手な能天気はダメ。

よくあるのが突然かかってくる売り込み電話。

「いま、少しお時間宜しいでしょうか?」から始まって延々とこちらの気を引こうと🉐話をつづけます。興味がない事を告げても巧みな話術でなかなか電話を切らせない。

あれって明るい迷惑行為ですね

で、これがアウトかセーフかと考えると、相手もそれが仕事だからセーフですね。好きでやっているわけじゃない、と考えると少し気の毒にもなる。

ただし、プライベートで昼夜お構いなしにこっちの生活を引っ掻き回してくるのはアウトです。

 

閉鎖的な方を下っていくと、一匹狼が見えてきます。群れに加わらないし誰にも媚びない。

人見知りとの違いは、相手によっては楽しく会話ができるのが人見知りで、常に単独行動なのが一匹狼です。
基本的にかれらは防御力が高いですね。オフェンスよりもディフェンスに重きを置くの

が単独で長く生き延びるコツだと考えているのでしょう。

さらに下っていくと不登校や引きこもりが見えてきました。
親の金でかろうじて生活できるうちは「働ないとか、学校に行かない」とういモラル的な問題がメインテーマで、実際の状況は温いんです。

本当の問題は水面下です。

親が高齢になり貯金が底をついたとき本当の地獄が現実味を帯びてきます。

預貯金は日に日に目減りし、ガスと水道を止めてでも食料を優先することに決めたりする。

老いた父親は「まだ自分が生きているうちは年金の振り込みがあるから何とか生き延びられる。でも、もし自分が死んでしまったら引きこもりの息子は生きる術を失う」と考え始める。

父親は引きこもりの息子に厳しい現実を話して聞かせ、息子が動きだせば何とかなります。

それでも、引きこもりから抜け出す様子がないとしたら、厚生労働省管轄のひきこもり支援事業を頼らないとアウトです。

悲観した父親が息子との無理心中をはかるなどの方向にのめり込む恐れがあるんです。

 

知能と賢さ

 

知能や賢さの観点から考えると、「利口すぎる」や「おバカすぎる」がエンドラインとなります。

天才―地頭が良いー好奇心が低いー鈍いーイマジネーションがないー魯鈍

言葉のイメージからすると、水平さに欠けていますがとりあえず並べてみました。

 

ダビンチやアインシュタイン級の頭脳は誰もが認める天才ですね。彼らがその頭脳で悪の道を究めたとしたら何をしでかすかイマジネーションを働かせてみましょう。
おそらくハンニバル・レクターのような殺人鬼へと進化するはず。

彼ら理工系の天才には次の3つの道具を用意します。

  • 外科手術用の超鋭利なナイフ
  • 痛みを感じさせない麻酔薬
  • 喜怒哀楽をコントロールするための脳内分泌ホルモンに値するドラッグ

どんふうに使うのか想像してみましょう。

狂気の天才は常々、人は自分に対してどれだけ残酷になれるかに興味を抱いています。他人への残酷行為はサイコパスの彼にとって屁でもない、己に対してはいかがなものか、と。

そこで天才は三人の男女を誘拐し、別々の小部屋にどじ込めるとゆっくり洗脳を開始します。三人は有ること無い事を吹き込まれて一週間も経過した頃には、自分の過去の記憶をすっかり書き換えられていました。

「生まれ落ちてから今日までの罪深き行いを反省し、どれだけ己に残酷になれるかでその罪を償われるのだ」と信じ込まされたのです。

天才の胸のワクワクは最高潮に達していました。いまから、三人それぞれに①、②、③を渡すのです。

それを使って己の肉体をどんなふうに苛めるのかが目の前で展開される。

サディスティックな欲望が最高潮に達した瞬間なのです。

 

おそらく一人はメイスン・ヴァ―ジャーのように危険ドラッグを吸い込んでハイになり、自分の顔面の皮を自ら剥き始めるに違いないんです。痛みがあるようなら麻酔だって使い放題ですから。

 

何でも思いのまま動かす可能な天才は、その存在事態がNGですね。身の回りで何が起こるか分からない現在ですから、突然天才を悲劇が襲ったらどんな反撃に打って出るか想像もつかないんです。

普通レベルの天才なら存在OK。でもダビンチやアインシュタインの生まれ変わりが表れたらヤバイわけです。

 

一方、おバカの方はいかがでしょうか?

程度ではなく種類となります。悪意さえなければおバカは平和と笑いをもたらすのですから。

だとすると知能・賢さの面で許容範囲外は人並み外れた天才だけとなります。悪意はどんな知能の人でも許容できません。

 

貧富の差

 

貧富の格差は世界中どこにでも存在します。

ハリウッドの豪邸住まいの超金持ちからフィリピン のゴミ山あさりを日課としているド貧民まで(差別的な発言だったらゴメンなさいね)。

どちらも法律的には合法の範疇で生きています。逮捕されるいわれはないんです。

分布的には貧富の中間あたりが山になっていて、左右に広がるに従ってなだらかに下降していく富士山的なシルエットになります。

ところが、左右の一番端に位置する人達が問題を起こすとは考えにくいのです。

裕福側を考えてみると、本当の大富豪だったら金持ちという概念なんてとっくに越えていて、貯金が減っていくなど考えもしないんです。

高層ビル幾つも所有し賃貸料が月々がっぽり入ってくるとか、サラブレットを10頭所有しているとか、10年前に買った無人島から石油が採掘できたとか、絶滅一歩手前の国宝鳥をつがいで飼っているとか、世界中に回転ずしのフランチャイズをもっているとか、、、。

とにかく使うよりも入ってくる金の方が圧倒的に多いから浪費なんてなんでもない。

これが押しも押されぬ大富豪です。

幾ら使ったなんて全然気にしないし、普通に生きていれば自然と資産が増えていくという立場です。

こういう人が何か悪事をはたらくなんて考えられないでしょ。

 

その点、そこそこの資産家は、その外見とは真逆に節約主義を徹底している。財産の目減りに神経質で無駄は徹底的に排除する生活ぶりです。

牛肉より鶏肉を食べる。

薬はジェネリックを優先する。

冷凍食品はセールの時にまとめ買いで単価を下げる。

日用品や食料品はトップバリュー大好き。

ティッシュペーパーは買わずに駅前で配っているポケットティッシュを大量にストックする。

われわれ小市民よりも二回りくらい上の金持ちって、意外といじましい努力で資産をキープするのに必死なんです。

だから、精神的にはピリピリムードがただよっていて、普通レベルに落ちてしまうのを必死になって避けようとしているんです。

こういう余裕の無い生き方が一番ヤバイいんです。

金遣いの荒い妻へのいら立ちが高じて殺人に発展するとか、親の介護にこれ以上の出費はできないと、、、。

 

逆に貧困に喘いでいる人はどうでしょうか。

単純に金が無いのは犯罪ではありません。借金まみれだって、取り立て屋の脅しにビクビク生きるだけで罪ではない。

最悪、自己破産してしまえば借金なんてチャラ。相当な不自由が発生しますけど無い振れは祖でないと開き直るのも選択の一つなんです。

だって自己破産って、法律で許されているんですから充分に許容範囲にはいるんです。

マズいのは、金が無いにも関わらずセレブ生活を捨てられずに保険金殺人や結婚詐欺で荒稼ぎする人です。

借金まみれでもないし、自己破産するまで追い込まれているわけじゃないんです。

財布に千円札が1枚しかないのに、毛皮のコートやブランドのバッグを手に入れようとネギを背負ったカモに狙いを定めてダマしに入る人ですね。

 

 

異性関係

 

普通よりもやや奥手とか、遊びに人くらいならどこにでもいます。

結婚しない男女が増加傾向なるのはもしかしたら、奥手という草食系が増加気味なのかもしれません。

異性関係で両極端に走っていくとNG色が濃くなってきます。

フラれたにも関わらず諦めの悪いタイプ。

5回フラれても6回目で交際が叶い、結婚にまで漕ぎつけた、なんていう話がたまにありますね。

あれとストーカーってどこが違うのでしょうか?

一旦は諦め、自分を磨き再びアタックするのが前者で、最後の最後に勝利する粘り価値の方です。

一方、相手が拒否しているのに待ち伏せや盗撮までして付きまとうのがストーカーです。

じっとりと粘質的で、何をするか分からない狂暴さを秘めている。下手をすると合いかぎまで作られて、留守を狙ってぬけぬけと部屋に入り込みくつろいだりする。

相手が嫌がっているのだから、男らしく(ときには女の場合も)キッパリ諦めればいいものを、それが出来ない性質の持ち主なんです。

相手にその気がないなら爽やかに挨拶して、「また今度時間があるときにご飯でも行こうよ!」とさらっとした関係をたもてば少なくとも友達の関係は崩さずにいられますね。もしかしたら、時間の経過とともにチャンスがでてくる可能性もある。

それが今のところベストの選択だと誰の目にも明白なのに、その爽やかな距離感では満足できないのがストーカーです。

至近距離へとにじり寄ってきて、相手のプライベートな領域まで入り込まないと気が済まないんです。

これストーカーで、もちろんNGですね。

 

一点狙いで延々付きまとうのがストーカーですが、誰でもいいから肉体関係を求めるタイプもいます。

どれだけ積極的でも、相手が合意していれば罪にはなりません。

プレイボーイとかヤリマンとうい人種です。だれかれ見境なく異性を求めるセックス依存症という病気は少なくないようです。

さらに肉体関係に過激さを求め、アブノーマルなスタイルに行き着いたのがSM趣味ですね。

だんだんと耐性がでてきて強さを増さないと物足りなくなってくる。いつの間にか命の危険ギリギリまで激しさを求めるようになる。
こういう人って寸止めで死を避けるといいます。

性行為の最中に首を絞しめることで最高のエクスタシーを感じるっていいます。

でも、そこで相手を殺したら殺人ですからアウトですね。

 

ねちっこくまとわりつて離れないストーカーは生まれつきのボーダーラインパーソナル障害で生まれ持ったその人の性質です。医者でも治せないと言います。

誰かれ構わず身体を求めるのはセックス依存症で病気の一種です。

どっちもアウトですが、依存症なら何とか治療が可能といいます。

 

まとめ

 

真面目さ、人付き合い、知能、貧富の差、異性関係の観点からアウト、セーフを見てきました。

特にアウトの部分にスポットライトを当て、解説してみましたが意外にも許容範囲って広いものですね。

上記で解説したNGキャラでなければ問題はないわけです。

自分を堅苦しく縛って閉塞的に生きる必要などないんです。延び延びと、かつ違法を避けて暮らせば明るい未来が見えてくるものなのです。

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