食べ物が心に与える影響力とは|『肉を食べると短気になる』は事実なのか

Pocket

頭が良くなりたいが為に人間の脳をむさぼり食う。

不老長寿を求めて人の鮮血を喉に流し込む。

ホラー映画にはこんなグロい場面が出てきます。

全く効果はないと思いますが、、、。

現実の世界でも人間が人肉を食するカニバリズムは今も存在していて(現在は限られた地域だけですが)、その意図は死者へのリスペクトだとも言われています。

死者の魂が永遠の安らぎを得られるように感謝の意を込めて、この世に残された人々が死者の肉を食べて、新たな旅立ちをお祝いするとか。

オカルト映画を観ながらそんな事を考えていたとき、「肉を食べ過ぎると怒りっぽくなる」」という説を真剣に唱えていた友人を思い出したのです。

彼は医療関係者でもないし、研究機関に勤めているわけでもないからアカデミックな研究論文に裏付けされた見解ではないのです。単純に自分の食生活の感想を述べたに過ぎないのですが、その物言いにおふざけは無かったように思えたのです。

 

食べ物が心に与える影響

 

「嘘だと思うなら自分の体を使って試してみろよ」と友人は言うのです。

「どうやって?」

「簡単だよ。野菜とか米を一切やめてひたすら肉ばかり食い続ける。肉オンリーね。海藻なんかもダメだから。すると普段なら我慢できるような些細な事柄が無性に腹立たしく感じてくるの。マジで」

 

どんな事に腹が立つように気持ちが変異したかを訊ねてみました。

 

電車に乗るとこんなコロナ禍なのに外国人がいて、それを目の当たりにするだけで「わざわざ旅行で日本にくるんじゃねーよ」ってムカついてくる。

電車のつり革につかまってスマホに夢中の若い女の人を見て、「おい、そこのねーちゃん、ぼーっとスマホいじってないでオマエの目の前の窓が開いてねーだろ。開けろよ、喚起だよ喚起、気が利かねえなあ。だからそんなにブサイクなんだよ」と。

本当にこんなふうに肉によって気持ちはささくれ立ってくるものなのでしょうか??

進化論的な肉食系の位置づけ

 

肉食系男子、肉食系女子という言葉があります。

好きだと感じたら、すぐにバグっと行くタイプですね。

もたもたしてないですぐに行動に移す。

草食系に比べたら圧倒的な行動力があって、気性が荒く、喜怒哀楽も激しい。

 

本物の肉食動物に少し話をスライドします。

肉を食って生きる為にはある程度の気性の荒さが備わっていなければならないのか、と進化論的な考えが浮かんでくるのです。

逃げ惑う獲物に食らいつき、首元に牙を立てて息の根を止める一連の動きがDNAに受け継がれていなければ肉食たりえないという見方です。

貪欲に獲物を追い回し、鼻づらの周りを真っ赤に染めながら血なまぐさい生肉に首を振りながら食らいつく姿はいかにも肉食動物です。

彼らの脳には常に一定量のアドレナリンに満たされていて、いざ戦いとなった瞬間に一期にその濃度が高まる。

一方で、肉食の生態系でありながら穏やかな性格の持ち主だったとしたら、厳しい自然淘汰を生き抜けるとは思えないのです。

たまたまおこぼれにありつけたとして、遅かれ早かれ食を木の実や草に変えざるを得ないことになる。

長い目で見たときにこれが、進化論としての落としどころで、肉食と気性の荒さには関連性があるように思えるわけです。

 

生物学・医学・栄養学的側面

生物学的な側面から見てみると、こんな推測も成り立つのです。

食生活を肉から野菜に切り替えたら腸内環境は間違いなく改善されますね。第二の脳と言われる腸は健全に保たれる。働きが活発化し、そのインパクトは本物の脳にも伝わりメンタル面での健康にもつながるとうい考え方です。

逆説的に、肉を中心に摂取する生活が心の健康を悪化させているという推測になるわけです。

 

ところが医学や栄養学の側面から見てみると、どうも腑に落ちない部分が出てきます。

肉にはトリプトファンという成分が多く含まれています。

脳内分泌物質のセロトニンを生成するための要素がこのトリプトファンですから、精神の安定には肉はとても良い食べ物なわけです。

ノルアドレナリンやドーパミンなどの脳内伝達物質のバランスをとる役割がセロトニンで、肉食が精神衛生上で悪いわはないと考えられるのです。

肉食という言葉の響きが与えるイメージと、肉を原料に生成されるセロトニンが幸福感をもたらす事に大きな隔たりを感じるわけです。

 

食物がもたらす精神衛生

 

食物が人体を蝕んだ過去の事例を思い起こすと狂牛病が浮かんできます。発症から死に至る過程の気味の悪さはノンフィクションクラスです。

この世には人体に悪影響を及ぼす食物はいくらでも存在します。
フグやキノコの毒素を摂取した死亡事故が発生しても、気の毒とは思うけれど不思議な感覚はない。

だって毒ですから致死量を超えれば死ぬわけです。

腐敗しかかった食物で集団食中毒が発生し、嘔吐する人が頻発しても同じように不思議な気持ちにはとらわれません。

だって腐っているのだから身体が受け付けるわけがない。

当たり前と言うか、in-putとout-putの域を超えていないわけです。

でも、狂牛病のときは正直ビビりました。

因果が通底していない印象だったのです。

恨み、祟り、呪い、怨念みたいな雰囲気を感じたのです。

しっかり料理した(加熱処理した)牛肉にもかかわらず、それを摂取することで人の脳が破壊されてしまうわけです。

ニュース番組での解説を聞いても釈然とせず、異様な後味の悪さに暫くまとわりつかれたのを覚えています。

毒が原因で呼吸困難に陥るわけでもなく、毒を受け入れられず外部に排出しようと嘔吐するわけでもない。普通に喉をとおって胃腸に落ち、それが原因で物忘れが始まり、最後には脳がスカスカになって死に至るのがどうにも腑に落ちなかったわけです。人体に異物と認識させない気持ち悪さがあるわけです。

 

ウイルスとも全く違う存在

 

テレビや映画の中の話ですが、ゾンビに噛まれた傷口からウイルスが体内に侵入しゾンビ化してしまう方がまだ道理にかなっているように思えるのです。

ゾンビウイルスは健全な肉体で自己増殖していくから、その増殖をストップする免疫力がないと負けてしまう。

事前にワクチン接種で抗体を持っておくとか、徹底的にウイリスとの接触を避けるという手段が有効なわけです。

仮に食べ物に付着していたとしても煮たり焼いたりすればウイルスは死滅するから安全だし、胃液の酸で殺す事だってできる。

 

それに比較して狂牛病は想像を絶するしぶとさです。

カラカラになるまで焼ききった牛海綿状脳症の脳、脊髄、回腸、眼なのにプリオン症を引き起こすわけです。

焼いて粉砕したにも関わらず、まだ人命を奪うだけの強さを持ち続けている。

コロナウイルスよりも断然微細で、人体のいかなる細胞とも異なる組織。

ひとたび体内に侵入すると、回り回って脳神経の蛋白質を異常化させ、プリオン症へと引きずり込むのです。

食物として摂取した物が、嘔吐すら引き起こすことなく静かに深く侵入して脳に至るわけです。

 

口から取り込んだ蛋白質(食物)がもし異常化していたら、それはやがて脳に辿り着き、正常な蛋白質に異常が伝播していくという仕組みです。自己増殖ではなく、異常を連鎖させることで人の脳をスポンジ状に変異させてしまうわけです。

治療する手段はまだ見つかっていないと言われています。

この病気を引き起こす仕組みがごくごく軽症だった場合、性格が変貌することにつながりはしないかと推測したのです。

脳を特定して攻撃をしかけてくるあたり、食べ物による性格の変貌につながるようにも思えるのです。

     【広告】

関連記事

     【広告】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*