人は無意識に言い訳する|解析していくと自分の本音が見えてくる

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著書『本音で生きる』の中で堀江貴文さんが言われています。

「言いたい事が言えない、やりたい事がやれない。こんなのはみんな言い訳なんだ」と。

彼ならではの強気な発言ですね。

そうは言っても、人にはいろいろ事情があって100パーセント本音で突っ走れるのはごく一部じゃないですか。

ホリエモンさんみたいに実力があってかつ、強い人間ばかりじゃないんです。

 

弱い庶民も本音を出したり隠したりしながら生きていくしかないんです。

だから、言い訳したっていいじゃない。

そのときは、本音のつもりで言い訳しているんですから。

で、暫くしてから自分なりに言い訳を解析してみるのです。

すると奥の方に自分の腹の底が見えてくるものです。

 

言いたい事が言えないと言い訳

 

「言いたい事が言えない」と愚痴るのはただの言い訳だ、とホリエモンさんは切り捨てます。

厳しいですね。

『言いたい事が言えない』とか『言い分を聞いてくれない』ってどんなシチュエーションでの言い訳でしょうか?

(話を聞いてくれない、はウチの女房に常々いわれていますが、、、。)

自分の意見が反映されずに、物事がどんどん決められていくことへの不満と考えていいと思います。

 

  1. 最初から筋書きが決っている出来レースみたいなもの
  2. 声の大きな人が主導権を握ってグイグイ引っ張るから、少数派意見が反映されない
  3. 従来のやり方を踏襲すべきと閉塞的な雰囲気につつまれ、暗黙の了解ができている
  1. ~③が原因で自分の思いが反映されない、「言いたい事が言えない」と愚痴るわけです。

「一方的に決まった事だけを押し付けられているみたいで気分が悪い!アタシにだって都合があるし」と反発したくなる。

キミも発言すればよかったじゃないか、と言われれば、

「だって口出しできない雰囲気で事が決っていくのだもの」と言い訳するわけです。

目立つのが苦手なタイプの女性は、「喉元まで意見がでかかったけれど、大きな声にかき消されて結局ひとことも何も聞いてもらえなかった」と肩を落として溜め息をつくのです。

ここで、愚痴の裏に隠されている本性がうっすらと見えてきます。

 

大声への恐れ

 

「出来レース」や「従来の踏襲」を周知徹底するだけなら、こちらから「言いたい事が言えない」とか「言い分を聞いてくれない」というストレスを抱えたって無意味なのです。

別の所で決まった事柄を展開しているだけなのですから、口を挟む余地など最初からないのです。

(大人しく諦めるか、そもそも論を持ち出してなかば出来上がっている決め事をひっくりかえすかです。)

 

でも、声の大きな人が会議をかき回してしまっているのは問題ありですね。

相手の声が大きくて何も言えなかった。

つまり、声高な威圧感に弱いタイプだと自分を認識しておく必要があります。

自分の特性を知っておくのは大切なことなんです。

一般的に声が大きな人を前にしたとき感じるのは;

自信がありそう

威圧感がある

反論しても引かないだろう

暴力的かもしれない

仲間がいるかもしれない

 

こんなふうに声が大きな人は優位なポジションに立つことが多いのです。

たいていの人は、目に見えぬ圧を感じます。

でも、それを事前に知らされていればだいぶ威圧も減少するものです。大きな声が与える心理的影響を理解していれば、そこで押しつぶされることはなくなるんです。

 

本気になれる物がない

 

「全力を傾ける仕事がないからから就職しない」というのは言い訳に聞こえますね。

本気になれるものが無いから企業の一員にはならない。

親からすれば、大学までだしたのだからその流れで就職するものと思っています。でも当の本人はフリーター生活でアルバイトで食いつなぐ毎日です。

「興味が湧く仕事が見つからないのだから、アルバイト生活だっていいじゃないか」と主張する息子。

「大学で専攻してきたものの延長に、何か興味の持てる仕事はないのか?」と父親。

「学問と仕事とじゃ、全然ちがうんだ」と息子は抵抗する。

 

本人が一番わかっている言い訳

 

本気で取り組みたい仕事が見つからないから就職しない、というのは明らかに言い訳なのです。

その企業に所属してみなければどんな業務が待ち受けているかなんてまず分からない。

それを承知でファッションが好きだからファッション業界に入りたい、と一歩進みます。でも、そこでの仕事は自分が抱いていたイメージとはかけ離れていることの方がずっと多いわけです。

本が好きだから小説家になりたい、映画が好きだから映画業界に入りたい、自動車が好きだから自動車会社に入りたい、、、と進んでも好きな仕事ができる人など圧倒的に少なく、そんなことは誰にも理解できているはずです。

多くの人は、それを承知で就職し、そこで生きがいを見つけるものです。その場の空気や雰囲気に触れて自分の進む道を手探りし、少しずつわかっていくものなのです。

 

どんないい訳を解析しているのか

 

それじゃあ、本気になれるものが無い、とはどういう意味なのか?

これは、「本気になるのが怖い」という事なのです。

もっと詳しく言えば、「本気になって取り組んでも、自分の気持ちが届かなかった時が怖い。傷つけられるのが怖い」という意味なのです。

たとえどんなに努力して小説家になって生計を立てられる人はごく一部ですね。

でも、小説家になる事は諦めたくないから別の仕事には就こうとしないんです。

小説を書いて認めらなかったら自分は傷つくと恐れているわけです。

だから小説も書かないのです。

 

傷つくくらいなら本当の事を知りたくない、とい心情は誰の胸にも少なからずあるものです。

好きな異性に告白したい。

でも、傷つけられるのは怖い。だからもう少し黙っていたい。

 

でも、いつまでも雰囲気に浸っているわけにはいきません。

恋愛でも希望の職種でも、あるタイミグで現実と対面しないわけにはいきません。

 

 

歳だからという不可抗力

 

定職に就かない一流大学卒業のフリーター。

彼らを前に青山学院大学・陸上競技部長距離ブロック部監督の原晋氏が講義をするテレビ番組を観ました。

なぜ、就職をしようとしないの?って。

フリーターの方々にもそれぞれ言い分はある。

前述の方法で腹の底を覗き込めば定職につかない理由があぶりだされるかもしれません。

ここでは、少し別の話をさせてください。」

 

原晋監督が言った一言に「世界中の誰にとっても同じものがある。それは時間です。だから立ち止まっていないで何かをしなければもったいないんだよ」と。

背筋がゾワゾワっとして鳥肌が立ちました。

さすがだなあって、感心以外の何者でもないのです。

 

万人に共通ゆえの不可抗力

 

「オレも歳だからなあ」って呟くおじさんいるでしょ。

あのセリフを聞くと、ほのぼのとした納得感を感じませんか?それでいて、そこには感傷的な秋の夕暮れみたない少し悲しみを帯びた気持ちしみ込んでいる。

歳をとることによる不手際や物忘れって不可抗力っぽいでしょ。

だから、「オレも歳をとったなあ」って言われる「まだまだ老け込む年齢じゃないよ」と返しながらも、内心、それはしかたがないよ、って思っちゃう。

現実には手元の器用さや物忘れは本人の努力で幾らでも保てるはずなのに。

でも外見・見た目に関しては、人間のエゴって凄いですよね。

若々しさに憑りつかれたみたいに執念深く努力しつづけるでしょ。

 

女性に関して言えば、今や『若作り』なんていうレベルはとっくに超えて、美魔女流行です。

60代、70代だったら○○化粧品一本で20歳くらい楽にサバが読めるんです。

もちろん白髪染めとか体形の維持は本人の努力は必要ですけれど。

男だって、敢えてゴマ塩頭に無精髭でちょい悪オヤジを気取っている。社会的に定着しているから、医者や弁護士でも結構、髭を利用して年齢より若く見せているんです。

そう考えた時、あの『オレも(ワタシも)、もう歳だからなあ』と呟くのは反則に思えるわけです。

ゴリゴリの若作りで押すだけ押しておいて、都合が悪くなった時だけ不可抗力の言い訳を持ち出すんです。

まさに、いぶし銀の使い分け、とうでも申しましょうか、、、。

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