友人に囲まれているのに孤独感なぜ|ツーカーよりも信頼感を重んじるようになる

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孤独感とは厄介な感覚で、取りつかれると抜け出すのに時間がかかる。

まだ学生で、実家で家族と同居しているから安心というものでもないのです。

物理的な問題なら解決はさほど難しくはないけれど、心理的に追い詰められる「ひとりぼっち感」的な荒涼とした感覚もあるのです。

オンラインで対面し笑顔を見せあっても、それがかえって物理的な距離の隔たりを想像させ、閉塞感に苛まれる人もいるのです。

ここでは、そんな孤独感に苦しむ原因を掘り下げ、同時に緩和するためとヒント、コツについて解説させて頂きます。

 

体調不良が呼び起こす孤独感

 

一人暮らしの人が体調不良に陥ったとき、突如として孤独感に苦しむことがあります。

風邪とか腰痛で立ち上がるのがキツいくらいなら、なんて事ないのです。

「またやっちゃった」程度のダメージで、食べ物・飲み物さえあれぼ一人で乗り切れる。

多少の人恋しさもテレビで解消できてしまうんです。

 

ところが、思いもかけず胃腸が痛んで吐血したり、悪寒で震えが止まらなくなると不安と一緒に突然孤独感が高まってきます。

どうしよう、誰か助けて、と冷静さを失って油汗が滲んでくるものです。

救急車?

いや、まずは同僚の〇〇に電話して、と面倒見の良い温厚な声を耳にした瞬間にほっとして、涙がボロボロと落ちるものなんです。

 

「今からそっちに行こうか?」

「いや、大丈夫。声聞いたら安心した。明日、病院いってみる」

こんなふうに、不安感と孤独感は背中合わせになっているものなのです。

 

友人と一緒にいるのに孤独

 

ところが、声を聞いて安心するどころか、友人らと一緒にいても常にひとりぼっちな寂しい気持ちでならない人もいるのです。

あまり言葉には出さないけれど、意外に多いんですよ。

言葉にしてしまうと、自分が惨めに思えて口に出せないのが本音なんです。

 

3人の仲良しトリオのはずがいつも自分は1人

 

周りから見ると仲良し3人組に見えるのです。

現に最初の頃は三人でいつもワイワイしていて、カラオケに行くのも、買い物に行くのも、ファミレスで宿題をやるのも三人だったのです。

それがいつの頃からか、2人+1人という状態になってしまっていたのです。

時々、気を遣って話し掛けてくれることもあるけれど、ほとんどの時間帯はワタシはただの付き添い人の状態なのです。

不満そうな仕草を見せるわけにもいかず、ワタシはニコニコと笑みをたたえているだけ。

この寂しさは二人と別れて、家の自分の部屋に帰ってきた途端にどっと押し寄せてくるのです。

 

話していて気が合うだけの仲間

 

3人組の気の合う2人はいつも波長が合っていて楽しそうに話している。

たぶん、家で見るテレビ番組も好きなアイドルも一緒。だからツーカーなんです。

ティーンエイジャーのテンポの速い会話が二人の間に成り立っていて、その掛け合い漫才さながらのコミュニケーションが楽しいのです。

その関係が数か月のうちに成立してしまったのです。

付き添いみたいな1人の子には気の毒だけれど、もう暫くはそのまま続くと考えた方がいい。

でも長くは続きません。

今は、2人のコミュニケーションは話の内容よりもアップテンポの会話が楽しいだけ。

だからその流れにストップをかけるような意見の食い違いには目を瞑っています。

「えっ、ちょっと待って。それどういう意味?」と敢えて意味がわからなかったところで待ったを掛けないわけです。

でも、それも時間の問題です。

遅かれ早かれストップをかけるときが絶対にくるんです。

ノリだけで仲良しの間柄は継続するはずがないのです。

だから、熟慮型で、口下手で、スローペースのアナタの意見が必要となる時が必ず来るものなのです。

 

交友関係に壁

 

でも、こういうノリが交友関係に壁をつくることがあるんです。ノリの合わない者は外、合う者は内というわけですね。

でも友達関係って、最初はそんなものです。

仲が良い背景には、共通の話題があるとか、趣味が一緒とか、話やテンポが合うとか単純な理由ですね。

それが、いろいろな経験を重ねて本当の人間関係が構築されるまでは時間がかかるのです

ただ楽しいだけの仲とは違う本当の関係に発展するのはほんの一握りの相手だけで、それが誰なのかはこれからのお楽しみなのです。

 

学生時代はあんなに仲良しだったのに

 

学生の頃はあんなに仲がよかったのに、社会人になって10年もすると全く連絡も取りあわなくなる。

せめて年に一回の年賀状だけは、と申し訳程度に互いの安否だけは気づかう程度なのです。

こういう関係って全然珍しくないんです。

むしろ、30歳過ぎても変わらぬ交友関係を続けている人の方が圧倒的に少ないんです。

会う機会が減るつれて、共通の話題が減り、ノリだけで付き合っていた友達とは疎遠になっていくのです。

大学卒業後、10年ぶりに同窓会で会った友とも最初は近況報告をしあって盛り上がるけれど、2時間もすると共通の話題の無い事を思い知らされるものなのです。

かつての仲間と一緒にいても、昔と今とでは全然違う。

孤独とは言わないまでも、半ばそれに違い感覚を覚えるわけです。

昔の仲良し組と一緒にいても、そうそんなに楽しくないな、と。

 

交わす言葉は少なくとも信頼できる相手

 

幼少期、学生時代は価値観が合って、話していて楽しい人を友達として選ぶものです。

楽しさを求めて同じ時間を共有するからです。

○○ちゃんと一緒にいるときが一番楽しい、というわけです。

そこから歳を重ね、自我がでてきます。

親に対してすら反抗心を抱く反抗期です。

自分は親が思っているような人間じゃない。だから親の考えを一方的に押し付けないで、と。

我が子を思って差し伸べる手すら、子供は鬱陶しいと感じるものなのです。

子供は親や学校で植え付けられた価値観を一旦、棚に上げて、自分で考えようとするわけです。

まずは自分の思う通りやってみなければ納得できないのタイミグが人生にはあるのです。

幼少期にまるで姉妹のように一緒にいた友達との考え方の違いが気になりだすのです。

考え方が違う、でもあの子の意見には耳を傾ける価値がある。

自分とは真逆の考えの持ち主だけれど、でも話がしたい。

意見を聞いてみたい。

かわす言葉は少なくとも、考え方が真逆であっても、信頼できる間柄になるのが本当の友達なのです。。

こうして、孤独でない人生を切り開いていくものなのです。

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