何とも言えない不快な不安感に取り囲まれる事があります。
「寄る辺ない」という感覚です。
サザエさん症候群にちょっと似た感じ。
サザエさん症候群は周期的なものだから、すぐに解消して、またやってくる。
自分でも分かっていて、それでも嫌な感じなんです。
ここで言う寄る辺なさは、日曜日の夕方じゃなくて平日なのに、忍び寄ってくるのです。
ここでは、不快な不安感を跳ね飛ばして、元気になる方法につてお話させて頂きます。
絶望よりままだマシな寄る辺なさ
頼れる相手がいないとか、身を寄せる場所がないのを寄る辺ない孤独感と言います。
たぶん、誰でもうっすらと感じる事があるでしょ。
沈む夕陽を見ながら感傷的な気持ちになったり、出張先の外国で夜空にほんのり輝く月の光を見ていたりすると、なんとなく人恋しくなってくる。
プラスかマイナスかと問われれば、ややマイナス気味な湿っぽさがあるわけです。
地獄へ逆落としみたいな絶望ではないけど、そのまま放置しておくとヤバイかも、みたいな闇への入り口付近の感覚なんです。
とりあえず、何かにすがってみる
人によって千差万別ですけど、とりあえず何かにすがってみる。
自分の場合は、酒。
夜だったらビールを2,3杯ひっかけると、だいたい気持ちは明るくなってきます。
昼間だと、さすがに酒を飲むのはためらわれるから、スマホに保存してある息子の写真を見る。
「子供は親の背中を見て育つ」っていうから、オレもしっかりしなきゃとか思うわけです。
案外、安上がりの気持ちの立て直しで済ませられるんです。
少し値の張る靴(仕事用の革靴)を買って、気合を入れる人もいるし、スーツやワイシャツを買う人もいるみたいです。
靴にしても、スーツやワイシャツにしても、仕事に使う買い物だから、寄る辺なさの原因が仕事にあって、最悪仕事を辞めてしまえばスッキリするわけです。
たいして根は深くなさそうですね。
たぶん、生真面目さからくる軽い神経症的な症状です。
寄る辺なさの原因がわかると安心感がでてくる
原因不明っていうのが一番怖いんです。
なんか、底なしの雰囲気があるでしょ。
どこまでも深く、暗い闇に落ちていくみたいな。
でも、仕事が忙しくてメンタル的に少しまいっちゃっている、とか原因がわかるとすごく落ち着いてくるんです。
原因が特定できた時点で、脳の中にある安心のボタンが押されるみたいな感覚ですね。
悪さの程度がだいたい想像できるし、どうすれば回復できるかも見えてきますから。
だから原因の判明で、問題の半分は解決したような安心感がじんわりと滲んでくるんです。
幼少期のいじめが原因
成人してからぶり返す、幼少期のいじめがありますね。
苛め後遺症みたいに、ずっと悩ませ続けられるのとは違い、忘れていたのにふとした時に思い出す、みたいな断続的な不快感です。
大人になったのだから、今更かつての悪ガキにいじめられるわけなどないのに、心にトゲが刺さって抜けていないのです。
これを解析すると、幼少期の苛めそのものよりも、苛められているのに誰一人味方に付いてくれなかった孤独感のぶり返しだとわかってきます。
だから寄る辺ない気持ちが湧き上がるわけです。
子供の頃のいじめはとっくに終わっています。でも、かばってくれる味方が一人もいなかった孤独で寂しい惨めな状態は風化せずに今でも残っているわけなんです。
感情先行型からロジカル分析に変換してみる
幼少期のいじめの体験をロジカルに分析してみると、心が納得してくれるものです。
弱い者いじめとか、仲間外れとか、過激なのは体育館の裏でヤキを入れるとか、いろいろなパターンがありました。
でも、当時と今じゃ全然環境が違うのです。
いじめの被害が多発して、それを食い止めるための苛め防止対策推進法という法律までできているでしょ。
それが充分機能して、社会から虐めが消えたかと言えば、実際には消えていません。
でも、法律をつくって虐めをなくすための取り組みをしている事実があるんです。
さらに、大人の社会でもパワハラ防止、モラハラ防止、セクハラ防止が盛んになってきていて、弱者が泣き寝入りせずに戦える基盤がどんどん整ってきている。
この事実だけでも、当時から比べれば相当な改善です。
子供の頃、苛められているのに誰一人として味方になってくれなかったのは、冷静に考えればわかりますよね。
他の子供も怖かったんです。
苛められている子の味方についた途端、自分も苛めの標的にされると思っていたわけじゃないですか。
だから、本当はかばいたかったけれど、それができなかった。
でも、大人になった今ならできます。
だってパワハラ防止法があるのですから。
子供社会での苛めについては、問題はまだ山積みです。
でも、大人社会はだいたい、対策は整っているんです。
とりあえず何かにすがりついて、社会の歯車になれれば上手く回っていけるもの
漠然とした不安、寄る辺なさを感じたときは、深く考えずに何かにすがってみる。
何でもいいんです。
占いに行って、今後の人生の山谷をサクッとみてもらう。
占いって、悪い事も言うけれど、ちゃんと救いが用意されていますから、そんなにビビらなくて大丈夫なんです。
〇〇〇のような悪い出来事が待っています。でもそれを回避するためには、〇〇〇をしてください、みたいな救いも一緒に言ってくれるから安心。
あとは、キリスト教のミサに顔を出してみるとか、お寺で座禅を組ませてもらうとか、も気持ちがしっとりと落ち着きます。
まちがっても、新興宗教だけは絶対に止めといたほうがいいです。
足元をすくわれて、引きずり込まれますからね。
時間がある人は、寄る辺なさの原因を探ってみる。
その原因がわかると案外あっさり解決できることがあります。
そんな事ことで気分転換できたら、社会の歯車として真面目に働けば、自然と良い方向に動いて行きますから、安心してください。
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