元カレの結婚式に招待された女性が、教会で指輪の交換をする新郎新婦に向かって『くたばっちまえ、アーメン』と心の中で叫ぶ。
乙女心を描いた歌詞がツボにハマって『ウエディングベル』は大ヒットしたわけです。
1981年に女性3人のグループ、シュガーの楽曲です。
心の二面性、いや多面性なんて全然普通で、優しくて穏やかそうな顔をしながら、超残酷な事や、いかがわしい事を考えていたりするものです。
ウラ・オモテの無い人なんて、そうそう居るもんじゃない。
ここでは人の心に住む、二面性について解説させて頂きます。
結婚したい、ダメなら殺す
あの人と一緒になりたい、でも、もし他の女と結婚するなら殺してやる、みたいな真逆なベクトルが普通に存在します。
アタシと結婚してくれなくても、幸せにさえなってくれればそれでいいの、と言う女性なんてむしろ稀有でしょ。
「他の女と結婚するなら殺してやる」と思うものの、当然殺しなどできない。
一晩枕を濡らし、女友達に話しを聞いてもらい、やけ酒を飲んで少しずつ忘れるわけです。
結局、自分からフェイドアウトするしかない、と判断するものです。
フェイドアウトできないヤバイ奴
でも、フェイドアウトできないヤバイ奴がいます。
ストーカーです。
振られたにも関わらず、諦めきれずに遠くから双眼鏡でじっと元カレとその彼女のイチャイチャぶりを観察する。
望遠レンズで写真を撮り、油性のマジックで落書きをし、カッターナイフで切り刻むんです。
それでも、だんだんと物足りなくなって、元カレに手紙を書き、何度も電話をして、アパートの前で待ち伏せする。
全ての人がそうではないけれど、ストーカー行為がある一部の人に潜在的に埋め込まれていて、あるタイミグで噴出するのが科学的に分かったことで、ストーカー規制法が制定されたんです。
フェイドアウトできないヤバイ奴が、あちこちに存在しているってことなんですね。
ストーカー一歩手前の、まちぶせ
愛が狂気に変わる、がストーカー行為だとしたら、その一歩手前に石川ひとみの『まちぶせ』が存在していますね。
この、裏表ぶりも凄い。
作詞作曲がユーミンで、あの歌詞を書いて世間に発表しようと思ったとき、躊躇しなかったのかなあ、って思っちゃうわけです。
共感されたからヒットしたんでしょうが、とにかく「はしたない」。
念のいった演出ぶりがメンタルの粘質を感じます。
歌詞は想像の具現化だから、アタシは実際にまちぶせなんかしてないわよ、ってユーミンは開き直っちゃえばいいんだけれど、とにかくゲスい歌詞ですよ。
でも、世の中の年頃の女性らは、そうそう、と思ったんです。
キモイと思わずに、女心ってそういうものです、と二面性を認めたんです。
嫌悪感を抱くと精神が病んでいく
少しぐらいの二面性なんて誰にでもあるものですね。
ジキルとハイドともなると、異次元で別のアプローチが必要ですけれど、、、。
下記くらいの二面性(オモテの顔とウラの顔)は案外、あるものです。
ツンデレ
良妻賢母で夜は娼婦のように
高級SMクラブ会員の学校教師
カニバリズムが止まらない
最愛のワイフはニューハーフ
別に他人に迷惑をかけているわけじゃないし、いいじゃないですか。
カニバリズムは、局部麻酔かけて自分の身体から肉を削ぎ落して食うなら問題なし。
でも、ここで自己嫌悪する人がでてくるんです。
たとえば、中学校の国語の教師をしている人が、SⅯクラブの会員だったとしたらどうでしょうか。
仕事とプライベートは別だから、自腹で会費をはらって会員になっているのでから構わないでしょ、と胸を張れる人と、ひた隠しに隠し続ける人がいます。
実際SMクラブって、怪しげじゃないですか。
教職員たるもの、そんなところに通い詰めてたらいけない、と自分の嗜好を否定しているタイプです。
ここで、自己嫌悪を感じ始めるとだんだんと精神を病んでいくんです。
こんな自分が大嫌い
SⅯクラブにしても、ニューハーフの妻にしても、まちぶせにしても、高度に発達した人間の脳がもたらす珍なる味わいなんだ、と科学的に割り切っちゃえばいいんです。
だって、それらを対象にして脳内で幸福ホルモンが分泌しちゃっているわけですから。
なんで紐に縛られて、黒縁のネーちゃんにムチで打たれるのが快感なのかはわからないけど、そういう人が多数いるからSⅯクラブは商売として成立しているわけで、紐とムチが好きな人が世界にたった一人ってわけじゃない。
鉄道模型だ大好きで、新商品が発売されるとワクワクするのと同じように、ロープとムチと黒縁眼鏡のネーちゃんとロウソクとハイヒールが好きな人が居ても全然おかしくないんです。
でも、それらが何よりも大好きな自分が嫌い、と感じたとき気持ちが病んでくるんです。
こんな事じゃいけない、と自分自身を否定し、自尊心を失い、誰にも助けを求めらえずに部屋の隅で膝を抱えて呆然とする。
菅首相のゴムマスクのような顔面
たぶん、菅首相は総理大臣という職業の二面性を痛感しだしたのでしょう。
政治家としてのキャリアは十分だけど、総理としてマスコミの前に立って話す事の二面性を今、まさに感じているはず。
これはボクの本心じゃなくて、言わされているんです、って顔に書いてあります。
総理確定、となったときテレビ各局でのインタビュー番組で「パンケーキが大好きでね、、、」と優しい笑顔を見せていた人とは、今の面構えは全然違っているように見えますね。
まさに、ゴムマスクをかぶったよう。
必要最小限の返答で、後ろを振り向きもせずにスタスタと引き返していく。
総理大臣としての二面性に辟易しているように思えるのです。
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