自立できていない人は強烈なダメ出しで自分の周りに煙幕をはる|違和感があれば親の接し方を思い起こすべき

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自立しろ、と目くじら立てて説教する人がいます。

早く就職先を見つけて経済的に自立しなきゃだめだ、と。

もしくは、精神的に自立できていない。依存し過ぎている、と目に見えぬ部分のダメ出しで人生の先輩ヅラをする人も。

言いたい事はわからないでもないです。

でも、人間すこしくらい他人に依存するくらいがちょうどいいんです。

ここでは、自立を強要する人の実態と、親への依存体質の原因について解説させて頂きます。

 

孤独と自立は違うから

 

自立って一人で生きていくのとは違いますよね。

話し相手もなく、ひとりぼっちで生きるのは孤独です。

自立とは他者の助けが無くても実力で生きていける人の事。

うーん、なんだか分かるような、分からないような。

 

「オマエも成人したのだから、人の助けが無くても生きていかれるように自立しなきゃね!」なんて言われると、一瞬「なるほど」と思うものの、やっぱり腑に落ちない。

「病気になっても医者に診てもらったらいけないの?パソコン壊れたら、自分で直さないきゃだめなの?」

とか思っちゃう。

「食べ物も自給自足じゃないと自立していることにはならない?」とかね。

 

これに対する回答は、金を払っているか、いないか。

その金は自分で稼いだ金か、親からもらった金か、になる。

ここでもまた一瞬だけ、なるほどとなるけど、疑問が浮かんでくるのです。

宝くじや競馬、株、FXで儲けた金だったらダメなのだろうか、と。

『金は天下の回り物』なのだから、経済的な自立なんてものは、普通に働いて生活しているかどうかで判断する程度でいいんです。

 

自立を振り回す人ほど、そこにコンプレックスを抱えている

「自立しろ!」と誰彼構わず連呼する人ほど、そこにコンプレックスを抱えているものです。

マザコンをひた隠しに隠しているような例もありますね。

精神的に母親べったりで、既婚者で子供までいるのに母親離れができない。

いまだに母親からお小遣いをもらっていたりする。

それが本人にとって最大のコンプレックスで、親からの精神的な独立を周囲に声高に叫ぶことで、自分自身の周りに煙幕をはっているんです。

 

自分の言動に自信が持てない。

どこからともなく忍び寄る不安で心穏やかにいられない人なのです。

誰かと一緒でなければ失敗が怖くて物事を進められない。

でも内心、いつもおどおどしている自分が溜まらなく嫌で仕方がない。

成功体験が無く、褒められた記憶も無く、認められたこともないから自分に自信がもてないわけです。

リスクを最低限にするように対策を打っても、怖くていられない。

常に、いつ割れるかわからない薄い氷の上を歩いているような感覚。

 

こんなタイプの人にかぎって、精神的な自立を猛烈にアピールするものなんです。

厳しく他人を取り締まることで、自分が自立できていないのを隠蔽しようとするわけなのです。

 

自立しようと無理に大きな責任を負って疲弊するだけ

普通に歳を重ねていけば、誰だった責任範囲が広がっていくものです。

経験することで社会の仕組みが見えてきますからね。

でも、自立できない人がいるのも事実なんです。

自分が自立できていない、と思ったとき、背伸びをして無謀な行動にでるのだけは避けなければなりません。

無理をしても、疲弊するだけなんです。

自立できてないのには、しっかりとした原因があるからです。

その原因を取り除かない事には、どんな無理を繰り返してもダメなんよ。

 

自立を妨げるものを特定する

自立を妨げるものは;

禁止令

我が家の、のび太君・カツオ君

いつまでもアタシのかわいいボクちゃんでいて

 

だいたいがこの3つが原因で、マザコンになる原因もここに起因しています。

 

禁止令

 

禁止令って言葉はあまり聞き慣れていないかもしれませんね。

どんなものかというと、子供に言動を禁止する「~しちゃダメ」という物です。

これだけなら、普通の親で学校の先生も使いますね。

廊下は走っちゃダメ、食べ物の好き嫌いはダメ、友達を虐めちゃダメ、、、。

でも、子供がお母さんの手伝い(夕食の支度)を申しでたとき、「そうやってニンジンをバラバラな大きさに切られちゃうと、火の通り方が均等じゃなくなっちゃうのよ。手を出さないで」と言うセリフです。

家族でキャンプに出掛けました。

テントを組み立てて、地面に固定するペグ打ちを子供が手伝おうとしたとき、「そうやって下手にペグ打ちすると、横風に弱くなっちゃうんだ。二度で手間だから手を出さないでくれよ」。

こういうのを繰り返されると、自分はダメなんだ、と心に刻み込まれてしまうんです。

 

我が家の、のび太君・カツオ君

 

のび太くんや、カツオくんみたいな子供が家にいると、どこか癒された気持ちになります。

部活で猛練習したけど、試合に敗れてうなだれている子供よりも、家の中の空気は明るくしてくれますね。

受験勉強でピリピリしている子供よりも、漫画本を読んでいる子供を「勉強しなさい!」と叱りつけている方が健全な雰囲気に思えるのです。

でも、実際には試練があって、それに立ち向かい、上手く乗り越えたり失敗したりしながら子供は自立していくわけです。

でも、自分のために子供の成長のプロセスを平坦にしようとする親がいるのです。

「○○ちゃんは、我が家ののび太君だから、仕方ないよ」、「我が家のカツオくん、ワンパクで元気が一番だよ」みたいに、上から柔らかな重石で本人の成長を止めてしまう。

本人は果敢に困難に立ち向かいたいのに、「そんなこと、オマエには似合わないよ」とか「やるだけムダだよ」といって気持ちを萎えさせてしまう。

 

アタシのかわいいボクちゃん

 

「〇〇ちゃんは、お母さんがいないと全然ダメなんだから、、」という母親です。

単に子供を甘やかせる母親のように思えます。

でも、こんふうに先回りして子供に手を貸しているうちに、それが当たり前になってきます。

むしろ、上手く自分でできてしまったら、母親の出る幕がなくなってしまうように思えてくるのです。

そして、気が付いた時には上手にできない‟赤ちゃん“のようなボクでいる事に専念してしまうわけです。

 

まとめ

 

「他人に依存せずに自立せよ」と声高に叫ぶ人ほど意外にも自己が確立できていない事が多いんです。

人に頼らずに自分力だけで生きるなんてとてもできるものではないですね。

それを強いる裏には、自分の依存体質を隠蔽する心理が横たわっているのです。

人は普通に歳を重ね、普通に経験を積んでいくうちに自然と自立してくるものです。

もし、そこに何かひっかかりを感じるとしたら、幼少期から親がどんなふうに自分に接してきたかを振り返る必要があるんです。

悪気なく、いつのまにか子供の心の成長を妨げるように接してきた可能性が高いのです。

自然に身に付いた自立は完全なものではありません。

でも、多少他者に依存しながら、或る程度自立できている程度が丁度いいのです。

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