金を払うからこそ身になるカウンセリング|僧侶の荒行で分泌する幸福感が事態をややこしくする

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小難しい本を2千円も出して買ってしまいました。

新聞で紹介されていた有名作家の新書。

面白そうだと思ったのに、30ページ近く読んでも全然興味が引かれてこないのです。

街の風景とか、建造物の歴史とか、その地方の食文化とかが延々と続くのです。

物語の背景描写と説明がだらだらと。

もし図書館で借りていたとしたら、100%途中で投げていたに違いないんです。

でも自腹となるとそう簡単に諦めるわけにはいかないですね。

誰にでも、こんな心理ははたらくものです。

ここでは、お金や労力を払ったからこそ価値が見出せる、人間の不思議な心理について解説させて頂きます。

 

高価な薬は効き目がある

 

薬、化粧品、サプリメントなんかはある程度の値段じゃないと効き目が無いように感じます。

高けりゃいいってもんじゃないけど、『安かろう、悪かろう』が浸透しているのです。

どうせ買うなら、少しくらい値段が張ってもしっかりとしたものがいい、と感じるわけですね。

それが証拠に、高価な薬は実に良く効くように感じるでしょ。

 

でも、一方で精神安定剤なんかは、プラセボ(薬の成分は入っていないが、本物の薬そっくりにできた偽薬)でも三分の一から半分くらいの人に効果があるといいます。

精神安定剤だと言われて医者からもらって飲むと、だんだん気分が楽になってくる。

 

心理カウンセリングの場合

心理カウンセラーっていう職業の人がいるでしょ、臨床心理士とか。

最近は企業でもメンタルヘルスを気にして、カウンセラーと企業が契約を結んでいるケースも多いんです。

で、精神的に辛くなった人は予約を取って、カウンセラーに相談する仕組みになっているんです。

でも、あれって正直言って、あまり効果ないの。

カウンセラー側は患者の話を聞きながら「精神的に疲労が溜まっているなあ」とか「人間関係に難があるみたいだ」とか気付くんです。

で、それを基にアドバイスをするけれど、思ったほどの効果が出ない。

その理由は、患者が自腹でアドバイスを受けていないからなんです。

会社が診療費用を支払っているから自分の懐は痛まないでしょ。

だからアドバイスに対する姿勢に真剣みが出てこないんです。

 

もともとメンタルカウンセラーからの助言って緩いでしょ。

心が疲弊した人が相手でから、そんなにキツイ事は言わないし、あくまでもカウンセラーだから薬も出せない。

患者側としたら、半ば『ダメでもともと』みたいな態度で話を聞いているんです。

だから染み込んでこない。

これが1時間5000円とかのカウンセリングだったら、絶対に元を取ろうと思って必死になって聞くし、曖昧なところは質問もして、自分のためになる助言を少しでも引き出そうとする。

だから、同じカウンセリングでも、金を払うからこそ効果が得られるってことになるんです。

 

遠方のパワースポット

遠方の人里離れたパワースポットってスピリチュアルに満ちて、力を与えてくれそうに思えるでしょ。

都会から離れた静かで空気の澄んだ環境の方が実際に身体にはいい。

酸素も濃いだろうし、マイナスイオンも豊富だったりもします。

でも、パワースポットとはもっと神秘的でスピリチュアルなものでしょ。

神様が目に見えない力を与えてくれる場所とか、神と意志の疎通ができる空間と言う意味じゃないですか。

本当にパワースポットという場所が地球上に存在するかどうかは知りませんけど、電車で一駅乗って5分くらい歩いた所だと、どうにもありがたみが感じられないんです。

だからたどり着くのにひと手間かかる場所が人間心理としては、受け入れやすいんです。

 

アスリートの世界

アスリートは普通の人にはとても耐えられないような練習を繰り返しますね。

それによって、実際に実力がついてくるわけです。

でも一方でメンタル部分への影響もかなり大きいはずなんです。

あれだけの練習に耐えてきただから、絶対に負けるわけがない、と苦行が自信を支えてくれているという図式です。

お坊さんが修行と称して滝に打たれたり、1週間もの断食を試みたりするのは、それによって仏陀に近づけるという解釈ですね。

これを噛み砕いて優しく表現すると、「辛い修行に耐え抜いた、イコール、それと釣り合うだけのご褒美がもらえる」と言う解釈です。

ところが、荒行と釣り合うだけのご褒美が実際には存在していて、それが事態をややこしくしているんです。

 

真面目人間が好む平等感

「努力はいつか報われる」という度真面目な平等感がお坊さんにも流れていて厳しい修行がその人の精神世界に悟りをもたらすと考えているんです。

それはスピリチュアル的な見解だけではなく、科学的にも頑張った証のご褒美が準備されているんです。

実際には、精神世界の悟りをひらいとか、神の存在を感じたとかいうことに繋がってしまうのですが。

 

修行僧は修行をやり切った、と思った瞬間に強烈な満足感で仏陀に一歩近づいたと自己暗示をかける。

と同時に、ランナーズハイで分泌されるエンドルフィン(脳内快楽物質)による幸福感を感じているわけです(最近はランナーズハイはカンアビノイドという物質も発見されています)。

強烈な苦痛を和らげる目的で脳内に分泌されるエンドルフィンが、宗教の荒行の際にも分泌されることで悟りと結び付けてしまうという事なのです。

すると、努力して厳しい修行に耐えた者には神からのご褒美が与えられる、と修行を肯定する解釈が現実となっていくのです。

 

まとめ

 

『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』的な平等感が一番安心できるんです。

少なくとも、我々日本人は。

一方的に得をしつづけると、人生の最後の最後に手痛い天罰が下る、とうい漠然とした不安が拭えないものなんです。

心理カウンセリングでも、身銭を叩いて受けるのと、無償で受けるのとでは、その効果に雲泥の差がでる。

苦労して働いて得たお金を注ぎ込むからこそ、そこから得られるものがなぇればならないと必死になるのです。

厳しい練習に耐えたのだから絶対に負けるわけない、という自信が湧き上がってくる。

だが、人類が進化する過程で辛すぎた時に、ほんのひと時だけ痛み・苦しみから解放させてくれるエンドルフィンが、神の存在へと進化してしまった可能性があるのです。

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