よし、オマエやってみろ、みんな期待しているぞ!
イエー!(拍手–パチパチパチパチ、、、)
みっ、みんながオレに期待を寄せてくれている、、、。
最高に嬉しい、人生最大のハッピー、イエー!
こうなってくるのです。
期待されると最初は凄く嬉しいのです。
それが、日が経つにつれてプレッシャーに変わっていくの。
怖くて仕方なくなってくるんです。
ここでは、期待がプレッシャーにかわったとき、どう気持ちを支えるかについて解説させて頂きます。
みんなの応援が勇気に変わる
先発ピッチャー、テニスのシングル戦、レスリング、柔道、、、、の勝負事です。
いざ試合が始まると、みんなの応援は確実にモチベーションを上げてくれます。
「期待している」という周囲の気持ちは「頑張れ!」という応援に変わり、さっきまでのドキドキや、どうしようという不安はどこかに飛んで行ってしまうのです。
試合が始まってしまえば、応援しながら見守ってくれているのが安心感に変わって、これほど心強いものはないのです。
期待されるのがプレッシャーになるなんて、試合前の事。
始まってしまえばこんなにありがちものはないのです。
気持ちの変化はみんな同じ
期待されて嬉しくなるのも、少し時間が経過してプレッシャーに感じるのもみんな同じなんです。
よっぽどのへそ曲がりじゃない限り、こういう気持ちの流れを経験するものなんですよ。
人って自尊心を腹の底に持って生きているでしょ。
自分は周りから認められていると、己れを誇りをもって日々暮らしていいるのです。
この自尊心が低い人は、いつも肩身の狭い思いをして生きているんです。
自尊心がないと頑張れないから、必死になって周囲にアピールするんです。
少々リスクがあっても、周りに認めてもらえるようになるのなら、と無謀な賭けに打ってでる人も少なくないんですよ。
だから「期待している」のひとことは人間の自尊心をくすぐるわけです。
モチベーションがグイーッと上がるわけです。
だんだん不安になってくる
時間が経つにつれて不安な気持ちになってくるのも、みんな一緒です。
あれだけ期待されているのだから上手くやり遂げなければならない思う一方、実際には何が起こるかわからないって心のどこかで思っていて、し合当日が近づくにつれて表面に滲み出てくるものなのです。
当日、急に体調が悪くなったら困るなあとか、パニックで頭が真っ白になってしまったらどうしようとか不安が増してくるわけです。
アスリートが感じるプレッシャーって期待が大きければ大きいほど辛くのしかかってくるものなのです。
がっかりさせるわけにはいかない。
ぶざまな姿は見せられない。
超一流のアスリートでさえ怖くてその場から逃げたくなるといいます。
『恥も外聞もなく』って言いますが、どんなに辛くても逃げずに立ち向かうのは自尊心があるからなんです。
明日、大きな天変地異起きないかなあ
中学生の頃に学校で中間テストとか期末テストがあるたびに、学校が家事にならないかなあ、なんてバカな事を考えたものです。
逃げ出す事はできないけれど、学校が燃えてしまえばテストはなくなる、という子供じみた考えです。
ボクシング等の格闘技系のアスリートは、不安を打ち消すために‟ビックマウス“で試合相手を揶揄します。
「オレとあいつじゃ格が違う。1ラウンドか2ラウンドで失神KO、楽勝だぜ。覚悟していろよ、このポンコツ野郎!」って。
内心ビビっていて、不安でしかたないのを、大口をたたくことで自分を鼓舞しようとしているんです。
気が強い格闘家だとしても一流アスリートで、しっかり厳しい練習や減量に耐えてきているわけですら、口汚い罵りを本音で言っているわけはないのです。
どこにも逃げ道はないぞ、って自分で自分を追い込んでいるわけですね。
プレッシャーが心強い応援に変わる
いざ試合が始まってしまうと、大舞台ゆえのプレッシャーで多少硬くなることは有っても、選手の脚を引っ張るなんてないのです。
試合前の応援がかりにプレッシャーでメンタル的に負担になっていたとしても、試合の開始と同時に大声援に後押しされて勇気が出てくるものなのです。
100%逃げられないと腹をくくった瞬間から、自分の味方はどんな些細なことでも力になってくれるのです。
最初は自尊心をくすぐられて有頂天になり、次第に不安で心が弱ってきたのをなんとか試合まで持ちこたえれば、後は実力を発揮するだけです。
応援が心強く感じられ、自分のために回りが声を出してくれているのに感謝するわけです。
心細さにいっとき沈められそうになるのは誰も一緒なんです。
自分を騙し騙しのりこえて、勝負に出ればプレッシャーだった周囲の期待が、一転して味方についてくれるのです。
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