「世の中、理不尽すぎる」とギシギシ歯ぎしりしているのに、周りからは「「いい人」というレッテルが貼られているのです。
息苦しい。
こんな人は少なくありません。
特に日本人は、「ウソついたら針千本飲ます」の価値観で育っています。
真面目で、弱者に親切するのを生きる上でのマナーと教え込まれているのです。
だから、それを本気で貫こうとするから無理がでてくるのです。
深く悩まずに、あくまでもマナーの位置づけと思っていればいいんです!
心の底から自分が親切な正直者だなんて思っていなくて全然いいの。
日本人にだって本音と建前かあるのが当たり前。
ここでは、真面目で良い人というレッテルを貼られて生きづらく感じている人を解放する方法をご紹介します。
引込みがつかない状態
「ワタシは良い人なんかじゃない!」と大声で叫びたいのですね。
心の叫びをみんなに浸透させて楽になりたいのですね。
良い人、優しい人、頼りになる人、何でもそつなくこなせる人、ウソをつかない人、という評価が重荷になって押し潰されそうなのです。
そんな神様みたいな人、いるわけがないじゃないですか。
みんなとっくに分かっているのです。
その上で、アナタに超善人のマスクをかぶらせて利用しているのです。
模範人間として祭り上げて、引っ込みがつかないようにしておいた方が都合が良い、と思っている人が周りにきるのです。
だから、一刻も早く本音をゲロっちった方がいいのです。
無理しないで、と言ってくれる人
アナタの友達思いの言動を見て、「無理しないで!」と言ってくれる人がいるでしょ。
親や兄弟はいちばん近くの存在だから、アナタの無理と頑張り過ぎに気付いているはずです。
部活で一緒に汗を流し、クタクタに疲れた身体を引きずるようにして共に下校する親友も気付いているかもしれませんよ。
まずは、そういう相手に本当の気持ちを打ち明けるのです。
ワタシは良い人なんかじゃない。
本当のワタシは、嫌だけれど断れない『ええカッコしいの性格』で、自信がなくて優柔不断なのをカモフラージュする為に、自分の意見を言わずにまとめ役に徹してきたのだと。
アナタに、無理しないで、と言ってくれる人に本心をしっかりと伝えて、周囲から誤解されているのが辛いと打ち明けるのです。
アナタの心の葛藤
良い人と思われている方々の葛藤を列挙してみます。
「なぜ、そんなことがわかるんだ?」って思ったでしよ。
良い人と思われつつ、その心の葛藤と戦っている心情ってみんな同じなんです。
全然難しい事ないんです。
そういうふうに人間ってできているのですから。
- 自信がないのを隠しているのが辛い、みんなと一緒に悩みたい。
- 優しさをモットーとしているからノーと言えない。でも本当は断りたい事がいっぱい。ワタシばかりに押し付けないで!
- いつも前向きで積極的にみんなを引っ張るけど、そんな気分じゃない時だってたくさんある。ワタシについていけばいいなんて当てにしないで!
- 自分より友達を優先にしているけど、家に帰れば真逆。自分の事だけで手いっぱい。人の事なんて構っている時間はないの。
- 場の空気を読んで臨機応変に対処しているけど、ワタシだって羽目を外したい時はある。イヤイヤやっているのがなぜわからないの。
- 素直で思いやりがあるのは表の顔。嫌いな人もいるし、こっちの親切を当たり前のように受けるなら、金輪際、そういう人とは関わらない。
親切な人だと思われたい
他人からどんな人だと思われたいですか?
普通はこんな回答が返ってくるものです。
- VIP扱いされたい
- 影響力のある人と思われたい
- お金持ち/セレブと思われない
- 頭のキレる人と思われたい
- ピュアで親切な人だと思われない
この最後のピュアでイノセントで親切というのは、誰でも演じられる化身の姿なのです。
腹の底でどんなにいかがわしい事を考えていようが、普段どれほど意地汚かろうが、そんなことはおくびにも出さずにいられるのです。
でも、継続するのが厳しい。
最初は良くても、だんだんと疲労・疲弊してくるのです。
たいていの人は、途中でギブアップして正体を現すでしょ。
いい例が結婚したあとに豹変する女房です。
「あんなに可愛かったのに、今やこの世で最も恐ろしい存在です」と。
この化けの皮が早々に剥がされてしまったほうが健全でいられるのに、もう引っ込みがつかないとやせ我慢し続ける人がいます。
それは本当の自分には価値がない、と思っているからなのです。
自尊心を満足させる成功体験がなく、親からも褒められたことのない人は、たまたま親切にした相手から言われたお礼に手応えを感じてそこに足を取られるのです。
『飾り気がなく正直で誰に対しも平等に親切な人』というレッテルが勲章のように感じられるわけです。
「本当に助かった、またこの次もお願いね、期待しているわ」という賞賛に自分の存在価値を見出し、人生の手応えをおぼえるわけです。
自尊心が低い人ほど、他者からの感謝や賞賛に溺れ、引っ込みがつかなくなってしまうのです。
我が身は二の次なんてウソ
自分よりも他人を優先するなんてできませんね。
よっぽどそこにいる人が困っているなら別ですけど、いつもいつも他者優先なんてあり得ないでしょ。
それこそ自滅志向になってしまう。
我が身をさておいて人のため尽くすのは、自分に余裕がある時なのす。
余裕がなければ先ずは我が身です。
それが普通なのだと自覚しなければウソの自分からは抜け出すことはできません。
でも、そうしてしまうとまた自分は価値のない人間へと落ちぶれてしまう、と怖くなってくる。
問題の核心はここなのです。
自分が価値のない人間だと考えている事なのです。
ジレンマとジャッジメント
ウソの自分を捨てたいと考えているわけですね。
「ワタシはみんなが思っているような素晴らしい人間じゃないんです」と叫びたいわけですね。
それでいいのです。
それなら何もかもさらけ出せばいいのですよ。
ウソの仮面を外して、本当の自分を見せたところがスタートラインです。
でも、ここで覚悟を決めなければなりません。
アナタの心の構造を説明します。
そもそも、何かが原因でアナタは自尊心がとても低い人間として生きています。
その理由はわかりません。
その理由が正しいのか間違っているかも今となってはわかりません。
アナタが自分の価値に気づいていないのか、本当に価値が無いのかもわかりません。
とにかく、自分には価値がないと思い込んでいるということです。
だから、それを認めたくなくて周囲人たちにウソの自分を見せ続けてきたわけです。
優しくて、人の為に働き、ウソをつかない正直者を演じてきたわけです。
まずは、その仮面を剥がして本当の自分を見せ付けるのです。
そのとき、周りはどんなふうに反応するかで、あなたは自尊心を得られるかもしれないし、本当に自尊心の無い人間になるかもしれません。
本当ジャッジです。
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