仕事の失敗を自ら被る上司がいます。
部下の失敗は自分の責任というスタンスの人ですね。
もう一つは、失敗の原因をチーム全体の連携ミスであるかのように自分の責任を薄めるタイプ。
後者の上手いところは、誰にも責任を押し付けないところにあるのです。
連携ミスだから、おのおの個人に落ち度はないと各自を肯定しておいて、横の連携に不手際があったと、まとめ役の自部の落ち度に煙幕を張るという技術ですね。
こういう上司って多いですよ。
ここでは、他者を自分の道具として利用する上司について解説させて頂きます。
いかにも自分の義務は全うしたかのような言いっぷり
かつて、こんな上司がいました。
取引先から電話がかかってきて上司がクレームを受けると、血相を変えて飛んできて、電話口で受けた相手の言い分を並べたてるのです。
取引先側に落ち度があって、それが招いた問題事かもしれないのに、必ず言うセリフは、
「この事態を招いた原因を1から100まで可能性のあるものを全て書きだせ」と。
1から100というのはものの例えで、すべてもれなくという意味なのでしょう。
この言いっぷりが、こちらの反論を全てシャットアウトして、いかにも自分は上司として管理義務を全うしているかのように聞こえてムカつくわけです
失敗の可能性はゼロにしておくのが鉄則と
「取引先に口頭で伝えたのが勘違いの元だったかもしれない」
「大事な打ち合わせが二つ重なり、一つを不慣れなアシスタントに任せてしまった」
「不測の事態に備えた、余裕代をもっていなかったため、日程が徐々に厳しくなっていった」
等々、こんな事柄がズラズラと並ぶわけです。
すると、これに対してこんなふうに責任を押し付けてくるわけです。
「小さな不手際が積もり積もって大きな失態となるわけだ。たとえ取るに足らないような事であったとしても、おざなりにしてはいけないな。」
100%自分が正しいなんてことは滅多にないのです。
自分の行動を謙虚に振り返ってみれば、多少なりとも自分の不手際が見えてくるのです。
それを口に出したら最後、負けなのです。
謙虚になればなるほど自分のクビを絞める結果を招くのです。
この上司のやり方は、実態とは異なるびびたる不手際を羅列させ、そこがいけなかったのだと責任を押し付けてくる。
いわば『言わせたもの勝ち』という作戦なのです。
微塵も自分には非はない、と言い切らない謙虚な日本人の性格を利用するやり口なのです。
部下を自分の道具のように使う上司
直球勝負で相手を批判したり、面と向かってクレームをつけるのが怖いから部下に自部の思いを言わせて先方の反応を見ようとするわけです。
取引先の人や社内の人に、おぞましいほどの卑劣な疑いを抱きつつ、そっと部下に鎌を掛けさせる。
部下を自分の道具のように使うのです。
底知れぬ悪意を相手の中に想像しながら、電話ではにこやかに談笑しているあたりが、相当の二枚舌だと思えてならないのです。
他者からどう思われるかを異常に気にするタイプの人間。
部下に対しては、ある時は正論一点張りでグイグイ押してくる。
また、ある時は謙虚さを利用してこちらを追い詰めてくる
そんな事を考えていると、自分はいったいどう思われているのかと思えてきて、鳥肌が立ってくるわけですね。
実力の無い張りぼて
部下を道具のように使い、自分は当たり障りなくにこやかでいる。
でも、他人からの評価が気になって仕方がないんですね。
不手際は全部部下のせいにして、常に自分の身は潔白にしておかなければ落ち着いていられないんです。
非がある状態ではいられないのでしょう。
自分のマネージメントがなっていないのを反省するのが怖くて、状態の悪さを論理的に突き詰めさせたり、時系列にそって整理させたりして己をごまかしている。
自分に実力の無いのに気づいていながら、その無力感を認めてしまったら今そこにいる存在価値が消えてなくなるように思えて怖いのでしょう。
他人を道具として使うのは、実力のないのを補うためで、非を全て他者に押し付けるのは自尊心を保つための手段なのです。
彼を見ていると、なにもかも親が面倒を見てくれた過保護な成育環境が浮かんでくるのです。
何かを成し遂げたときの達成感もなく、試練から立ち直った経験もなく、他人を利用してそつなく生きる術だけを身に着けた張りぼてのように見えるわけです。
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