ほうら、こっちの方が楽でしょ。
あれも、これもと雑務に埋もれてしまうよりも、ひたすら祈ればアナタの声は届きますから。
アナタの本当の価値はアナタご自身の中にあるのです。
だから周りの人の事は気にする必要などないのです。
祈りに集中することが、一番なのです。
マインドコントロールはこうして、人の視点を固定してゆくのです。
周囲とのバランスと整えながら人は正しい道を進むことができる。
目を奪われてしまうと自分の判断が出来なくなってしまうのです。
ここでは視点を固定して人を意のままにマインドコントロールする者について解説致します。
単純化して判断基準を奪う
人を意のままに操作しようと思えば、その人から判断能力を奪ってしまえばいい、と言います。
『人の振り見て我が振り直せ』というように、他者との差異をみて自分を至らぬさや、出しゃばり過ぎの醜さを修正しながら人はバランスをとり、ほど良い状態を保とうとします。
それには目、耳、鼻などのセンサーとしての役割を担う機能が必要であり、さらに得た情報を解析する脳も同時に不可欠なのです。
センサーを奪うところからマインドコントロールが始まる
判断情報を取り上げてしまうとは、センサー機能を奪う事につうじますね。
すなわち視点を固定するということです。
周囲を見せない。
他者と自分の相対的な比較をさせないのです。
人は生きる上で複雑な思考を保ちつつ、忘れものをしないよう、取りこぼしの無いよう細かな注意を常に払いながら前に進んでいきますね。
ときには、後戻りして間違いを修正してから再び前に歩きはじめるのです。
とても、厄介で神経の疲れる思いも珍しくないのです。
が、ここで単純化による視点の固定化が行われると、肩から荷物を降ろされたような錯覚に陥ります。
楽な方法を推奨され、その方がより生きる価値がある道なのだと説かれたとき、そこにある種の魅力を感じずにはいられないのは、本来人間がシンプルな物に惹かれるからなのです。
ただひたすら祈ればよい。
それこそが全人類の幸せに通じるのだと教え込まれる。
「それでいい、その調子で引き続き頑張りなさい」と声を掛けられ視点を固定されてしまうのです。
脅しで判断能力を麻痺させる
外部情報から遮断し、視点が自分にだけ向くようにしてしまえば、時たま脳裏をよぎる疑問や、ふとした思い付きを封じ込めてしまえば良いわけです。
ここがマインドコントロールをする側にとっては一つの掛けとなるのです。
なぜなら、下手をすると反感を買いかねない行動に出る局面だからなのです。
外部の情報から引き離され、だいぶ弱ってきてはいるのです。
だから、ここで「長い物に巻かれてしまう方が得策なのだ」と思い込ませてしまえば成功なのです。
余計な詮索をした瞬間に。いつも優しい人が間髪入れず怒鳴り散らした。
それは今まで一度たりとも見せたことのない厳しい表情だった。
これを、どう感じるかが問題なのです。
普段、穏やかな人を怒らせてしまった。
もう金輪際、余計な事は言うまい。
黙って黙々と言われたとおりにしている方が得策だ。
こう思わせれば。マインドコントロールは成功なのです。
時間の経過とともに、ますます深くコントロールされていくのです。
理不尽と思える事をかみ殺せばかみ殺すほど、コントロールされていくのです。
無意識に反発を避けるようになっていくのです。
が、もし怒鳴られたとき「なぜ、自分が怒鳴られなければならない?おかしいじゃないか。ここでは言いたい事を口に出す事が許されないのか、と反発すればコントロールから逃れることができるのです」
いままで外部との接触を全て絶たれていたことに疑問をもち。現実の複雑な問題をすべてないがしろにしてひたすら祈りを捧げることに奇異を感じるのです。
こんな祈りで実社会の荒波を乗り切ることなどできるわけはないとはたと気づくわけです。
どっぷり浸かって逃げられない
カルト宗教にどっぷりと浸かって逃げられないのは、さらにこの後の行動があるからなのです。
人には自尊心があり、自分の行動が正しいと思いたいわけです。
その行動が一貫していて、積み重ねに重みが加われた加わるほど否定できなくなってくるのです。
自分は誤った行為にずっとエネルギーを注ぎ込んでいたのだと、素直にムダを認める事などとてもできないのです。
100時間祈ったひとよりも、200時間祈った人のほうが、より深みにはまっているのです。
一度でもカルト教団が販売する物品を買ってしまった人よりも、二度、三度と購入を重ねてしまった人の方が重症化してくるのです。
1円でも多く注ぎ込んだ人の方が逃げられなくなるという仕組みなのです。
買ったという行為を否定したくないという心理が働くわけです。
マインドコントロールを解くためには
マインドコントロールとはウナギ捕りの仕掛けのようなものです。
竹で編んだ細長い筒で、入ったらさいご逃げられぬよう途中に忍び返しのような鋭いささくれができているんです。
ウナギの身体のぬめりでスルリと侵入できるけれど、逆に脱出するには全身に鋭いひっかき傷を負わなければならない。
一心腐乱に祈りを重ね、数百万、数千万円の大金を投げ売った相手が真っ赤なニセモノだったのだと知り、辛い後悔を味合わない限りそこから抜け出すことはできない。
それも今すぐでなければ一生かかっても抜ける事などできないのです。
時間が経過すればするほど深みに落ちてゆくからなのです。
【広告】
人気記事
【広告】