いつも体の不調ばかりを訴える人がいます。
「胃の具合、全然良くならないけど、とりあえず取引先に顔だしてくる」と言って事務所を後にする同僚。
「昨日、一睡もできなかったけど頑張って出社した。あー身体がだるくて仕方がないわ」とぼやくOLさん。
こんなネガティブでマイナスなひとことが、周りの人の嫌な気分にさせるのです。
“また、あんなこと言っているよ、あの言い訳がましさウンザリだ”、と。
ここでは、ネガティブ思考による心の二重構造の解き方を掘り下げてゆきます。
同情と言い訳というネガティブ思考
自分の体調やメンタルが万全でないことをほのめかすのが好きな人は、同情してほしいとか、もし上手くいかなかったときに言い訳に使いたいという心理が働いているのでしょう。
身体の調子が悪い自分に仕事を任せたアナタが悪い、という論法です。
もしくは、もう少しマイルドに「身体の調子が悪かったのだから、うまくいかなくても仕方がないよね」と同情してもらおうという作戦。
いずれにしろ、しくじったときの安全ネットを自分の身体の下に張り巡らせておきたいという心理です。
仕事で一旗揚げて大々的に自己PRをしようという野心を持っていても、ネガティブ発言をする人は失敗時の言い訳や後始末が潜在意識として抱えているようです。
だからイメージトレーニングで徹底的に成功したときの感覚をしみこませておかないと、
肝心な時にみずから失敗へと走ってしまうことがあるのです。
テーピングのプロ
高校時代の遥か昔の話で恐縮です。
野球ってユニフォームを着てプレーをするから、その下にどれだけ頑丈なテーピングをしていても外見にはわからないんです。
だから、野球部の連中は肉離れ、打撲、捻挫程度はテーピングでガチガチに固定して監督にバレないようにして試合に出ようとするんです。
体調不良なんて口に出したら、試合に出させてもらえなくなるでしょ。
つねに絶好調アピールでスタメンを狙うわけです。
この時の選手の心理は、あれだけ厳しい練習に耐えてきたんだから、本番で実力を試したいという気迫です。
「怪我をしていたら実力を出せないじゃない」、と思う人もいるでしょ。
確かにその通りで太ももとか肉離れしてたら普通なら痛くて走れないんです。
でも湿布を貼って、テーピングで筋肉をがっちり固めて、鎮痛剤を飲んでガンバルわけです。
失敗したら、その言い訳として「じつは肉離れをテーピングで固めていました」なんて絶対に言えないんです。
もちろん、怪我をしているのに試合に出たらチームに迷惑をかけることになる。
そこが、自分の中の葛藤となるんです。
禁止令という心の二重構造が幸せを阻む
ネガティブな発言をする人のなかには『禁止令』が心に刻まれてしまっている人がいます。
子供の頃に母親から「〇〇〇君はお母さんがいないと、何もできないのだから、、、。」と過保護に育てられると、それが本当になっていくのです。
母親が横にいて見ていてくれていないと、学校の宿題すら一人ではできない子供がなってしまうんです。
もちろん、一人では留守番すらできない、電車に乗れない、買い物に行けない、、、、・
『母親なしでは何もできないボク』が本当になってしまう。
「〇〇〇君は頭はいいけれど、運動はからっきしダメね。将来が大学教授か博士かしら」と言われて育った子供は、運動が得意になってはいけないという禁止令に頭を押さえつけられて育っていくのです。
学校の体育の授業でサッカーで得点を取ったとしても、母親は褒めようとはしません。
「たまたま転がってきたボールを蹴ったらゴールに入ってしまったのよね」と。
それに子供は同意しつつ、金輪際絶対にゴールを決めてはいけないと心に誓ってしまう。
よくあるのは、夫婦仲の悪い家庭でありながら、子供が病気になったときだけ夫婦喧嘩が一旦停戦し、子供の好物が食卓にならんだりする。
すると子供はいつの間にか病弱になり、夫婦喧嘩の停戦を促すようになっていく。
ネガティブ発言からダメ人間へ
親から与えられた禁止令は、子供の自己解釈でどんどん膨れ上がっていきます。
「運動は苦手だけれど、頭はすこぶるキレる」という母親のイメージに背中を押されて生きてゆくのです。
精一杯やった結果が大切なのではなく、親から与えられた型にすっぽりはまるのを良しとするようになるのです。
ネガティブ発言は、どっちにも転べる点で、とても便利なのです。
上手くいけば、ハンデを背負いつつ成功したと胸を張り、失敗すればハンデを失敗の原因にすればいいのです。
事が終わったとき、事なきを得たと、ほっと胸を撫でおろす事はあっても、すがすがしく深呼吸する気持ちとは程遠い人生なのです。
自分の人生が自分の物ではなくなる
ネガティブ発言・マイナス発言は生きている過程のどこかで感染したウイルスのようなものです。
親からの禁止令が発端の人もいれば、みんなの前で赤っ恥をかいたのがきっかけの人もいます。
いつもいつも計算や漢字の書き取りを間違える“慌てん坊”ぶりをちゃかされたのが原因の人もいます。
不出来や間違いは誰にでもあって、謙虚に反省すべきですね。
でも、反省のしすぎは良くないのです。
反省の裏には間違えた事への悔しさや、恥ずかしさがあって、次はきちんと間違えずにやり遂げるぞ、と心を引き締めるの程度が丁度良いのです。
反省しすぎて、悔しさ・恥ずかしさを感じるのは二度と御免だ、とロボットチックに考えた末に変なクセがついてしまうんです。
間違えたって、もともとハンディキャップがあったのだからと自分にウソをつくと、そこがネガティブ発言への入り口となるのです。
ダメだった時のために予防線を張っておこうと、二重構造を作ろうとしてしまうのです。
まとめ
無意識にネガティブな言葉を発してしまう人は、自分の言葉に注意深くなってください。
もし、「どうせ、もともとやる気ないし」とか「結果がダメだって大勢に影響ないし」とか「今日は調子わるいから」とか、そんな言葉が頭をよぎったり、口をついてでてしまったとき、「いやちがう、自分はいまから精一杯努力するのだ」と上書きしてください。
そこから自分との勝負が始まります。
負ける気などサラサラない。
勝つために来たのだから、全力で行くんだ、と。
そうする事で、本当の自分が見えてくるのです。
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