そこまで一人で頑張らずに、誰かを頼った方がいいよ、って思う人を、見ます。自分の事で迷惑をかけたくないから、一人でやり遂げなければ、と責任感が強い人です。
かと思うと、他力本願の無責任なのもあちこちにる。
何でも他人の力を利用して対処しようとする人たち。
どちらも生きる上では合法なんですけど、バランスが悪いですね。
ここでは、後者の他力本願な人間について解説させていただきます。
他力本願とは
本来の他力本願は仏教の教えからきているんです。
そこまで溯ると話が浮世離れしてきますから、仏教における他力本願を知りたい人はスマホで検索してみてくださいね。
話を戻し「生まれつき他力本願な性格の人間がいるのか?」って疑問が湧いていきます。
普通の感覚だと、親や兄弟、友達が自堕落で、いつも他人に助けてもらいながら綱渡り的に生き延びるのを見て、いつのまにか自分も同じような生き方をしている、と思うでしょ。
確かにそういう人の方が他力本願には多いですね。
身近な自堕落人間に染まってしまって、いつのまにか他人に依存してしまうタイプ。
多くは怠慢から染まっていく
あんな生き方出来たら楽だよね、と周囲の手を煩わすのがだんだんと巧妙になっていく。
アタシわかんなーい、みたい甘え上手とか、
これはキミにしか出来ないか難関な問題なんた。ひと肌脱いでくれないだろうか、
という口車に乗せて他人を操作する、など。
こういう手法って、人間の本能を揺さぶるノウハウが込められているでしょ。
①若い女性から甘えられたい、という男性本能
②他人から頼られ、必要な人間だと思われたい
生まれつきの他力本願がサイコパス
人間の本能を利用して人を動かす人は生まれつき他力本願が身に付いているといえるんです。
困り果てた結果、他人に頼るんじゃなくて、楽だから他人を利用するというタイプね。
それも、相手が嫌がらずに率先して加勢してくれるように仕向けるんです。
これがサイコパスです。
効率重視でどうすれば最もスピーディーに、かつ確実に目的を達成できるかを考える。
サイコパスには自分で手を下すという選択肢もあります。それと並列に誰か別の人間にやらせるとう選択が最初からあるの。
自分の手が一杯でやる時間がないから手伝ってもらうと言う考えではないんです。
この一言で相手は尻尾を振ってやる気を起こすんだから、やらせちまえみたいな感覚です。
何を言えば、相手が動くかが生まれつき感度よく読む力があるから、自分でわざわざ動くのが馬鹿らしく思えている人間です。
使えなくなったら切り捨てる
“できるかどうか定かじゃないけど、まずは思い切ってやらせてみるか!”ってタイミングがありますえ。
テレビで年に何回か放送される『はじめてのお使い』の大人版みたいな雰囲気ね。
もしできなければ、こいつは使えない、って切り捨てるのがサイコパスのやり方です。
成功体験を積み重ねさせて、育て上げるなんてことはまず考えないの。できる奴の力を利用するだけ。
だから絶対に失敗できない大切な事柄を任せる場合には慎重に人選するか、自ら手を下すか、自分との共同作業で終始ミスのないように見守るかなんです。
だから冒頭の、自分に与えられた仕事を最後まで自力でやり抜こうとする人がサイコパスに目を付けられてしまうと際限なく利用されてしまうんです。
助けられてしかるべき人を、逆に自分のために使うんです。
なぜ自分の責任で生きられないのか
サイコパスは頭の回転が速く、人の心を読むのが得意です。
何を言えば自分の味方になってくれるかを素早く判断して、相手を思いのままに操作するのです。
これが子供の頃からいとも簡単にできるから、生きる手段として物心ついたときから使い続けているんです。
絶妙のタイミングで褒めたり、優しい言葉を掛けたり、救いの手をさしのべたりしながら、歳を重ねるごと他人を操作するコツがどんどん神がかり的に上手くなる。
自分の時間とエネルギーを注いで物事達成するのも、赤の他人を使って達成するのも結果が同じなら人を使うほうが断然効率的だと考える。
余った時間を使って、別の目標にチャレンジできるのだから。
サイコパスは他力本願を決して悪い事と思っていないのです。
むしろ、それを遣わずにいじましく自分の時間を浪費するほうがバカバカしいとすら考えているのです。
【広告】
関連記事
【広告】