最後には自分が誰なのかさえも思い出せない状態に陥るアルツハイマー病。
そこに魂は宿っているのでしょうか?
人が死んだ瞬間に、魂はその肉体から抜け出て、また別の肉体へと移り住むとの輪廻転生説があります。
逆に、人生は一回きり。“自分がいまここに存在しているという意識”は死が訪れた瞬間に突然消滅して無と化すとの現実派もある。
ここでは肉体は生きていながら、自分の存在が自覚できないアルツハイマー病を例題として、魂の存在の神秘を探ってゆきます。
我思う故、我ありとは
自分を意識できている事が「すなわち自分が存在している証」とデカルトは説いたんです。
死んでしまえば何も感じない。だから自分は存在していないのだと。
「死んだ自分の姿を天井の片隅からじっと眺め降ろして、そこで初めて自分が死んだのだと魂が死を受け入れる」などありはしない、という考え方です。
「死んだら、この自分はいったいどうなる?」という疑問や恐怖があって、それを落ち着かせるために“生まれ変わりの説”を誰かが考え出したのです。
死んだからと言って、そこで全てが終わりじゃなくて、また別の人生がはじまるんだという希望で不安や恐怖を追い払ったの。
魂は永遠だから、現世のおこないが来世にも引き継がれる、と安心感をあたえ、悪い行いを戒める効果が付加されたんです。
自分が何者かわからないアルツハイマーの魂って?
アルツハイマー病の末期。
自分が何者かさえ定かではない状態です。ベッドに横たわり、患者に付き添う伴侶の顔を見ても、それが誰だかわからない。
原因は脳の萎縮といいます。
が、輪廻転生説が正解だとすると、死んだ瞬間に魂が肉体から離脱して、それまでアルツハイマーで何も把握できなかったのに、急速に脳機能が復活して現実を理解しえるのか、という疑問が浮かんでくるんです。
「いやいや、そうじやないよ。魂とアルツハイマー病は一切無関係。アルツハイマー病は脳の病気で魂は正常なんだ」という反対意見も想像できます。
しかし、それなら生きている間に脳がアルツハイマー病に於かされても、正常な魂が現状を正しく把握してくれていなければおかしいではないか。
なぜ、死んで魂が肉体から離脱した瞬間に、魂は現実社会を正しくとらえるのか。
現実の社会を、ありのままにとらえるのは脳の仕事ではないか。
魂なんて嘘っ八なんだ、という意見。
魂に脳の機能を付与することで、どうも議論が空回りしてくる。
魂は脳じゃない
自分の存在を自覚しているのを魂だと想定するとわけがわからなくなるんです。
自分を自覚しているのは脳なんです。
だから死んだ瞬間、脳が機能をストップしてパチッとテレビの電源を切ったように画面から映像が消えるんです。
生きていた実感とか、それまでの記憶とか全部消えるんです。
霊魂って死んだ人の魂の事でしょ。という事は生きている人にも魂はあるという事。
でも生きているうちは魂なんて意識しないですね。
人が死んで、脳を含めた全ての肉体が火葬されて、物理的に脳が機能するわけない状態になったとき、「ワタシはいったいどういう状態になるの?」と恐怖を覚える人がいるわけです。
死を考えると怖くなる人は全身麻酔と思え
「死んだら自分はどうなる?」って不安になる人と、「死んだ瞬間に何もわからなくなる」ってドライに割り切る人がいます。
「何もわからなくなるんだから、別に怖くたない」とは裏腹に、それがどういう状態なのかを考えるともっと恐怖がますのかもしれません。
「無になる」が恐怖でない人の心情を言葉で表現すると、「死、イコール全身麻酔みたいな物」ととらえているんです。
全身麻酔で手術を受けている最中は自分とは全く無関係に時が過ぎていく感じでしょ。
実社会に参加することなく時が過ぎていくんです。
なくなっちゃうんだから恐怖そのものも消えてなくなるって理解しているんです。
再び魂の存在に戻って考えてみる
肉体の中に神経が走っています。
その神経が得た刺激を感じ取って、肉体にフィードバックするのが神経の親分の脳なんです。
この脳は神経や目、鼻、耳、手足からの刺激を受け取り、どう反応すべきか考えるんです。
魂と脳は全くの別物です。
魂とは脳を含めた肉体すべてに染み込んでいるスピリチュアル的なもの、と考えるしかないんです。
光なのか、匂いなのか、温度なのか、、、、。
脳が考えている事なんて全然関係なくて、人間そのものに染み込んでいるんです。
魂が死んだ我が身を見て、「ああ自分は死んだのだ」などと感じるわけはないんです。
死んだ事実は事実で、脳の死とともに思考も感情も無くなる。
もう一度言います。
死は全身麻酔みたいなもの。
全てが自分と無関係で進んでいくのが、死という現実です。
だから怖くはないんです。
でも、魂というスピリチュアルが別の肉体に宿ったとk、全身麻酔から目が覚めるんです。
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