つらい、心苦しいを積み重ねてしんどい感覚が麻痺してきたとき、世渡りの難しさが当たり前となって一回り大きくなれる

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なぜ、そんな些細な事でいつまでも悩んでいるの?

こんなふうに言われて、“もっと人間が鈍感にできていたら楽に世渡りできたのに”と思う事があるでしょ。

 繊細な人ほど一つの事柄に固執してしまうケースが少なくないんです。

いろいろな人の気持ちを想像してしまうんです。こんな事言ったら嫌か気持ちにさせてしまうかも、とか、落ち込ませてしまうかも、とか。

 

言うのは週明けにしよう。金曜日にこんな事を言われたらせっかくの土曜日、日曜日を暗い気持ちで過ごさせる事になってしまうかもしれないから、、、。

 

ここでは繊細で優しすぎる人の前に立ちはだかる生き辛さと、その乗り越え方について考えてゆきたいと思います。

 

大阪のオカンみたいな雰囲気が本来の姿

 

 神経の図太さ日本一は大阪のオカン。(多少偏見はありますが、“確かに”とみんな言ってくれるのでは、、、。)

オレ、基本的にあの大らかさ&図太さって大好きなんです。

で、なんで大阪のオカンは押しなべて、あのスタイルなの、って疑問に思いませんか?

答えは簡単。

染まっていくからです。同年代の友達とつるんで遊んでいて、大らかで図太いのが当たり前に思えてくるでしょ。するといつのまにか自分も大らかになっていくものなんです。

大らか&図太いって、気持ちよく世渡りできる性格でしょ。だから、普通に年を重ねていけば加齢とともに緊張感が薄れていって、良い方向に流れていくものなんです。

 

でも、20代や30代で、あの雰囲気を醸し出してたらちょっとだけ問題あり。

ロマンティックじゃないものね。恋愛とかには不向きでしょ。

 

感覚が繊細すぎて世渡りが上手くいかないと感じている人でも、たいていは時間とともに図太くなっていくものなの。

大阪でなくても、あの独特なおばちゃん笑いに変貌していくものなんです。

 

自然の流れがあって、そこに周りからの影響が上乗せされる。だから大らかで図太い人と付き合うようにするのがコツなんですよ。

山の手マダム見たい人と付き合っていると、自然体になり切れずにいつまでもツンと取り澄ました雰囲気でいなければならなくなる。

 

20代でも30代でも、人間の本質の部分は大阪オカンと大差なくて、お年頃の殻がガッチリプロテクトしているというわけ。

40代に手がとどけば、不思議と殻を破って自然体の自分が姿を現すようになるんです。

繊細すぎる、そこのアナタ大らかな友達と付き合うようにしてみてください。

  

 20代、30代でも言うべきことは図太く言う

 

繊細に人の気持ちを汲み取ろうとするのは悪い事じゃない。

問題は、誰に対しても優しく対応しようとする事なんです。

 

ここを間違えないように、少し厚めに説明させてくださいね。

 

まず、誰に対しも優しく対応(話し方とか説明の丁寧さ)するのは勿論OKな事です。

でも、話す内容、つまりこんな事を言ったら傷つく、嫌な気持ちにさせる、落ち込ませる等々を心配するあまり、相手が気落ちしないように事実を曲げてしまうのはNGなんです。

 

話すべき内容はどんなに相手に対して厳しい事でも言うときは言う。

ここで変な手心を加えると“八方美人”になってしまうんです。

喜ばれることしか言わなでいると、どこかで矛盾が出てくるでしょ。その矛盾を作ったらダメ。

 

多分、大阪のオカンも繊細なところは沢山あると思う。それを自分のキャラと対比して、大雑把に行こう、って図太さを前面に出しているんじゃないかなあ。

「あんたなあ、そんなんアカンでー、言うときはズバッと言わな伝わらんで」、つて。

  

慣れて麻痺してくるのもホントだよ

 

 学生の頃って価値観が合う仲良しグループの中にいるでしょ。だから、あんまり神経質にならずに普段の自分でいられる。

意見の相違もあまりないし、たまに喧嘩しても引きずる事ってないでしょ。

でも社会人になるとだいぶ様相が変わってくる。

年上の人もいるから一層、気を使って八方美人的になりかかるでしょ。

 

胃がキリキリ痛んだり、職場に行くのが憂鬱でプチ鬱状態になるようだと困るけど、たいていは慣れるものです。

その慣れ方は二通りあるの。

 

相手にとって耳の痛い事柄でも事実は事実、とストレートにぶつける。このときに、なんとなく相手が気の毒に感じられて、それがストレスとなっている。

 

相手の耳に優しいように伝える内容を歪曲させて、傷つけないようにする。何度も重ねていくうちに、自分自身が八方美人になっていることに気づく。そこにストレスを感じる。でもストレスとなって自分に跳ね返ってくるまでに時間が掛かるパターンです。

 

どっちにしてもストレスがかかるのだから、前者を選ぶのが賢明ですね。

前者のストレスは回数を重ねるごとに慣れが生じて、感覚的に当たり前になってくるんです。最初は言いづらいかもしれないけど、事実は事実、と自分に言い聞かせて自分の背中を自分で押すようにしていくうちにいい意味で麻痺してきます。

一方、後者はウソの上塗りみたいな積み重ねが出てきます。ストレスが増殖していくんです。

 

だから、前者を選択するのが正解。

  

仕事なんて面倒臭くて、鬱陶しくて、ダルいものだけど慣れる

  

仕事なんて面倒臭くて、鬱陶しくて、ダルいものだけど、やっているうちに慣れるでしょ。それでも、日曜日の夕方から夜には、相変わらず“サザエさん症候群”に陥るし、情熱大陸のバイオリン音楽が妙に耳障りに聞こえてくるんです。

何年仕事してても、日曜日の夜は嫌な気分になる。仕事モードに体が馴染むことはたぶんないですね。

 

オレにとっては、仕事は1週間単位で慣れ、不慣れの繰り返し。定年退職するまで自分をだましだまし続けるしかないんです。

だって仕事って、腹の読みあい・駆け引きのオンパレード(オレの場合ですけど)で、基本、そういうのがあんまり好きじゃないから、土曜日と日曜日でオリジナル自分に戻ってしまうと月曜日が辛いんです。

 

仕事の選択ミスと言えば、それまでだけど、マインドコントロールで仕事が好きだと自分に思い込ませている人もたくさんいると思うんで。

出世とか給料アップとかが案外マインドコントロールのキーになる。

自分を騙しきれなくなって、いよいよメンタルがヤバイ、ってことになると多分、オレの場合は狂気に突入すると思う。

死ぬ勇気がないから、狂うことで死を避けるタイプ。

 

嫌な仕事でもだんだんとそれに慣れてきて、部下に向かって「甘っちょろい事言ってるとクビだぞ!」くらい言えるようになれば、一回り大きい別の自分が出来上がるのでしょうが、そこまでいかなくても慣れと不慣れの繰り返しでも、まあいいかなあと思うわけです。

 

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