自分らしく生きる、を探し続ける人たち|自分の意思を尊重するなんて危なくて仕方ない

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生きていて張り合いがない、つまらない、手応えが感じられない、すぐにくよくよしする、、、。

こんな状態から“自分らしく生きていないのではないか?”と感じる人がいます。Webサイトで検索する「自分らしく生きるコツや秘訣」が続々引っ掛かってきます。

 

他人に流されず自分が感じたことを素直におもてに出すべきだというアドバイスが中心ですね。人目を気にしすぎずに、嫌な事は嫌だと主張するのだと。

もちろん、強気で突っ走るのではなく、自分の思いを丁寧に説明することも忘れないようにとの補足もあります。

 

ここでは、“自分らしく生きる“を探し続けて、”自分自身を尊重する“と誤った答えにたどり着いてしまう人について解説をしています。

自分の思い通りに生きる事は、決して正しいことではないのですよ。

自分の意思を尊重するのが自分らしく生きる事なの

 

自分らしく生きる事を、自分自身を尊重するに置き換えたとして、常に清々しい気持ちでいられるのでしょうか?

もしかしたらYESかもしれません。

でも、それはとても愚かな事なんです。

まずは、そこから解説しますね。

 

相手を尊重すべきだ、と主張する人がいますね。これってとても危険な事なんですよ。もちろん、その人の為にもならない事が多分に含まれるの。

 

 例えば、大雨に見舞われて近くを流れる川の堤防が決壊するかもしれないとき。

ひとり暮らしのおばあちゃんが、この家から避難しないと主張しているんです。死んだおじいちゃんと協力して3人の子供を育て上げたこの家を見捨てて逃げるなら、死んだ方がましだと梃でも動かない。

もし、逃げた後に家が洪水で流されでもしたら、生きる気力を失うにきまっている、とおばあちゃんはガンとしているんです。絶対に天国にいるおじいちゃんが守ってくれると信じているんです。

 

こんなとき、おばあちゃんの意思を尊重しますか?

おばあちゃんの考えは正しいですか?

 

はっきりいってわかりませんね。天国のおじいちゃんが守ってくれるかもしれない。避難所におばあちゃんを無理やり連れていって間もなく堤防が決壊して家が流さるかもしれない。

間一髪で難から逃れたおばあちゃんが、洪水の水が引いたある日、生きる気力をうしなって自ら命を絶ってしまうかもしれない。

 

どうなるかなんてわからないんです。

少なくとも、おばあちゃんの意思を尊重して家に一人残こしておいたら、絶対に後悔するのだけは確かなんです。

 

絶対に正しい人なんていない

 

どんなに頭のいい人の意思や考えだったとしても、それが正しいとは限らない。だから、その人を尊重するのが必ずしも正解とは限らないんです。

 自分らしく生きることが、自分の意思を貫くことだとして、それが幸せにつながるとは限らないでしょ。

あなたに子供がいたとして、愛する子供を100%尊重などしないじゃないですか。それは間違った方向に進むのを親として引き留めているから。

 

放任主義の親が子供に全てを任せて好きなようにさせて、間違いの痛みを理解させるというのは初歩的な段階でする事です。思春期の難しい年ごろの息子や娘が、間違った道に進まないように親も学校の先生も慎重に見張っていてくれたからこそ、いまのあなたがいるわけ。

 

無責任に相手を尊重などしてはいけないんです。おなじように好きな事だけしてればいいなんてあまっちょろい考えは人生には通用しないんです。

 

自分が本当にやりたいことをする

 

 自分が本当にやりたい事を見つけるのって難しいですね。生きがいを見つけようと、みんな苦労するの。

習い事をしてみたり、講演会で話を聞いてみたり、サークルに所属してみたりしてアレコレと探りをいれつつ、自問自答している。

それでもなかなか見つけられない。

 

これだ!って思って打ち込んでいるうちに壁にぶつかって、自分には才能がないのかもしれないと嫌になったりする。

好きだと思って始めたけれど逆にストレスをためる結果になったりもする。

だとすると、やりたい事を見つけて楽しく生きるためには、高い水準を求めてはいけないことになる。求めるアウトプットと実力が釣り合っていないとストレスフルになるでしょ。

 こんなふうに突き放されると、やりたい事を見つけるのも違う感じがしてくるでしょ?

 

アナタが本当に求めているのは達成感、それが自信へと進化していく

 

生きていて張り合いがないのは達成感が持てないからなんです。

この達成韓を感じさせてくれるのが脳内物質のドーパミンで、別名、幸福ホルモンともも呼ばれているの。

これを分泌させれば、はっきりいって誰でも達成感や幸福感を感じる。人間の脳ってそういうものなんです。

 

現に精神疾患の患者の脳から薬を使ってドーパミンを分泌させ、気持ちを上向きにしているんです。精神科ではごくごく普通にやっている治療です。でも素人がやる事じゃない。

一方で、犯罪ですけれどドラッグでもってドーパミンの何百倍レベルの高揚感を与えるものあります。同時に脳の神経細胞を破壊するから相当危険で、やったら即逮捕です。

 

それならどうすればいいのか、ってことになる。なぜ、達成感が得られないのか、とますますイラつくでしょ。

 

例えば、マラソン大会に参加したとします。

途中で近道をして優勝したとしても、達成感は得られないでしょ。ズルをした自分を許せていないから優勝しても全然嬉しくないし、達成感もない。

 

裏口入学で一流大学に入ったって心底喜べない。

他人に描いてもらった絵画を自分の作品だといって出展して、入選しても嬉しくない。

デパ地下で買ってきた総菜を振る舞って、美味しいと揉められても嬉しくない。

 原因はプロセスと結果が伴っていないからなんです。

人間ってプロセスと結果の両方で、達成感を感じるの。アウトプットの大きい小さいじゃないんです。

 

たまたま当て推量で選んだ回答が正解だったらどうでしょうか?ちょっとは嬉しいかもしれませんけど、達成感なんか得られないし、自信に変わることもない。

生きていて張り合いがない、とは頑張った手応えが無いってことなんです。

 

好きな漫画を毎日、とっかえ、ひっかえ読んだってむなしいだけじゃないですか。

料理を作るのが好きで、毎日キッチンに立って作ったって、達成感なんて持てない。手応えが無いんです。

達成感を自信に進化させるには客観性が必要

 

 人は自分だけじゃ生きていかれないんです。達成感、やりがい、手応え、自信、こういうものを感じるためには自分とある程度の距離をたもった第三者の存在が必要です。

自分で作った料理を自分で食べて、ああ美味しいなあって満足していられるのには限度があります。だんだんと誰かに食べてもらいたいって感じるんです。

で、食べてもらって、ああ美味しって言われたら最高の手応えでしょ。

もし、少しだけ酸味が効いていたほうが美味しいよ、って指摘されたとしたら、それは物凄くいい勉強になるんです。それで、次からはレモン汁を大目に入れるようにして誰からも絶賛される。

こうなると、いよいよ達成感から自信につながってくるんです。

 

まとめ

自分の考えを尊重して、突き進んでも良い結果にはならない。

好きな事を好きなだけやっても、むなしいだけ、ひとりよがりなだけ。

自分の実力を相手にみせて、相手にダメ出ししてもらう。

ダメな部分を直してまた見てもらい、褒められれば達成感が湧いてくる。

それを続けるうちに、達成感が自信にかわる。

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