人生はプラスマイナス“ゼロ”なんて説く人がいます。平等・公平さゆえに支持される意見ではある。
どこかホットするものがあるんですね。
でも、実際にはどう見ても万人の幸福度加減がイコールであるはずなどないでしょ。
地震、津波、台風の被害で命を落とす人と、危機一髪で生き残る人とでは運が日産違う。
生まれ落ちた生家が開業医なのと、前科一般の日雇い労働者だったら、人生のスタートラインそのものがちがうじゃないですな。
「何をもって平等だと言い切るんだ?」と、人生みな平等を振りかざす大先生に真っ向から対決したい気分に駆られるのです。
そのとき切ってくるとっておきの切り札があるののです。
“それは、その人の前世に問題があったのですよ”と。前世からの因縁を持ち出すんです。
ここでは、人生の平等感、公平感について人はどんなふうに感じているかについて解説したいと思います。
この世に生を受けた限り、みな平等だと信じたいけど信じられない
プラマイ・ゼロにしようと自ら病気を抱え込もうとする人がいるんです。不幸の先取りみたいな考え方で、ベースの部分に運と不運は50%、50%という思いがあるの。だから、先に不幸を呼び込んでしまえば、あとは幸運が舞い込んでくるだけという安直な理屈ですね。
これ気持はわからないでもない。
だって、普通に悪い事せずに暮らしていたら、良い事と悪い事がそれなりに舞い込んでくるでしょ。それは誰にでもある事で、どちらかに極端に傾いている人って少ないんです。
でも厳密に精査していけば絶対に半々なんてことはない。
さらに言えば、幸運とか不運とかって主観的なものでしょ。人によってレベルが違うじゃないですか。
人生を恐れている人って
人生プラマイ・ゼロと言いながら、自分から率先して風邪をひいてみたり、突き指や火傷みたいな小さなダメージを追う人がいる。これが不幸の先取りで、少なくともこの不運と釣り合うだけの幸運が迷い込んでくるという仕組みなの。
不幸を貯金しておけば、幸運と引き合えできるわけですねえ。
こういう人の腹の底には人生を恐れる気持ちが横たわっているんです。
人生はうかうかしていると何が起こるかわからない、という恐怖心。だからその恐怖を薄めるために、不幸へと突進していく。
矛盾を感じるでしょ。
開き直れない弱さがあるのです
ビビリは何をやっても恐怖心と背中合わせって気がするの。
だって、プラマイ・ゼロが本当ならデカい不幸を被ってしまえば、あとは楽勝の人生が待っているじゃない。
人って突然、巨大な不幸に襲われるのがとてつもなく怖いんです。
それが耐えられないから。自らコツコツと小さな不幸を積み重ねておいて、それが貯まったところで巨大なラッキーをお返ししてもらおうとする。
いかにも日本人的な発想でしょ。
でもよくよく考えれば、プラスとマイナスがつり合っているなら、ある日突然、心臓麻痺で死ぬなんて事ないわけ。
先に死なれたら、全知全能の神が食い逃げしたことになってしまう。
死という不幸への恩返しができないですから。そう考えれば、普通に生きていてある日突然死ぬなんてないんです。
でも、そんなふうに開き直れない。
プラマイ・ゼロを信じているようで信じていないんです。
宝くじに当たって、世界一周の豪華な旅の帰りに、飛行機が墜落して死ぬなら、なんとなくわからなくもない。命に値する豪遊がいかなるものかはその人本人に聞いてみる必要があるわけですが。
だから、死ぬとか半身不随とかの不運が訪れてしまうと、それに見合うだけの幸運が神様としても見つけられないの。
それやっちあうと神様の無銭飲食みたいになるでしょ。
プラマイ・ゼロなんてあり得ない
元気の無さそうな人、具合の悪そうな人っているでしょ。最初は、どうしたの?容体の悪そうなのを気にかけてくれるけど、すぐに相手にさえれなくなるでしょ。
体調わるいなら家で寝ていれば、と。
元気になってから出てくればいいじゃない。と。
これって病院以外はたいてい同じです。元気のない人にいつまでも同情しているほど誰も暇じゃない。人生なんてもっとドライなんです。
神様と人間が同じ空間、おなじ宇宙にいる限り、神様だってそんな弱弱しい人間に強運授けようなんて思うわけないの。
孫悟空がきん斗雲を乗り回すように、強運を乗りこなす者に肩入れするんです。
だって、神様だってその方が見ていて面白いでしょ。
だからみんな頑張るだな。歯を食いしばつて行けるところまで行くんだ。
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