神は我々を見放した、と叫ぶ神父|本気かよ、マザーテレサだって神の存在信じていなかったんだぜ

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神は我々を見放した!と叫ぶ老齢の神父を見たとき、あの人正気なのって思ってしまうのはオレだけ?

いい歳して本気で神がいると思っていたの、って。

「アナタは神を信じますか??」ってセリフがいっとき流行しましたね。クリスチャンの方々や神父、牧師のキリスト教に携わる方々は聖書の教えに則って生活しています。

「汝、殺すべからず、盗むべからず、等々」を教えとして守って正しく生きているのは分かるのです。

でも、それと神の存在を信じるのとは別のように思えるわけです。

 

ここでは宗教における神の存在が人の心を安定、不安定にさせるケースについて考えてみたいと思うわけです。

 

マザーテレサの心の闇とは

 

マザーテレサが亡くなった後、世間を驚かせた事がありますね。彼女は数人の神父さんらに、「私は神の存在を信じられない」と打ち明けていたという事なんです

あの、マザーテレサが神はいないと思っていた、というのはちょっとした衝撃でしょ。

マザーテレサのイメージって優しくて、弱っている人を抱きしめてくれるように思っている人多いんですよ。でも実際にはもっとチャキッチャキッの江戸っ子みたいな人なの。

「あんたなに馬鹿な事言ってんのよ、しっかり現実を見なさい!」みないた人だったんです。

 

で、そんな彼女はある日突然、神様なんて居ないんじゃないかって感じた。身体の内側から、そんな思いが沸き上がったんでしょうね。

聖職に就く身でいながら、神の存在に疑問を抱いている自分に耐えきれなくなって知り合いの神父さんに相談したのでしょうね。

 

これ、オレみたいな無宗教の立場からすると全然重たい問題じゃないの。安直に人間心理なんて、そんなもんじゃないですか、って思っちゃうわけです。

自動車が趣味で、給料の大半をクルマの改造につぎ込んでいた人が、ある日突然ぱったりとクルマから興味を失う。これと同じだよ、つて。

こんな例もある。大好きだった彼と初めて旅行に行った。クルマで走ること3時間、やっとホテルについた。部屋に案内されて、彼がおもむろに、ガラガラベッってうがいをした瞬間、スキじゃなくなったとかね。

ある宗教家said ; 神なんて居ても居なくてもどっちでもいい

 

教え守って生きるのが宗教の目的であって、神が居ようが居まいがどっちでもいい、って考える方が楽なんです。だって証明できないのだから。

神に会った事ある人なんていないし、神の写真をもっている人もいないでしょ。

でもほとんどのキリスト教関係者は神の存在を肯定します。

それはなぜか?

キリスト教の教えにパワーが増すからなんです。

人生を生きるうえでの手本、マニュアルのような教えを考えたのが神様で、神様は存在しているんだ、と言った方がカリスマ性がでるじゃないですか。

 

西欧に住む太古の昔の人々は平和に生活できるように、正しい教え少しずつ形にしていったのがキリスト教の教えであって、神様が万年筆で書いたんじゃないでしょ。

 

辛い目にあって人生につまずいたとき、自暴自棄にならないよう読み返すのがキリスト教の教え、という位置づけ。進むべき道を誤らないように人々をみちびくのが宗教の役割なんです。

 

理不尽も不条理もあるのが人生で、神の怠慢じゃない

 

 

みんなが安全で幸せに暮らせるように、と法律が定まっている。キリスト教における神様の教えも、それと同じようなスタンスで作られていったんです。

ただ、中身は刑法とか民法と違って、もっとメンタルな部分を重視している。

こんな風な気持ちで人と接しなさい、という教えですね。

だからそれに忠実に生きることでみんながハッピーでいられる。

 

でも人生なんてイレギュラーがありますよ。病気になったり、怪我したり。泥棒にあったり、詐欺に騙されたり。

その時に、神の教えに忠実に生きているのになぜ、自分はこんな酷い目に遭わなけきゃならないんだ、って思う。

気持ちはわかるけど、保証の限りじゃないだからしかたない。

保証しているのは、教えの通りに生活する事で、犯罪者にならずに真っ当な人生を歩めるという事。

嫌な事があっても、人様に当たり散らさずに、これも神が与えた試練だから、何か意味があるんだ、と思わせる事で犯罪者にさせないという効果なんですよ。

 

マザーテレサも分かっていながら目をそむ得ていたけど、晩年、気付いてしまったんですね。

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