正論で弱みを突いてくる奴|そりゃそうだけど裁判じゃあるまいし。だったら、いじめ問題解決してみろ

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正論には人を説き伏せる力が宿っています。

こういう場合はこうするのが正しい、と背筋をピンと伸ばした雰囲気。穏やかでいながら、どこを調べても結局つけ入る隙がないんです。

 

勢いでこっちのペースに持ち込もうとしても、状況をさかのぼって否定されちゃう。

「うむっ、今のところをもう一度言ってみてくれる」

「、、、、、」

「そこじゃなくて、もう少し前」

「xxxxxx」

「そこ、そこで間違っているんですよ」

 

こんな感じで、そもそものところまでさかのぼって不手際を指摘されちゃうわけです。

ここでは、正論がもつ隙のない骨太のパワーと対決して勝てる物なのかを検証してみようと思います。

 

スピードが求められるとき正論と戦えるのか

 

あそこで計算ミスったから問題が今にまで尾を引いているんですよ。

急いでいるときだからこそ、しっかりと一歩一歩ていねいやらないと。だいいち、見直ししていないでしょ。見直しをしないのだったら自動でミスを検出する仕組みを持っていないとダメでしょ。

確かにもっともな指摘なのです。

 

正論

  • 人は間違えるものだ
  • 間違いを防止するために見直しという手段がある
  • 見直す時間がないなら、ミスを検出する仕組みをもつべきだ

 

現実には

  • 締め切り時間が設定されている
  • 人数に限りがあり見直しに人手をかけられない
  • ミスを検出する仕組みはもっていない

 

だからイチかバチか最高スピード、かつ見直し無しで結果を出したわけです。物の見事に撃沈されたわけです。

 

それじゃあ正論と現実の両方を始めから知っていたとしたら、どうするべきだったのか?それを問いただしたい。

 

「正解は、締め切り時間の延長してもらえるよう申し出る」と正論派は言うでしょう。

 

いつのタイミングで延長を申し入れるの?と疑問が直ちに頭に浮かびます。

緻密な計算を積み重ねて、締め切りに間に合いそうにない、と判断したとき?

 

突然、締め切り時間の延長など申し入れたら、みんなに迷惑がかかるじゃないですか。

 

それなら、「はじめから間に合わないと宣言する」というアイディアは?

どうすれば間に合わせる事が出来るかを考えろ、と言われて終わりですね。

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モチベーションを上げてあげたいんだ

 

高校の職員室での会話です。

なぜ、彼のレポートだけ点数を甘くつけるのですか。おかしいでしょ。他の生徒に不公平じゃないかとクレームがたってもおかしくないですよ。

 

彼がこんなに頑張ってレポートを書いてきたのは初めてなんです。せっかくやる気を出してきたのだから、もっともっとモチベーションを上げてやりたいのです

モチベーションを上げるにしても、もっと別の方法があったではないか、と正論派は言うにちがいない。えこひいきなどもってのほかだと。

やる気を出してきた事を褒め、この調子で頑張り続けようと引っ張っていくのが教師の仕事だろうと。

 

でもねえ人間の感情なんてそんなに単純なものではないんです。やる気を出したのを褒めさえすればモチベーションが持続するなどの底の浅い考えは通用しないんです。

教師だったら、やる気のない生徒、反応しない生徒、反抗的な生徒を前向きにするのがどれだけ難しいか身に染みているんです。

なにがなんでも、目の前に提示されたレポートから次につなげたいと考えるのです。

 

ギリギリの局面ってあるじゃないですか。

もし、このレポートを何かの気まぐれで書いたものだったとしても、教師だったらこのチャンスを逃すわけにはいかない。

今は、これに全力投球するしかない。

 

えこひいきと不平等のクレームをつけられようが、モチベーションを上げる為の点数でやる気のなかった生徒を引き込みたいんです。

彼らの問題は、承認欲求の欠如であることが圧倒的に多いからです。レポートの良い所をどんどん評価して、認めてあげることが今一番必要な事だと担任は分かっている。

だから、褒めるところをいつも探しているわけ。

 

が、正論では教育は公平でなければならないという。公平を打ち破ってまで強引に評価などしてはいけない。えこひいきしなければ、一人の生徒を引き上げられないなら、そんな事は許さない。これが正論なんです。

 

正論が通用しない学校でのいじめ

 

正論派がいちばん閉口するのは学校でのいじめですね。

正論なんてまったく歯が立ちませんから。

毎週のように新聞が取り上げるのが中高生のいじめと自殺です。テレビではタイミングをみて特集を組む程度になっちゃった。あまりに頻繁すぎてTVニュースにはならないもの。(変なニュアンスですけど、またこの話ですか、みたいになっちゃう)。

 

この中高生のいじめ問題ってずっと特効薬待ちみたいな雰囲気ですね。だから、せめてやれるところから改善するしかない。

 

根が深いのをみんな知っていて、行きつく先がジレンマだからその手前でストップをかけないと正論が成立しないんです。

 

現実

  • いじめは無くならない
  • いじめがあると知ったら学校はそれが無くなるよう対処しなければならない
  • 教師は過労でいじめの対処などできない
  • 見て見ぬふりをし、いじめなどなかったと言い張る

 

正論

  • そもそも、いじめが無くなるよう生徒の心をケアするべきだ
  • いじめがゼロとはいかなくとも、道徳教育でいじめそのものを十分の一に減らすべきだ

 

この正論、どう思います?道徳教育でいじめを減らすというアイディア。

  • 人の痛みを知る
  • 人は助け合うべきだ

 

でも誰が道徳教育をほどこすのかまでは考えられていないんです。浅いところで議論を止めておかないとパンドラの箱を開けてしまうことになってしまうんです。

いじめはなぜ止められないのか、を考えてはいけない。これが正論の限界なんです。

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