人生プラマイゼロならここで運を使うわけにはいかない|不幸になればなるほど幸せとは

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宗教、人種、性別、容姿、寿命、、、がどうであれ人間に生まれた限りは、みな平等なのだと考えるとなぜか気持ちが落ち着くものだ。あくせくしなくて良いと神様にさとされているような気になる。

そこには幸運と不運は同じ量だけ訪れてくるいう根拠のない説得力が宿っているからだ。

幸福感は人によってまちまちだし、定量的に表すことなどできない。不運も全く同じ。

漠然とした感覚だが、幸運と不運は半分半分だと思っている。それなりに精神安定剤的な効果をもたらしてもいる。

だが、ここに傷害保険や生命保険のような要素が混ざってきた時、人はとんでもない行動に打って出る。障害の大きさがリターンの額を上下するという思いにかられるとヤバイのです。

ここでは幸運に恵まれるためにみずから先天を打って逆の不幸を取り込む人の心理について解説しています。

 

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こんなところで運を使っちゃって

 

宝くじで5万円当たった人の心情ってちょっと複雑ですよね。1億円とか2億円だと悔いは残りません。

この後、一生宝くじなんて買わないかもしれない。買っても、もう当たる気がしない。それどころかギャンブル全般で一攫千金を狙おうという野望を捨てさるかもしれません。

大金を引き当てたのだから、余生は地道に暮らしていこうとこころを新たにするわけです。でも5万円じゃ中途半端すぎるのです。

オレの運ってたった5万円きりなのって被害者モードも出てきちゃう。第一、元すらも取り返していないじゃないか、と。どこかバカにされたようにも感じられる。

このくらい5万円じゃ許せないと強く考えている人は、この先も宝くじを買い続けるかもしれない。まだ俺には大金を引き当てる運が残っていると後ろ髪を引かれてる思いがあるからですね。

 

一等と前後賞合わせて10億円

 

一方で一等賞と前後賞合わせて10億円の年末ジャンボ宝くじを引き当てた人はどんな気持ちになるの?

そりゃあ最高でしょう。仕事なんか続ける必要はないし、高級車乗り回して豪遊でしよ。

ところが人によっては怖くなるともいいますね。何か身の回りで悪いことが起こるのではないかと。一年以内に交通事故で大けがをするとか、世界でも珍しいい病原菌に感染して一生病院からでられない不自由な生活を強いられるとか。

実際問題、強盗や空き巣に狙らわれたりする確率は上がりますね。ある夜、覆面をかぶった男45人が家に押し込んできて、命が惜しければ当選金額すべてをこの隠し口座に振り込めとか、毒を飲まされて解毒剤が欲しければ明日の昼までに現金5億をどこどこにもってこいとか。

 

不幸になればなるほど幸せとは

 

仮に人生プラスマイナスゼロだとしたら、マイナスを引きまくって早晩プラスが舞い込んでくるのをじっくり待つというのもありですね。これが「仮に」と思えていない人がいるのに驚きなのです。

 

真ん中から2つに切ったケーキの小さい方を取ることで、町内会の夏祭りで一等賞のプラモデルが当たると願をかける。これくらいだったら、大人から見てもまだ許容範囲ですね。

どしゃぶりの雨の中を傘もささずに彼氏を待ち続けていればきっと思いが叶うとなると、ちょっと重すぎて引いちゃいますよね。でも本人は大真面目だったりするんです。

神経所レベルに至ると、3階の窓から飛び降りてなんともなければ明日のプレゼンテーションは首尾よく成功すると考えていたり、スズメバチの巣を素手で軒先はら引きはがし川に放り込めば、一次志望の大学に合格できると本気で考えてりするんです。

 

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もともとは成功の為の試練だったのに

 

ラッキーとアンラッキーをベアで考えるようになったのは、成功するための過酷な試練なわけです。

この練習に耐えられれば必ず甲子園に行ける。ピアノコンクールで優勝するためには死に物狂いで練習をしなければならない。

勝ち残こるためにはそれそうおうの苦労が付き物で、棚から牡丹餅はいけない、という戒めに似た日本人の思想なのです。

 

この部分を間違えてしまうと、カルト宗教のお布施地獄に突き落とされても気づかない。何年も苦労して貯めた貯金を教団に寄付してしまったりするわけです。完全にマインドコントロールですね。

 

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