幸せが舞い込んできた時、ラッキーと単純に叫べる?

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ドンと構えて笑顔でいれば、幸せは勝手に舞い込んでくる。

こんな事を言う人がいます。

なんて無責任なんだ、と一瞬ムカつくわけです。

人の苦労も知らないで、、、、と。

とはいえ、悲しいかな他に幸せになれる秘密の奥の手があるわけでないのです。

 笑う門には福来る、のことわざが脳裏に浮かぶ。

そんあ甘いもんじゃないと思いつつ、眉を八の字に寄せて難しい顔ばかりしていてもはじまらないのです。

もしも、ドンと構えて本当に幸せが舞い込んでくるならこんな楽な事はない。

別に損をするわけでもなし。

物は試し、いっちょ、乗っかってみるか!

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ドンと構えて幸せが舞い込んでくるのを待つ

 

笑顔は人を呼び込むパワーがありますね。

なにか良いことでもあったの?

面白そうだから寄り道してみるか!

たぶん、笑みをたたえているだけで幸せホルモンが分泌されて幸福感が膨らむ。

それに引き込まれた人も、同様に幸福感が伝播していくのです。

苦虫を嚙み潰したような顔をしていたら、疫病神が取りついているようで誰も寄りつかないですから。

 

急に幸せがおとずれたりすると、悪い事が起きる前触れではないかと考えてしまう

 

なにをもって幸福と考えるかは人によって異なるところ。

宝くじに高額当選したり、絶世の美女に言い寄られたり、あまりにインパクトのある幸運が突然舞い込んできたら、笑顔の功名だとのんきには喜んでいられない。

 

なにか不吉な事が起こる前触れではないかと懐疑心が首をもたげるわけです。

 

H2)日本人の特性として幸運、不運はプラマイゼロ

 

日本人というものはもともと平等が大好きな人種なんです。

一人がバカ勝ちするよりも、お宝を山分けするのが好き。

逆に独り勝ちには罪悪感を抱いてしまうところがある。

「善人が死ねば天国へ、悪人が死ねば地獄へ」とか「嘘ついたら針千本飲ます」の価値観が身に沁み込んでいます。

だから、身の丈にあった幸運が一番ありがたい。

余計な気を遣わずに受け取ることができるんです。

笑顔でいただけで気持ちよく受け取れる幸せなんかはたかか知れていて、一生遊んで暮らせる大金なんかは怖くて懐に入れられない。

そう考えると、童話『わらしべ長者』なんかを改めて思い起こすと、ものすごい強運の持ち主であると同時に、日本人離れした鈍感力の持ち主だと思うわけです

虻をくくりつけた藁 ⇒ みかん ⇒ たんもの ⇒ 馬 ⇒ 家

というドリームの実現です。

波の人なら途中で怖くなって物々交換の中止の取りやめを申しだすでしょうね。

「お互い同程度の価値のものを交換しましょうよ、もし何ならお金をプラスするとか、、、。」。

参考のために『わらしべ長者』の教訓をwebで調べておきましたので下記します。

 

「世の中にはいろいろな人がいて、価値観も千差万別。誰かにとっていらないものは、誰かにとって必要なもの。だから物は大切にしましよう!」

 

「背に腹はかえられぬ」あたりが出てくるかと思っていたので、なんとも奥行きのない教訓です。

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笑う門には福来る、を信じる者は、幸運の見返りに有限労にも引っ張られそう

 

ことわざの『笑う門には福来る』を信じて実行に移すタイプの人間は、「人生山あり、谷あり。得もあれば損もある。終わってみたらプラスマイナスゼロ」みたいな平等感に説得力を感じるのではないでしようか。

 

手にした富や名声を心の底から喜ぶためには、その背後に、富・名声に釣り合うだけの苦労が無ければ納得できない。

 

謂れのない幸運を、もろ手を挙げて喜ぶほど我々日本人は単純にできていない。

できていない、というよりも喜べないよう教育が施されているのです。

「働かざる者、食うべからず」みたいな平等感を植え付けられているじゃないですか。

幸せと苦労が天稟にかけられていて、どちらが重くても、そのアンバランスゆえに快く受け取れないようなちょっとした貧乏症。

 

◆良いことをすれば、褒美がもらえる

◆悪いことをすれば、バチが当たる

◆褒美(巨額の富)をもらったら、それに見合った良い行いをしなければならない

◆褒美(巨額の富)をもらって、それに見合った良い行いができないなら、バチをあてられても仕方ない。

 

こんな理屈が日本人の潜在意識の中に埋め込まれているのです。

 

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