ほどよさを知らない人たちの悲劇

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なんにでも首を突っ込んでくる人って煙たがられます。

「ほら、また来たよ。話題変えよう!」

なんていう具合に見透かされて、あしらわれるんです。

当の本人はそれを理解しているのか、していないのか、、、。

「何の話をしていたの?」とニコニコしながら話の輪に入ろうとするのです。

なんとも、よどんだ空気を感じるわけです。

ここでは、ほどよさから一歩、二歩と足を踏み外しているために良好な人間関係を築けない人たちについて解説します。

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何にでも首を突っ込んでくる人たち

 

子供の頃から本当の友達がいなかったのでしょうね。

当人がいちばんよく分かっているのでしようが、認めたくはないですね。たぶん。

人に相談した事もないかもしれません。

 

真の友人がいないという虚しさ、悲しさをひしひしと感じながら生きてきたのでしょう。

で本人は長い時間をかけてその原因が何かを考えるわけです。

なぜ他の人のように真の友達ができないのか、と。

行きつく先は自分自身の人間性にぶつかります。

己の中に他人が毛嫌いする黒いなにかがあるのだろうと自己嫌悪に陥っているかもしれません。

でも、自己嫌悪が強ければ強いほど、潜在意識がそれを否定して、日常での思考の届かない心の片隅に自分の人間性の問題をおしやってしまう。

 

幼少の頃からのボタンの掛け違いが今の今までずっと続いているというケースです。

 

かりに、たった一人でも真の友達と呼べる人がいたら全然違う人生になっていたはずなのです。

いつも、心が寒いんです。

だから、人の輪に入りたい。

でも、入ったら入ったで、一人二人と徐々にその場を後にして、自分だけがぽつんと佇んでいる。

 

知り得たことを触れ回らずにはいられない

 

何にでも首を突っ込んでくる人はたいていスピーカータイプの性格です。

知りえた情報をあちこちでしゃべりまくる。

その理由は首を突っ込んでくるのと同じ。

仲間が欲しいのです。

面白おかしく話して聞かせ、興味を引こうとしている。

情報通となることで自分の価値を認めてもらい、仲間に加わりたい。

情報通には諸刃の剣なんです。

人に知られたくないプライベートな情報を知っている。

その情報を第三者にリークしてしまう節操のなさが露呈するわけですね。

不謹慎きわまりない要注意人物というレッテルを貼られかねないわけです。

秘密めいたトップシークレットをふれ回るほど、不道徳な人物、信用置けない人物というレッテルを貼られるわけです。

 

でも、そこまで危惧できるほど気持ちに余裕がない。

仲間が欲しい、とうい願望がつよすぎるわけなのです。

 

話して聞かされる側にとってみれば、単なる都合の良い情報屋にすぎない。

ひととおり聞きたい話を聞いてしまえばお払い箱。

この繰り返しでいつまでたっても仲間と認められることなどないのです。

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間違った価値観

 

この人にとって情報は生きるうえの拠りどころなのですが、残念なことに、情報は消耗品なのです。

仕入れては吐き出す、この繰り返しでしかない。

人に話してしまえば、次のネタを探さなければならないのです。

村上龍氏著の『据えての男は消耗品である』に通底した雰囲気がある。

 

この悪循環の原因はどこにあるのか?

過去をさかのぼれば親からの愛情が足りなかったというところまで行き付くのですよ。

「自分は親から愛されている」という人生初めての承認欲求で失敗してしまっているのですね。

人生を正しく全うするための最初の関門は、親の愛情をベースにした自信の獲得です。

もちろん、その後でリカバリーショットを打つチャンスはいくつかあるのです。

兄弟からの愛情や、友人からの信頼ですね。

悲しいかな、そこでもことごとく失敗しているのでしょう。

 

その原因が弱い発達障害であるケースは意外にも多いのです。

空気が読めない、相手の立場にたてない、自己中心的すぎる、、、、。

ただし、親の愛情さえたっぷりと注がれて育った子供は多少の発達障害があったとしても仲間を作ることができる。

少し変わった性格の友達という位置づけ。

根は悪くないやつだから、と。

 

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