イエス・キリストとツーショットの江原啓之|お釈迦様でもノストラダムでも結果は同じ

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江原啓之氏著『聖なるみちびき』の宣伝ポスター(シール)を電車の中で見つけました。

書籍の表紙の写真の横にデカデカと書かれた「あなたの悩みに、イエス様と私がお答えします!」というキャッチフレーズが一目を引くのです。


編集者か誰かが考えたキャッチとは思うのですが、うんーってかんじですね。

 

 

イエス・キリストとツーショットの江原啓之

 

 

イエス・キリストと私(江原啓之氏)を同格に並べちゃっている。

これ凄いと思いませんか?

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傲慢とういか、身の程知らずというか。

クリスチャンでもないワタシからみても、ちょっといただけないですね。

 

たまたま撮った有名人とのツーショット写真を見せびらかしているみたいな雰囲気です。

本の内容を一行も読んでいないのに、そこまで言うか、というご意見もあろうとは思いますが、、、。

でも内容は容易に想像できるのです。

人生における永遠なる課題・問題に対して、聖書の一文を引用して答えていく。

その際に、聖書を江原氏独特の解釈でより具体的に答えを出していくのでしょう。

この手の手法って昔からあるんだけど、聖書ベースで問題解決をこころみているから、うさん臭ささが払拭できている。

 

これが、幸福の科学とか創価学会とか(もちろんアーレフも)だったら、アンチカルト宗教の人たちから完全に無視されるし、書店だってほんお置き場に困るわけですよ。

 

 照らし合わせて解釈を与える手法

 

 

昔から現実の生々しい諸問題の答えを有名な文献に求めるというのはたくさんあった。

問題を照らし合わせて答えを導きだすは本当にアルアルなんですよ。

仏教の般若心経とかはすごい頻度で引き合いに出されるし、古典文学なんかも良く使われます。

子供向けには日本昔話の『ウサギと亀』とか、アンデルセン童話やイソップ童話の『赤ずきんちゃん』あたりも定番。

もしかしたら、そのうち『ワンピース』を使ってだれかが書いたら売れるんじゃないですかね。

 

 

鈍感力へのイラつき

 

 

1年くらい前に、『鈍感力』という書籍についてブログで書いた事がある。

この本のタイトルが気に食わない、とういイチャモン記事です。

「鈍感が本当に今求められている!」と勘違いしちゃうじゃないか、という批判内容です。

鈍感なんて誰も求めてないし、だいいち発達障害とかで、その場の空気が読めずに悩み苦しんでいる人に失礼だろう、という怒りも書いた。

 

本当に発達障害の人って、悩んでいるんですよ。

まわりの人たちがなんの努力もなしに、うまく場の雰囲気をつかんで立ち回つているのに、自分だけが人間関係でトラブルばかり起している。

 

精神科を受診して初めて、その原因が分かった。

でも、薬なんかで治るものではない、という現実にぶち当たる。

だから、ブログで鈍感力なんかは誰も求めていない、と書いたんです。

求められるのは「受け流す力」だと断言しちゃった。

心無い人から意地悪を言われ続けてうつ病になる人がいます。

そういう人に対して、受け流す力を持ちましょう、って言い換えたの。

もし受け流すことができなければ、いったん引き出しを開けてそこに閉じ込めて、気持ちの整理ができたときにじっくりと考えればいいじゃないか、と言ったんです。

 

たぶん『鈍感力』もそういうことを言いたかったのかもしれませんが、タイトルだけしか見ない人っているでしょ(ワタシみたいに)。

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ノストラダムスの大予言とおなじか?

 

ノストラダムスの大予言というのがあって、1999年に地球が滅亡すると予言したことですごく有名になりました。

でも、それ以外でもいろいろ予言らしき事を言っていたらしいです。

ほとんどが、抽象的でどうにでも解釈できるような言い方。

だから、なにか大きな事件が起こった後に、ほーらノストラダムスの予言が的中しているでしょ、という後出しじゃんけんなんです。

 

予言とか占いなんて、なんにでも当てはまるような言い回しなんです。

 

だから、いつ、どこで、誰が、なにを、を明確にしない予言や占いは信用しないほうがいい。

「昨年から今年から来年にかけて、運気があがっています」なんて言われたってさ、どんな運気なのって感じじゃないですか。

 

たぶん、心の陰りが晴れてきている、とか言うのでしょうが、そんな漠然とした言い方じゃ全然納得できないでしょ。

 

「思い当たる点はありませんか?」なんて真顔でとわれれば、誰だって、なくもない、という返事になるわけですよね。

 

漠然とした感覚みたいなのを磁石で吸い付けて、当たっていると勝ち誇られても、こっちとしては苦笑いするしかない。

聖書もノストラダムスも永遠に賞味期限がきれないように、抽象的で漠然とした内容で網を張り続けているんですね。

イエス・キリストとのツーショットも、お釈迦様とのツーショットも、ノストラダムスとのツーショットも、結果はな時なんですよ。

 

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