なぜ自分が嫌い?原因は自己嫌悪よりもっと心の奥にある

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 自分が嫌いな人って意外に多いのです。

自己嫌悪みないな観念に取り囲まれて、そこから逃れられない。

とても気の毒ですよね。

自分を憎んでいるなんて切なすぎる。

だってたった一度きりの人生なのに、自分の事を好きになれないなんて、、、。

 ここでは、自分嫌いに陥ってしまう誤った思考回路につて解説しています。

自分が嫌いなのは、間違った固定観念を信じてしまっているからなんですよ!

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自己嫌悪による自分嫌いなんてバカバカしい、人間なんてみんな大差ないんだ!

 

清廉潔白と思われている人だって、他人が見てなきぁ、ちょっとくらいのズルはする。

セコイことの一つや二つするんだって!

自販機のつり銭ポケットに小銭が残っていたらもらっちゃうじゃない。

トイレの後で手を洗わずにコンビニのおにぎり食ってる。

自己嫌悪を感じてしまうのは、意味なくモラルのハードルをあげているからなんですよ。

 

どんな美人だってさ、鼻くそほじくる。

脇の下ぼりぼり掻いてさ、その指先の臭い嗅いだことあるでしょう。

その証拠に、鼻くそがしょっぱくてさ、耳くそが苦いのを知らない人はいない。

みんな一度はなめているんだって。

俺、自信持って言えるよ。

 

明日の試験の問題用紙が職員室の前に落ちていたら絶対拾うでしょ?

上りエスカレーターの前にミニスカートの女の子が立っていたら、じっと太もも見ちゃうじゃない(下からウチワで扇ぎはしませんけど)。

 さすがに万引きや盗撮は二の足踏むでしょうけど、、、・。

 人間なんて、大差ないんです。

自分がこんなのに当てはまっていたからといって自己嫌悪に陥る必要なんてありませんからね。

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他人の不幸は蜜の味、は万国共通のあたり前の感覚なんだ!

 

 「自分が嫌い」とはいったいどんなところからくる心理状態なのでしょうか?

 一番多いのが、「他人の不幸は蜜の味」なんです。

人が失敗するのを見て、内心嬉しくなっちゃった、って経験あるでしょ。

仲の良い友達が失恋して、気の毒だと思うとどうじに安心感がこみ上げてくる。

親友が受験に失敗したと聞いて、心が弾む。、

 

まさに「他人の不幸は蜜の味」ってやつです。

不幸な目にあったのが、大嫌いな相手だったら自分的には納得できるのでしょう。

ところが普段仲良くしている友達なのに、こんな風に感じてしまうなんて、なんて自分は心の汚れた人間なんだ、と自己嫌悪に陥る。 

 

これも冒頭に描いた、美人が鼻くそほじくるのと同じで、すべての人間に共通している感情なんですよ。

これ絶対に忘れないでくださいね。

学校では教えない人間のDNAですから。

学校でも教会でもお寺でも絶対に教えないの。

困った人がいたら助けてあげなさい、っていうのが世間一般で尊ばれている価値感じゃないですか。

でもね、そういう規律とか慈愛とかが重んじられるようになる何万年も前から人類は競争しながら生き抜いてきているわけですよ。

負けたら食べ物を取られちゃう弱肉強食の世界で生き抜いてきた。

その遺伝子が現代の人間の脳にも残っているんです。

規律や慈愛を重んじる脳よりも、ずっとずっと深い部分にあって、そこが他人の不幸に反応してしまうんです。

これで自分は生き延びられる、という安堵感を覚えるようにできている

太古の昔から脈々と引き継がれている「他人の不幸は蜜の味」には逆らえないのです。

だから、偉いお坊さんでも、神父さんでも、学校の先生でもみんな「他人の不幸は蜜の味」を何度も何度も経験してきている。

その上で理性をはたらかせて弱者救済とかボランティア活動に力を出すわけです。

多くの書籍に、優越感と説明されていますねえ。

確かに他人が失敗して、自分が成功すれば優越感が心の底のようから顔を出すことはあります。

それも事実です。

親友が失恋したときに、なぜ自分の中に優越感が芽生えてしまうのだろう、と自分で自分の人格を疑うわけです。

でも、食物の取り合いや、異性の取り合いはDNAとして脳の中に埋め込まれています。

だから、そのDNAに反することは人間であるいじょう不可能なのです。

優越感を抱く脳のもっと、もっと奥に生命体として存続する為の機能が備わってしまっているわけなのです。

 

命を左右する仲間意識

でも自分の家族が不幸な目にあったとき、嬉しくないですよね。

だって自分の命を左右する大切な仲間だという意識が働いているからです。

お父さんやお母さんの身に何かあったら、自分の生活が崩壊するって分かっているからなんです。

幼いころ(小学生くらい)、親に比べると、兄弟の重要性は低かったんじゃないですか?成人になると逆転するかもしれませんけれど。

自分への影響力が両親に比べて、兄弟は低いんです。養ってもらっていると感じていないから、ある部分では敵対していることもある。

それが歳を重ねるごとにお互いの悩みをわかち合ったり、助け合ったりして親よりも大切な存在になっていくんです。

この関係は友人どうしでも同じで、自分の命と同じくらい大切な存在になったら、すごく大切に思える。

いかがでしょうか?

自分を嫌っていた原因をご理解いただけましたでしょうか。

「他人の不幸は蜜も味」が原因で自分自身を忌み嫌っていたとしたら、それはあなたの心が、清い証拠なのですよ。

だれもが抱く感情をから目をそらすことなく向き合ってきたのは立派な人間です。

でもこれからは自分を嫌いになることなく愛してくだ出してください。

それに相当する心の持ち主であるのですからね。

 

 

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