純真無垢な子供の心|親子の信頼関係~自己肯定感までが勝負の分かれ目

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子供たちは「良い事、悪い事」を家庭や学校で教えられ、分別のある人間へと成長します。

 

でも言い聞かされた「良い事、悪い事」をヒントに「人が悲しむ事、嫌がる事」も学習します。

そして、それらを利用する術も身に付けてしまうのです。

 

こんにちは、戸田裕二です。

 

◆自分は正しい親なのか?(決して立派などという代物ではありませんが)

◆子育ての仕方に間違いはなかったのか?

 

我が家には大学生の子供がいますが、時たまこんな疑問が頭をよぎります。

子育てほど成功、失敗のジャッジまで時間がかかるものはありませんね。

 

親の子ですから、そんなに偉い人間に仕上がるわけはないと思いつつ、できるだけ自然体で、かつ人に優しい間にはなってほしいと願うばかりです。

このブログでは、子供の心の成長と、純真なはずの子供が時として残酷な言動にでる実態、いじめに走る背景について解説させて頂いています。

 

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純真無垢な子供の心

 

 

子供の心は純真です。

でも、無邪気ゆえの残酷さが顔をのぞかせるときがありますね。

 

幼児期(幼稚園児)では、虫を遊び道具にしてトンボやバッタの羽や足をもいで遊ぶなどです。

まだ、3歳時には虫の命の大切さが理解できていないのです。

 

小学校低学年では、運動神経の悪い子、不器用な子、極度に肥満な子を物珍しい目で見たり、からかったりします。

興味が先立ってしまった結果ですね。

 

子供の真っ直ぐな心と好奇心が発する、少し残酷めいた言動を見た親はびっくりすることでしょう。

でも、それは全く正常な範囲ですよ。

親は、普通に虫の羽や足をむしってはいけないよ、と教えればいいのです。

単に、良い事、悪い事で教えてかまいません。

「命の大切さを言って聞かせても」、「虫も痛みを感じる、かわいそうだよね」、と言っても、幼児期の子供はキョトンとするだけかもしれません。

それでも、繰り返し言いきかせてあげることで子供の心に刷り込まれていくのですから。

 

幼児教育(幼稚園児)、学童教育(小学校低学年、小学校高学年)、青年期教育(中学生)で、子供の知能・感情の発達状態が異なっています。

脳が成人の状態まで成長しきっていないわけですから、理解・共感・納得できる事、できないことがあぁつてって当然なのです。

 

食事用の箸で茶碗を叩いて遊んではいけない、くらいなら幼児教育のレベルです。

虫や動物の命の尊さがわかるのは、せいぜい小学校低学年でしょう。

バレンタインデーに学校でチョコレートを好きな男の子に渡してはいけない、という学校の意図が理解できるのは中学生くらいですね。

「人の痛みが理解できる、できない」となると大人でも人間性によってまちまち。

自分だけが良ければいい、と思っている大人もいますからね。

 

 

純粋無垢な子供の心も悪を学んでしまう

 

 

 

人の道を外さぬようにと大人は子供に「どんなことで人が悲しい気持ちになるか、何をすると嫌な思いをするか」を言って聞かせながら育ててゆくのです。

優しい人間に育ってほしいという願いを込めるわけです。

 

でも、この善悪の判断を逆利用する子供がでてきます。

 

◆喧嘩した相手を困らせてやろう!

◆悪口を言われたから、反撃してやろう!と。

  

どんなに丁寧に子供を育てたって、子供は悪口を覚え、人を困らせる術を身に付けます。

親が注意して、単純に言う事に従っていても、その裏返しがあります。

どこのご家庭の子供も同じで、親が言っているのだから従わざるを得ない、と考えているにすぎません。

親の顔色をチラチラ見ながら、怒られないようにいい子にしているだけなのです。

でも、親の見ていないところで、いろいろ子供らしい悪事を働いているんです。

子供なんて、そういうものです。

 

これって仕方のない事なのですよ。

子供の悪知恵というよりも、ごくごく当たり前のリアクションです。

批判されるのを覚悟で敢えて言わせて頂くと、これくらい出来なきゃ、世の中の荒波を乗り越えていけない!!

 

 

 親の言いなりな「いい子」

 

子供の心が成長していく過程で、「やっていい事、悪い事」を覚え、その裏返しで攻撃するときの言動も身に付けて行きます。

ただ身に付けるだけでなく、喧嘩するときにどんな言葉で相手を罵るのが効果的かも理解してゆくのです。

相手が友達でなく、自分の親や兄弟であることも少なくはありませんね。

 

友達や、兄妹、親や先生から攻撃的な言葉を投げつけられた。

その反応として、知っている限りの悪態をついて応戦するわけです。

身に覚えのない濡れ衣で、頭ごなしに罵声を浴びさせられたら、反抗するのが当たり前です。

ここで、自分の子供はなんて凶暴なのだ、なんて考えてはダメですよ。

 

でも、ここで反撃ができない子供がいるのです。

何を言われても我慢するおとなしい子供です。

言い返す術を全て捨ててしまったかのように、黙って棒立ちで耐える子供がいるのです。

だから、波風はそこで止まります。

そのおとなしい子供が波風を全部吸収してしまうのです。

 

鈍感だからではありませんよ。

怒りを現わしていいいときに、怒れない、怒らない、そんな子供です。

自分に非がないのに一方的に攻められても黙って耐え続けてしまう。

 

下図は子供の心の成長をごくごく簡単にまとめました。

 

 この心の成長過程で問題が有った可能性が高いのです。

◆幼児虐待で親との信頼関係が築けなかった

◆ルールを守らない者を容認するのを何度も見せつけられている

◆善悪の判断を間違えて理解してしまっている(強い者が勝つ)

◆自己肯定の体験がなく、劣等感的な心理状態に陥っている、

 

自信がなく、いつも不安気な気持ちでいる子供は幼児期、小学生時期に心を健全に成長してこなかったのです。

それが、大人になる過程で友人に救われたり、恩師に救われたりすることもたくさんあります。

でも、自分を卑下して悲劇のヒロインのような、捻じ曲がった精神構造へと進んで行ってしまうケースもすくなくないのですよ。

 

 

相手の痛みがわかる、攻撃の限度がわかる

 

 

人間ってこれといった原因がないのに、なぜか腹立たしいときもあるじゃないですか。

なぜかイライラするときって。

我が家のルールでは、「外にいるときの八つ当たりはダメですけど、家だったらOK」にしているのです。

投げても壊れないものなら、床に叩きつけても全然OK.

昼間なら多少の大声でどなってもOK.

親がそんなふうにしているから、子供も同じです。

 

自我が芽生えてきて、何かにつけ指示する親が鬱陶しく感じられる。

何でもかんでも親に逆らいたい。

これが反抗期ですから、親に文句を言ってもいいのです。

こっちも怒鳴り返すから、子供も好き勝手な事をいってストレス発散するわけです。

 

 親子や兄弟で怒鳴り合っているうちに、「その言い方は酷過ぎるだろう!」とか、「相手を傷つける、トゲのある言い方だよ!」とかいう反論も出てきます。

 

頭に血がのぼっていたとしても、言っていい事と悪い事があるのを知るわけです。

相手の痛み、みたいのが少しずつ分かってくる。

ここまでは言ってもいいけれど、これ以上は自分で我慢しなければいけないとか。

 

たぶん学校でも同じような訓練がなされているのだと思います(敢えて、自分の子供に聞いてみたことはありませんが)。

 

むしゃくしゃしていて、誰でもいいから殺したかったとか、そんな狂気には走らないわけです。

人の痛みがわかるようになるには、人間としての訓練が必要ですね。

 

単純にお互いに怒鳴り合っていれば人の痛みがわかるものではないと重々承知です。

親を亡くした人の痛みは、同じように自分の親を亡くして見ないと分からないですね。

 

それでも、我慢ばかりさせ、自信喪失人間や、理不尽さに快感を覚える悲劇のヒロインにはなりません。

「可愛そうな私」と自分を憐れむことに快感を得るようになったら本当の幸せから離れいくばかりですから。

 

自己肯定を感じられずに、つねに劣等感や自己否定と戦い続けるのは本当に不幸なのです。

その辛さに耐えられなくなった時、自分よりも惨めな存在を作り上げて優越感に浸ろうといじめに走るのです。

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まとめ

 

子供の心を健全に成長させるには親との信頼関係がスタートラインです。

無視や一方的な決めつけ等のメンタル虐待も含めて、幼児虐待は後々まで響くのです。

善悪がしみじみと判るようになるまでに時間はかかりますが、言い聞かせるように刷り込んでいくべきです。

それが、歳を追うごとに実感できるようになりますから。

悪口や、人を傷付ける言葉使いを会得しても、それはそれでいいのです。

大人になるに従って、言っていい事と悪い事の判断ができるようになるのですから。

そして、一番大切なのは自分の気持ちに正直であること。

正直な気持ちを言葉に出して、それを周囲から褒められたり、批判されたりしながら子供は自分の良いところ、悪いところを理解していくのです。

嘘の自分を褒められても、自己肯定感には絶対に繋がらないのですから。

 

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