感情に嘘をつき、心に蓋をする人たち
自分の仕事を人の良い部下や同僚に押し付けて平気でいる人たちがいます。
誰だって楽をしたいですよね。
でも、仕事なのだから、とみんな頑張るわけです
ところが、自分だけが楽をしようとするずる賢い人がいる。
① 残業が嫌だから ② 細かい調べごとが面倒臭いから ③ やっても評価されない仕事だから ・ ・ ・
でも、もし仕事を押し付けた相手が過労で倒れてしまったりすれば、途端に罪悪感に苛まれる。
罪悪感なんて無い無いと心に蓋をしても無駄なのです。感情に嘘はつけないのです。
潜在意識は小さな罪悪感を敏感に感じ取ります。騙せないのです。
それらがいつのまにか塵積で大きなストレスとなってどっとのしかかってくるのです。
賄賂、泥棒、カンニング、裏口入学、詐欺、、、、。
自分に嘘をつきながら、悪事に手を染める人がいます。こういうのが人生の落とし穴なのです。
かりに本当の感情に嘘をついて甘い蜜だけを吸おうとしても潜在意識はだませません。絶対にメンタルがダメージを受けることになるのです。
心に蓋などかぶせる事はだきないのです。
やっと自分の浅はかさに気づいて宗教に救いを求める人もいます。正しい信仰の道に進め気持ちは救われるかもしれません。
でも人生には、あちこちに落とし穴が掘られています。
平穏な心を取り戻そうと入信した宗教団体が、実は裏でとんでもない悪事に加担していたなんて数えきれないほどありますね。
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死刑囚から無期刑囚に減刑されて、心の蓋を開ける事ができた
死刑囚と無期刑囚を比較した興味深い書籍を手にしました。
死刑囚と無期刑囚のちがいをに観察し、克明に記述していました。
死刑囚の様子を見ていると、喜怒哀楽が目まぐるしく入れ替わるそうです。
急に沈み込んだかと思うと、次の瞬間に高笑いをしてみたり。
大声で陽気な歌を歌ったかと思うと、田舎の両親を思い出してメソメソと泣いてみたり。
心と感情に蓋をしようと必死なのです。
それく比べ、無刑期囚は基本メンタルが安定している。
それぞれの性格で明るい、暗い、おとなしい、よくしゃべるはあるものの、安定はしているのだそうです。
死刑囚は自分の寿命を24時間刻みで感じるのです。
刑の執行が告げられるのが、その日(刑の執行日)の午前10時。
そこでお告げがこなければ、明日の午前10時までは命の保証が保たれるのです。
恐怖は並大抵ではないと言います。
死刑などと全く無関係に生活している一般人が「こんな仕事を続けるくらいならいっそ死んだほうがマシ」などと軽口をたたきます。
でも、死刑囚にとって「死んだ方がマシ」などというセリフはないのです。
死のお告げが来るか来ないかの恐怖と背中合わせの囚人に、いっそ死んだ方がマシ、などという感情なない。
ある死刑囚が恩赦で無刑期囚に減刑された時の心の変化が印象的でした。
死刑囚から無刑期囚へと減刑された人は、すぐさま頭を坊主刈りにし瞳を輝かせたそうです。
立派に無刑期囚を勤め上げて見せると口にしたそうです。
それまで痛々しいくらい強烈に喜怒哀楽を表にだして、恐怖と戦ってきた。
心に無理やり蓋をして、恐怖という感情から目をそらせてきた。
それが減刑されて無期となった瞬間、すっと心から蓋が外された。
人にとって一番大切な命の保証がなされ、清々とした気持ちになったわけです。
人生の勝ち組とか、負け組とか、そんなエゴはとっぱらって、心をさらけだして生きていくことに本当の価値を見出したわけなのです。
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潜在意識は騙せない。全てを記憶する
潜在意識は万能だと言われています。潜在意識が受け止めれば、あとは身体が自然とうごいてくれると。
でも、その潜在意識とて生まれた時からきちんとした善悪の判断ができていたわけでは決してないのです。
生まれたばかりの赤ちゃんの潜在意識は白紙状態です。幼いころから少しずつ価値観を刷り込まれていくのです。
何歳になったら完成するかは分かりません。
でも、幼稚園に通う頃にはある程度の善悪の判断はついているものです。
人の物をとってはいけない、列の順番は守らなければならない、弱い者いじめはしてはいけない、約束は守ららければいけない。、、、。
たいていの日本人は同じ価値観が潜在意識に擦り込まれています。ここまでくると潜在意識をだますことはできなくなります。
ところが、国が変わると価値観もかわります。
外国人はなかなか謝らないと思った事ないですか?
日本人がまるでマナーのようにすぐにスミマセンンと言うのに比べて、欧米人は言いませんね。
日本人はいさぎよく謝罪し、相手も気持ちよく水に流す。
欧米人は謝ったら自分が悪かったのを認めることになるから、なかなか謝らない。
裁判大国ならではの慣習です。
日本人にはマナーとしてのスミマセンが潜在意識に刷り込まれていますから、素直に謝れないと少しずつストレスを溜めていくことになります。
約束をやぶってしまった、悪い事をしてしまった、と思いながら自分の奥さんに素直に謝れないご亭主がいます。
「些細な事だし、女房もそんなに気にしていないだろう」と自分の感情に嘘をつき、心に蓋をする。
でも潜在意識は騙せない。執念深くいつまでも覚えています。それを1回目、2回目と数えるように積み重ねていきます。
逆にアメリカ人は謝罪してしまったが故に、いつ裁判所から呼び出しがかからないかびくびくする。1ヶ月も過ぎればもう大丈夫だろうと安心します。
でも潜在意識がカウントしているわけです。
この二つの状態、日本人もアメリカ人も悪気はないのです。日本人とアメリカ人が付き合うとしたらどうすればいいのか?
言葉に出すことですよね。
自分の心に蓋をしないで言葉にして苦しい気持ちを相手に伝える事しかない。
それで相手に自分の心情を理解してもらう。言葉に出す事が大事なのです。
カルト宗教の罠
女優を引退して、幸福の科学での活動に専念することにした清水富美加さん。
彼女のご両親(現在は離婚らしい??)が幸福の科学の信者であったため、富美加さんは生まれたときから幸福の科学に入信している。
幸福の科学の常識が彼女の常識として刷り込まれているわけです。
仮に自分の所得の半分をお布施として教団に納めると刷り込まれているとしたら、経済的に苦しい生活を強いられることになります。
教団は、それが修行で苦しい生活を続ける事が徳を積むことにつながる、なんて説明するでしょう。
カルト宗教は、苦しい生活に無言で耐えるのが修行であり、他言した瞬間にそれまで積み上げた徳は一瞬にして崩れる、なんて言うかもしれません。
そんなふうに予防線を張って、信者が身動きが取れない状態に縛り付けるでしょう。
だから時間が経過すればするほど信者は積み上げた徳を崩したくないというジレンマに陥るのです。
一人、心に蓋をして、意味のない修行に耐えていくわけです。
この蓋はそう簡単には外れてくれないのです。
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