パニック障害と予期不安に取付かれ|自己中の自分と、人の優しさを知った

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自己中の自分

パニック障害と予期不安が少しずつ癒えるにつれ自分の考え方に変化が生まれてきました。

いかに自分が自己中心的な人間だったかに、今更のように気づきました。心が柔軟になり、人の気持ちにも思いが及ぶように感じられたのです。


パニック障害が癒えてきたといっても、発症から10年くらいの年月が経過してからですから、相当長い間苦しんできたのです。

 

心境の変化

 

パニック発作と予期不安に取付かれるまでのワタシは、弱い者イジメで、自己中で、こんな人間だったのです。

 ―精神力の弱い人を見下していた。
 ―臆病な人をバカにしていた。
 ―引っ込み思案の人を軽蔑していた。


考えてばかりで行動できない人、ネガティブな考えばかりの人を心の中でバカにしていたのです。

 

「世の中には性格が合わない人だっているさ」とか、  「育った環境が違うのだから仕方ないさ」とか、  「ものの見方、考え方は本人の自由だからな」とおおらかに相手を尊重する優しさなど少しもなかったのです。

 

自己中心で、はっきり言って冷たい人間でした。相手の気持ちをわかろうともしない人だったのです。

 引っ込み思案、気弱、臆病、こんな人たちは当時のワタシにとつては無力で無価値な存在に思えていたのです。

 
その頃のワタシのように強気で余裕しゃくしゃくの人間が高圧的な物言いで近づいてきたら、気の弱い人はただただ萎縮するだけですよね、

それを百も承知で睨みをきかせていたのです。何か文句のある奴は前へ一歩出てこい、と脅しをかけていたのです。

 「人生そんな弱気でどうする!」と生き方の手本でも見せているかのように、肩で風をきっていたのです。

彼らにとって、なんて嫌な奴だったことでしょう。

ワタシの顔なんか見るのも嫌だったことでしょうね。

以前のブログでワタシが子供の頃からの閉所恐怖症だった事を書かせて頂きました。

狭い所がダメで、柔道の寝技で抑え込まれるのがダメだったと告白しました。いまでもダメですが。

自分だってそんな弱点を抱えているのに、気の弱い人たちの気持ちを分かろうともしていなかったのです。

 自分の弱点の閉所恐怖症なんて、生きていくうえで大した障害にはならない、と高を括っていたのです。狭いロッカーに閉じ込められることも、柔道の寝技で押え込まれることも、日常生活を営むうえでありえないことだからです。

いまさら、そんなものを恐れる必要などないと自分の弱みを棚上げしていたのです。

パニック障害に 取りつかれ

でも、物の見事に罰があたりました。

パニック発作の恐怖に取付かれてしまったのです。繰り返す息苦しさと過呼吸、人混みでの動悸、抜け出せない予期不安。しっこい恐怖心で身動きが取れなくなってしまったのです。

 
 パニック発作に初めて襲われたのは飛行機の中でした(8.バンコックからの帰国便で)。叫び出したら、そのまま気が狂うのではないかという得体の知れない恐怖でした。それでもまだ本当の怖さに気づいていませんでした。

パニック発作で身体を硬直させながら、飛行機のエコノミークラスのシートで飲まず食わずで5時間~6時間辛い思いをしました。

でも、その直後の心境はよく覚えていないのです。

 

機内アナウンスで「成田空港到着まであと1時間ほどです」という言葉が耳に入ったとき、ああやっとここまできたのだと安堵したのを覚えています。

狭い空間から、あと少しで解放されると感じたのです。

その時はそれで済んでしまいました。

空港からは何事もなく家に帰ることができたからです。平衡感覚がどこかいつもと違うなあ、という程度だったのです。

飛行機など、もうこりごりだと感じたものの、それでも、これが自分の生活を脅かすとは考えもしませんでした。

事態を軽く見ていたのです。

 

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それから1週間ほどたったある日、電車の中で再びパニック発作に襲われました

それまで毎日のように乗っていた電車が、突然息苦しい閉塞的な空間に変貌したのです。

子供の頃からの閉所恐怖症が、25歳の夏、パニック障害に姿を変えた瞬間でした。

 これをきっかけに、日々の生活が180度変換したのです。このときを境に、新幹線はもちろん、急行列車にも乗ることができなくなりました。 それだけでなく、家から遠く離れることができなくなりました。

離れるのが不安でしかたがないのです。息苦しい緊張と恐怖感の入り混じった予期不安です。

 

かろうじて通勤時間、片道一時間の勤め先に通う事はできました(もちろん精神安定剤の力を借りています)。

でも、それ以上の遠方に行くのがつらいのです。

営業職のサラリーマン生活を送りながら、活動の範囲は、家から半径2時間程度が精一杯です。

いつパニック発作に襲われるか心配でいられないのです。

 まさしく薄い氷の上を、いま氷が割れるかとビクビクしながら歩いている、そんな毎日だったのです。

 自己中の態度に変化

いつの頃からか、ワタシ自身の周囲の人への態度が変わってきたのに自分でも気づきました。 周囲の人たちにあんなに自己中だったのに、優しく接するようになったのです。 


パニック発作に襲われたときに助けてもらおう、という計算高さからです。 なんという都合の良さ!
これがワタシの予期不安に対する対象法だったのです。自分でいうのもなんですが、自分勝手にも程がありますよね。

更に言えば、自分がパニック発作に襲われたとき面倒をみてくれそうなのは、あの気弱で臆病な人たちなのだと目をつけたのです。 手のひらを返したように彼らに接近してゆきました。

パニック障害と予期不安をひた隠しに隠して、彼らの輪に割って入っていったのです。酷い人間だと思いませんか?

でもその時のワタシには、己を自己中な都合の良い人間だと思う余裕すらなかったのです。気弱で臆病な「心優しい意人たち」の仲間に入れてもらうこと以外に生きる道はないと肌で感じていたのです。

 

「過去を謝罪し、深く自己反省したうえで」、など考える余裕はなかったのです。

彼らのコミュニケーションに加わろうと低姿勢で近寄っていきました。だって、そこに入れてもらわなければ不安で、怖くて、居られないのですから。

思考の80%以上は予期不安でただ怯えているだけです。平常心でいられる時などないんです。
 

はじめのうちはワタシの改心ぶりに、心優しい彼らは戸惑っていたようでした。きっと、何かの魂胆があって、自分たちのなかに入り込もうとしていると勘ぐっていたのかも知れません。

それでも、暫くたつと自然と自分勝手だったワタシを受け入れてくれていたのです。初めて人の優しさを心から知った気がしました。 

でも、その仲間に入れてもらって初めて気付いたのは、心優しい彼らのなかにも、別の顔があったことなのです。

いままでワタシが見ていた気弱な顔とは別に、心優しいながらも凛としていて、毅然たる顔があったのです。

 彼らも社会人ですから、いつも集団で集まっていられるわけじゃありません。当然仕事があるのです。



 
そんな中に居させてもらいながら、彼らには彼らなりの考えがある事、決して曲げない主張がある事を知ったのです。

さらに自らの想いをわかってもらうためにとる手段は、(それまで自己中心的だった)ワタシとさほど変わらないのです。理解してもらい、賛同を得るためには主張に筋が通っていなければならない。
ロジカルに説明できなければ誰も納得などしてくれない。

その為に言葉や表現方法を工夫しなければならない。

 かつてのワタシが、ある一定レベル以上の人に対してだけ手間暇を費やしていたことを、彼らはあたりまえのように常日頃から時間を割いていたのです。

誰に対してでも丁寧にきめ細かい対応を心がけていたのです。

ワタシはパニック障害になり、5年間ものあいだ飛行機、新幹線に乗れず、家から2時間以上のところには行くことのできない不自由な生活に陥りました。 来る日も来る日も強い予期不安に怯える日々です。 

苦肉の策で、それまで見下していた人たちの輪にもぐりこみました。何かあったら助けてもらおうという都合のよい考えです。

それから7,8年くらいが経過し、薬物療法が効果を見せ始めたのか、自分自身がパニック発作に慣れてきたのか、少しずつ復調してきたのです。

絶対に治らないと思い込んでいたパニック障害がほんの少しずつ和らいでくのを感じたのです。 それでも精神安定剤だけはいつ何時も手放すことはできません。薬の力を最大限利用しながら海外出張にでられるまでになったのです。

また、昔の強気の人間に逆戻りするか?

とんでもない、体調が良い時であっても、危険と背中合わせであることを忘れられはしません。

パニック発作とは常に背中あわせなのです。

 そしてようやく10年ほど経過したある日、気付いたのです。

 

 生かされている。
  生きる事を許されている。
  命を絶つことなく、心やさしい彼らに囲まれながら、歳をかさねさせれもらっている。

予期不安を乗り越える事も出来ず、開き直ることもできず、押しつぶされかかったワタシを黙って仲間に加えてくれたのは、パニック障害以前に、あざけ見下していた人たちだった。

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 ワタシは愚かな人間だった。薄っぺらな人間だった。器の小さい人間だった。

 月日が経つにつれ、その愚かで、薄っぺらで、自己中心的なワタシをも支えてくれていた人がいたことに気付いたのです。 それは、自分の両親であり、友人たちです。

なんでこんなにも我の強い人間に育ってしまったのか、と両親は思っていたかもしれません。


 何不自由することもなく大学まで出してくれた両親に感謝することすら忘れていた自分に呆れるばかりでした。

 

パニック障害になるまえに付き合っていた友人たちはワタシのことをどう思っていたのだろか?

強い精神力で日々生きていたとワタシだけが勝手に思っていたのかもしれません。おそらく彼らにも厳しい面も優しい面もあったのでしょう。それが当時のワタシには見えていなかったのです。

 

メンタルの強さを売り物にしていたのはワタシだけだったのでしょう。 偏見の強いワタシと知りつつ、受け入れてくれていたのだと思うと恥ずかしいばかりです。

強靭なメンタルと一人いきがっていたのはワタシだけだった。

昔行動を共にしていた仲間たちも、今行動を共にしている仲間たちも、お互いを尊重していたのです。

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グループのカラーこそ違えども、決して敵対していたわけではないのです。昔の仲間の何人かは転職してしまい、いまでは連絡先も分からない状態です。

でも、いまでもきっと地に足をつけた人生をおくっているでしょう。

互いを尊重し、距離をおいたり縮めたりしながら生きているのです。

世の中で、一人勝ちなどありえないのです。やっとパニック障害発症から10年目にして、他人の痛みと、人の優しさを知る一歩踏み出すことができたのです。

パニック障害と予期不安がもたらした心の変化だったのです。

 

 

 

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