人生を強く生き抜くにはハッタリもときには必要。
でも、強がりと見栄の複合パンチをかましておいて「スミマセン、できませんでした」じゃああまりにも不細工すぎる。
「このリスクを背負って踏ん張るのが生きるってこと」と教えられて育ったらリスクなんて日常につきもので、当たり前のように背中合わせで生きていくんです。
「そんな他人事まであなたが抱え込むことないよ。こういうときは、、、」とリスクの回避を刷り込まれて育つと、責任事はみんな人任せの人生を歩むことになる。
どっちが賢明なのかは、人生が終わる直前になるまで判断できないですね。
ハイリスク、ハイリターンなんて望みはしないけど、当たり障りない人生とか、許容範囲内でそつなくこなす人生なんて、個人的にはお金もらってもゴメンだ。
たまにはハラハラドキドキがあったほうがドラマチックだし、負けのリスクを背負って勝負にでるのも楽しいいじゃないですか。
ここでは、リスクを背負って勝負できる人と、小さくまとまったノーリスク人生を選択する人の違いについて解説してゆきたいと思います。
リスクを他人に押し付けて身軽に振る舞う使えない奴
その男は謙虚というか、自尊心が低いというか、とにかく自分を卑下して世渡りしていくの。
「私なんか全然、、、。そんな大それた事とてもとても。そんな器じゃないですから、、、」と言って責任の重い仕事を回避するの。
サラリーマンとして自分の時間を売って収入を得るのだからリスクなんか背負わないほうがいいと考えている。
頭は決して悪いわけじゃないはず。一流大学を卒業してエンジニアとして前職に就いた。でも、そういうキャリアを今生かそうという気は全くなさそうなんです。
誰でもできる仕事をミスすることなく、そつなくこなしそれなりに体裁を整えボロを出さずに日々生き延びている感じです。
リスクを背負う事を明らかに恐れている。自分の力を信用していない。
仕事に手応えなんか求めないし、やりがいなんか追求したってろくな事にはならないと人生を見切っている感じ。モチベーションを低く保って、じっと時間が過ぎるのを日々待っている。まるで独房に入れられた囚人のようなサラリーマンなんです。
過去に一体なにがあったのか知り合いものです。
リスク、責任、変化、ペナルティーなどなど、このあたりの自分でコントロールできない物が嫌なんでしょう。ビジネスの世界にあって、周りはリスクがうようよしているじゃないですが、だから彼はそれらから距離を置いて生き延びる道を学習したのですね。
俺がやらずに誰がやる
安定を求めるならリスクは極力排除するに限りますね。でもその安定が低値だとしたら、少々のリスクを背負ってでも勝負に打って出ようと判断するのにもうなずける。
勝負にでようとするときのリスクがメンタルに与えるものは何でしょうか?
ある人には勝負するリスクが強烈なストレスとなって襲い掛かかってくるんです。失敗している姿が真っ先に思い浮かんで緊張が高まるんです。先の見えない不安感が緊張をあたえ、普段ならなんなくできる事でも上手く対処できないの。
リスクがストレスに変化しても、勝負に勝つことで大きな見返りが期待できるのだとモチベーションがググってあがる事もあるのです。大きなリターンがあるのだとすれば、それなりに手応えのあるリスクに違いないと腹が据わってくるんです。気を引き締めると同時にテンションも上がっていくわけです。
脳内では、やる気のドーパミンとかノルアドレナリンがバンバン分泌されるんです。
長嶋茂雄氏はバッターボックスに向かって歩きながら緊張を楽しんでいいたといいます。“いっちょカッ飛ばしてやるか”というヤル気ホルモンが気持ちを高揚させていたわけですね。
でもいざバッターボックスにはいるや、イケイケの気分がセロトニンによってコントロールされてピタッと集中モードに変化するのです。
脳内で分泌されている伝達物質が違うから、同じリスクでも恐怖を感じたり、楽しみを感じたりするんだ
同じ状況にいても、同じリスクと向き合っていても、感じ方は人それぞれですね。まったく同じなんてあり得ない。
生物として脳内で全く同じように反応するなんてあり得なんでしょ。
それでもたいていの人は「こんなふうに対処する」とか、「大きく二つの対処方法がある」とかに落ち着くんです。
その理由は教育されているからです。特に日本人みたいに全体主義で道徳を重んじる国民は、家事、地震、交通事故、突発な病気の時に、こうしましょうと教育や避難訓練が施されているの。
非常事態用のタガがはめられているイメージです。
冷静に対処するんです。
でも、もっと身近で自分の意思で対処法を決められる事だと積極性や消極性がもろにでてくる。逃げるか、立ち向かうかが人によってバラバラ。
でも一回逃げた人は次も逃げるんです。くせになっていって、いつのまにかその人のスタイルになる。
逆に、立ち向かうタイプの人はどんどんチャレンジするようになっていくんです。
5年も10年もするうちに、両極端で全く別々の生き物みたいに脳内の反応は決まってしまうのです。
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