子育てほぼ卒業・父と娘(高校生)の会話バトル
だいたい今時の思春期の子供らは言葉使いがなってない、と50代の父親は思っているのです。
「ヤバイ、ヤバクない?超ヤバイ、、、。」と思春期の娘。
子育てをほぼ卒業したと思いきや、こーんな短いスカート穿いて携帯ばっかいじっている娘の言葉使いが気に食わないのです。
「親をおちょくっとるのか、バカ娘が!」と父親は言いたくもなる。
「あたしがもらったお小遣いなんだから、何に使おうが自由でしょ!」と高校生の娘は父親に食ってかかる。
「そりゃそうだけど。少しはためになる事に使ったらどうだって言ってるんだよ」
「ためになる事ってなによ」
「そりゃいろいろあるけど、本を買って読むとか、クラッシック音楽のCDでも聴いてみるとか、編み物でも習ってマフラーの一本も編んでみるとか、いろいろあるだろ、、、。」
「超ウケる!いまどきの女子高性でマフラー編む奴なんかいないって。会社いって同年代のオヤジに聞いてみい。」
と親子の会話に遠慮はない。
これ以上言っても無駄だとオヤジは思ったが、それよりもなによりも、 あの『超ウケる』ってのが気に食わない。
超ウケるといいながら、会話が盛り上がっているわけではないのです。
「クッ、なにが超ウケる、だ! 」
「なによ、急に黙っちゃって。そんなことして同情引こうったってダメなんだからね」
「お前に同情してもらうほど、オレは落ちぶれていないぞ。ゴタゴタ言ってないで本買って読め」
「あっ、そうそうちょうどいい。社会のレポートでさあ、父親の仕事について書くってのがあったんだわ。ちょっと協力してよ」
とにかく調子だけがいいのが思春期の娘だ。
「オレの仕事に興味を持ったか。 まあ悪くない宿題だな。 いっちょ協力してやるか。」
娘は自分の部屋に筆記用具をとりに行って戻ってきた。
「はい、どうぞ」 と娘。
「なんだよ、そのハイどうぞってのは」
「仕事だよ、さっき言ったでしょ。もう忘れたの、ボケちゃったの?」
「忘れちゃいないけど、唐突だろ」
「唐突?あたしに何か期待してるわけ?超ウケる。」
またでたぜ、超ウケる。 こむかつくんだよ。
「オレの仕事はだなあ、カクカクシカジカで、、、、」
「それって、超つまんないでしょ」
「なにが超つまんないでしょだ!オレの仕事のおかげでお前らは飯を食えてるんだからな」
「飯を食える食えないの問題じゃなくて、仕事がつまらないでしょって言ったのよ」
「なんで、おまえにそんな事わかるよ」
「だって話しているとき、目がキラキラしてなかったもの」
「バカ、男は目キラキラさせながら仕事なんかしないんだよ」
「まあ、いいけどさ」
「まあいいけどさ、じぁないんだよ。少しは親に感謝をして、マフラーの一つも編んで、いつもありがとうって差し出してみろ」
「超ウケる、自分の親にそんな事したら行かず後家になっちゃう。あーっヤダヤダヤダっ」
「行かず後家って、お前よくそんな言葉知ってるな」
「一生結婚しないで独身でいる女の人のことでしょ、これでも読書家ですから」
「ふううん、それじゃ未亡人の語源知ってるか?」
「なに、その未亡人って?」
おっと、少しだけ会話が盛り上がっていたぞ。
「まだまだ、読書量が甘いな。昔は亭主が死んだ場合、その女房は亭主の後を追って自殺する慣わしがあった。にもかかわらず、この世に未練があって死にきれずに生きている女性のことを、未だに亡びない人という意味で未亡人と言ったんだ」
「法律で決まっていたの?」
「法律ってわけじゃないけど、世間一般的に、そうだったということだ」
「でも、おばあちゃん生きてるじゃん。おじいちゃんはとっくに死んでるのに」
「いや、これは昔の中国のでのしきたりで、日本じゃない。日本には旦那様がなくなった女の人という意味で未亡人という言葉が伝わってきたんだ」
「中国人、超ウケる、普通だったら遺産と保険金もらって、若いのと再婚じゃねえ」
会話がガッチリとはかみ合わない、父と大人への過渡期の娘なのです。
遠慮なしで話せる分だけ幸せな家庭なのでしょうね。
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子育て卒業後の息子は無口
「楽しかった?」と妻。
「普通」 と息子。
「美味しかった?」と妻。
「微妙」 と息子。
「うまく出来た?」と妻。
「 なんとも言えない」と息子。
親子の間でこんな会話していませんか?
会話が遠慮がちというわけではないのです。
息子が高校に通いだして暫くすると、こんな傾向が出始めるのが一般的みたいです。
高校生の息子は家では無口で、まったくと言っていいほど会話が盛り上がらないのです。
何を聞いても、良くもない、悪くもない、つまり普通なのです。
「本当に普通だと思っているのか?」と胸ぐらつかんで問いただしてみたくなる。
母親(ワタシの妻)としての感情はもっとウエットでどうにも釈然としないようです。
あの面倒くさそうに物言いが引っかかるのだそうです。
せめて、もう少しからっと明るく受け答えできないものなのか。
会話を長引かせるのを敢えて阻止しているような雰囲気。
つまり、よそ行きの顔をしていないわけなのです。
もし「楽しかった?」と聞かれて「もの凄く楽しかったよ」と答えたら、 えっ、どこが? どんな風に? もう少し具体的に? ええ、それから、それから? と迫ってくるのを予期しているようなのです。
まあ、会話するのが苦手というわけじゃないと思うのですが。
だって、友達とは楽しそうにしゃべっているのですから。
毎日休まず学校には行っている。
部活にも参加している。
だからって友達と仲良くやっているとは限らない、、、。
完全に妻の考えすぎ、とりこし苦労。
「思春期なのだからあんなものだろう!」とワタシは言うものの、妻は納得しない。
中学生の頃はもっと明るかったとか、学校であったことを話して聞かせてくれていたとか、、、、。
「何か悩みでもあるのかしら?」
「そりゃあ高校生なんだから悩みの一つや二つあるだろう」
「どんな!」
「知らねーよ。どんな悩みなのかなんて」
「聞いてみようかしら」
「やめとけよ、そもそも悩みがあるか無いかだって定かじゃないのだから」
「今、あるっていったじゃない!」
「だから、あっても別におかしくはないって言ったんだよ。高校生の頃、お前だって悩みくらいあったろう」
「どんな」
「知らねーよ」
こんな調子で夫婦の会話はもつれていくのです。
放任主義大賛成とは言いませんが、母親というのはああも細部にわたって子供のことを知りたがるのですかねえ。
「あの子ねえ、変な電卓使っているのよ。うちにあるようなのじゃなくて、数字の上にいろいろな記号みたいなのがついてて。計算が苦手で困っているのかしら」
「それ関数電卓だろ。今の高校生はみんな使うんだよ」
「それじゃあさあ、このまえあの子の国語の教科書を見たら、全然使った形跡がないのよ。ほとんど新品同様なの。国語の授業に出ていないのかしら」
「教科書とは別の教材をつかって授業しているんだろう」
「どんな」
「先生が作ったプリントを配ってやる授業とかさ」
「なんで教科書使わないのよ、変じゃない」
妻の頭の中は妄想でパンパンに膨れ上がっている。
思春期の息子が何かに悩んでいるに違い無い、と。
こういうの何ていいましたっけ?
心気症ってのは聞いたことがありますけど、これは単なる親バカ? みなさん、
どうしていますか?
息子からの要求 に母親のバトル魂に火が!
「1日に200g、たんぱく質を食べたい」
高校でボート部に所属する息子の口からがぼそりと一言。
ボート部では舵手つきクォドルプル(漕ぎ手が4人、舵取り1人)のストロークをやっているのです。
ワタシはテレビを観ながら「たんぱく質多めってことか、大丈夫だろう」と超軽い返事。
TVドラマが華僑に入ってきたところなわけです。
息子はその超軽い返事に抗するように通学用の鞄からA4サイズの紙1枚を取り出してきました。
ボート部OBのボランティアコーチが作成された資料の中の1ページです。
高校と大学とボート部一筋でやってきた筋金入りのボートマン。
厚さにして3~4センチほどの資料には、ボート部員に必要な筋トレの方法から栄養補給に至るまで様々情報が満載なのです。
自称アスリートの我が息子の解説によると、 たんぱく質を1日200gほど摂取するのがトレーニングするうえでベースとなるらしいのです。
子育てよ!再び
1時間番組のTVドラマが終わりワタシはソファーかむくりと起き上がると、妻は食事のときのテーブルでなにやら細かな表を作っています。
「一日あたり、たんぱく質200gかあ、しょうがねえなあ~」
妻の口調が若干男っぽく変化してきました。
無理難題を問われたときの反応なのです。
この大ピンチを切り抜けられるのは自分しかいない、と職人モードに突入したときの証なのです。
私がやらずに誰がやる。
いっちょう一肌脱いでやるか、といったところなのでしょう。
妻が職人モードに変身したのも、妙に浮き足立って色々な食材を調べ、たんぱく質の含有グラム数をチェックしたのも、理由があるのです。
単純に息子と関わりあえるのがうれしかったのですね。
息子が久々に親に頼ってきたのがうれしかったのです。
なんとも、懐かしい感じだったのでしょう。
今晩は鉄板だして焼肉&焼きソバを食べようとか、夏休みはオートキャンプ行ってみたい。
あれこれあれこれリクエストばっかりだったのですが、育児を卒業して高校ともなると勉強にも関与できないし(難しくて分からないのです)、 部活の練習を聞いてもつれない返事しか返ってこないのです。
男の子なんてどこのご家庭も同じようなものだと分かっているのですが、何か寂しいのですね。
そこに持ってきての、たんぱく質200g。
妻の職人モードへと突入したのでした。
子育てよ再び、といったところです。
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