偉業を成し遂げたから、あなたに価値があるわけではないのです。
テストで一番をとったから親から愛されるわけではないのです。
有名企業への就職が決まったから家庭の中で居場所があるわけではないのです
「勝ち組」、「負け組」なんて、あなたの価値には関係ないのです。
あなたは生きてそこにいるだけでいいのです。
存在することに価値があるのですよ。
「生きているだけでいい」は崖っぷちの人へのセリフ
これらのセリフには人の心を和ませる優しさがあります。
一理あることも事実です。
人間、生きていてナンボなのですからね。死んでしまったら何もなくなっちゃう、、、。
でも、これを誰かれ構わずに言い広げるのはいかがなものかと思うのです。
こういうセリフってメンタル的に弱っている人に抜群の効果がありますね。
頑張ったのに結果が出ない、報われない。だからもう何もしたくない、って疲労困憊している心にスーッとしみこんでいくのです。
メンタルカウンセラーの先生なんかが上手く使う言い回しですね。
極論ですが、崖っぷちの人命救助に使われる。
「そこにいてくれるだけで価値がある」というのは、「死ぬなよ!生きろよ!それ以外何も求めないから」と言っているのと同じですね。
「地味に頑張って、失敗の中から何かを学べ」という叱咤激励は、生きている事が大前提で、その上で「どういう生き方をすべきか」の指導に当たる人のセリフです。
「生きてさえいればいい」とは見据える先が違うのです。
だから、「生きてさえいればいい」は相手の心情を見極めたうえで言うべきで、誰にでも無責任に言うべきセリフじゃないんです。
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ぬるま湯社会をつくる価値基準とは
みずから命を絶ってはいけない。これは99%正しいと思います(残りの1%は死に値するほどの罪を犯した者)。
でも、全ての人が「生きていれば、ただそれだけでいい」と本気で信じてしまったら人類は何の進歩もありませんね。
そう思いませんか?
「生きてさえいればいい」と断言したら「メシを食い、クソをして、眠る」の繰り返しになってしまうじゃないですか。
それでいいわけがないじゃないですか。
一線を飛び越えそうな人を、こっちの世界に留めさせるためのセリフなのです。
元気ハツラツな人へのセリフなんかじゃないのです。
病気になったときだけ、いつもは厳しい母親が優しくしてくれる。
だから辛い事があるたびに病気のふりをする。
こんな人、いるでしょ。
理由はともあれ、無条件で優しい環境が欲しくなる時は誰にでもありますよね。
でも、その頻度が多すぎると問題が出てくる。
特に大人の場合は。
「生きてさえいればいい」が人生目的だと言ってしまったら、踏ん張りの効かない人間だらけの「ぬるま湯社会」になってしまうじゃないですか。
自分の価値を下げて、無償の愛を受けようとする人
何もしたくないから自傷を繰り返すタイプ。
リストカットしたり、睡眠薬を多量摂取したりして周囲にかわいそうな自分をアピールする人たち。
そして、慌てた周囲の人たちは悩みの原因も考えずに、ぬるい環境を無償提供してしまう。
あげくの果てに、引きこもりになって親の年金でのうのうと生き続ける。
説教をしようとすると「生きてさえいればって言ったじゃん」と反論してくる。
こういう奴は根性を叩き直さないとダメなんです。
安易に「生きてさえいてくれれば、それでいい」なんていう甘っちょろい事を言っているとろくなことにならない。
まともに働いて家族を養い、マイホームのローンを返済している人が「生きているだけで価値がある」なんてセリフ鼻で笑うだけですよ。
仕事しなけりゃ親子四人が路頭に迷うだけだと分かっているから弱音を吐かずに働きますよ。
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「生きていてくれれば、、、」は正しい評価じゃない
若いころから頑張り屋だった人の方が、歳をとったとき自己否定感が強く表れることがあります。「ずっと頑張ってきたのだから、もう充分でしょ!」と思うのに、今の自分は何の役にも立っていないと存在意義を否定的にとらえてしまう。
実力で人生を切り開くのが当たり前だったから、逆にリタイアした自分の無力感が嫌でたまらないとう精神状態なのです。
こんな例もあります。
家事と子育てを立派にこなしてきた専業主婦が、子供が結婚して家を出た途端に、心に穴が空いてしまったように虚しさがこみ上げてきた。
何も手に付かないほど気持ちが落ち込んでしまっているのです。
自分にはもはややるべき仕事がない。
居ても意味がない、と思えてくるのです。
こんな人たちに対して、「生きてさえいてくれれば、それでいい」のコメントで心穏やかになるものでしょうか。
「今まで充分すぎるほど頑張ってきたのだから、今は、ただいてくれるだけでいいのです。存在することに価値があるのです」と自信を失いかけている年輩の方々に話しかけるメンタルカウンセラーがいます。
全然リスペクトが足りていないように思えてならないのです。
「偉業を成し遂げたから、あなたに価値があるわけではない。あなたという人間そのものに存在意義があるのです」というのは、山あり谷ありのイバラの人生を歩いてきた人にたいして、あまりに安易な人生感じゃないですか。
必死に家族を養うために戦ってきたご主人や、家族が日々健康で生活できるために家事をこなしてきた奥さんがいます。
こういう人に対して、「どんなふうに歳を重ねてきたかなんて今の存在意義とは無関係だ」というのは無神経ですよね。
崖っぷちの人間を救うメンタルカウンセラーの言い回しがすべてに当てはまるほど人生ってのっぺりしていない。
今、ここにいるのは、自力で一歩一歩切り開いてきた結果なのです。誇りに思っていいのです。
思い出してください、必死に生きていたあの頃を。
カウンセラーが専門家がしっかりと説明すべきは、「若いころ奮闘してきた人ほど、年輩になって落ち着いたときに空虚な気持ちに陥りがち」というメンタル傾向です。
一生誇れる仕事をしたの、それが逆に今の物足りなさを誘い込んでしまうという人間心理を理解させるのが仕事なのです。
甘っちょろい「生きてさえいれば」みたいなセリフで、人生への爪痕を覆い隠してはいけないのです。
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