怒りっぽい人間の心の中とはいかなるものなのか?
自己中心的な性格、わがまま、甘やかされて育った、こんな背景があるかもしれません。
さらに統合失調症、躁うつ病、認知症、人格障害などのメンタル系の病気や問題が関係している可能性もある。
いずれの場合も人として疎んじられ、一人、また一人とそこから離れていくわけです。
誰も、そんな怒りっぽい人と一緒にいて楽しいわけはないですね。
でも逆の立場からみて、一人取り残された本人も愉快であるはずはないのです。
ここでは、そんな怒りっぽい人たちのメンタルにつていひも解いてみたいと思います。
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富裕層はわがままで、怒りっぽいのか?
金持ちだから必ずしもわがままとは限りません。
お金があれば、誰に気兼ねすることもなく自分の好きなようにできる。
しかし、富裕層が醸し出す雰囲気は、怒りっぽさとは真逆であるように感じられるのです。
お金持ちはおおらかで、庶民とはけた違いの贅沢を楽しみます。
意にそぐわない事に対しては、怒るまでもなく笑って握りつぶす余裕があるわけです。
だとすると、怒りっぽさとは、富裕層よりもむしろ貧乏人のヒガミのようにも思えるわけです。
無理して貯めたお金だからこそ、使い方に神経質になり、あれこれとわがままを言いだすというのもあり得ますよね。
そもそも、無理して貯金している過程で気持ちはささくれ立って、些細なこことで怒りっぽくなっているのです。
四六時中いらいらが止まらない
精神疾患におけるイライラは興奮状態を表しています。
躁うつ病の躁状態は底抜けに明るく、無謀なほど積極的で、常時高笑いをしていそうな存在です。
ところがそう状態の一面として、イライラがあるのです。
原因のないイライラで(原因は躁病ですが)、本人としてはどうしていいかわからず苦しむのです。
「この不快なイライラはいったいどこからくるんだ!」ということになる。
そこらやたらに当たらい散らしたくなる。
爆発的な威力をたたえた躁病患者が、底抜けに明るいバカ騒ぎから、苛立ちへと一変したとき、自分に向けられたマイナスエネルギーはけたたましく響くのです。
境界性人格障害の怒りっぽさとは
境界性人格障害は実は病気ではないのですよ。
その人の生まれ持った特性で、育った環境が原因ではないのです。
かれらの嵐のような激怒を治療しようと思ったら、病気としての取り組みではなく、人格変えるという観点に立たないとならないんです。
実際、境界性人格障害での生き辛さを改善しようと精神科を受診する人はいます。
些細な事で頭にカッと血が上り、大声で叫ばずにはいられない精神状態に突き落とされる。
瞬間的な拒絶反応と攻撃心が発動するのです。
なぜこんなにも腹が立つのかが自分でもわからない。
この症状を治療する方法は確立されていません。
しばらくすると落ち着きを取り戻し、本人は目に涙を浮かべるほどの罪悪感を感じるのです。
この繰り返し。
怒りにしろ、そのあとの後悔の涙にしろ、直接的で何か過去の体験が媒体になった2次的な反応ではないのです。
脳の中に埋め込まれた時限爆弾を思わせるような症状なのです。
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正義の為と怒りをぶちまける
今ここで怒りをぶちまけずに、いったい、いつ怒るんだ!?
選挙運動みたいに虎視眈々と怒りのパフォーマンスのタイミングを見計らっている。
「自民党がどうのこうの、、」
「安倍政権がああだ、こうだ、、」
俺はみんなのために怒っているんだぞ、と言わんばかりに他党を罵倒し、悪の根源のように怒りをぶっつける。
他党の不手際、政策の矛盾、不倫騒動、些細な上げ足、、、等々。
なんでもいいから評判を落とすような情報を前もってたんまり収集しておいて、一揆に怒りとともにぶちまけるわけです。
「そうだ、そうだ、そのとおり」と。
「ハイ、それからそれから」と。
桜が観衆に怒りをたきつけるんです。
観衆の反応に確かな手応えが感じられれば、怒りの破壊力は相当なもの。
それを利用して敵対政党を叩こうという作戦です。
だとすれば、怒らずにはいられないのはもっともな話。
死活問題なのです。
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