誰もが幸せな世界ってありえるのか|楽しみながら悪戦苦闘するのが人生

みんなが幸せな未来を思い描いてみました。

東京・新宿西口さながらの高層ビル群の合間を半透明なチューブ状の道路が3次元にカーブしてつながってかいます。
アスファルトの地面から高く伸びた樹木は地上20階まで達し、太い枝のあちこちにタンブラーに植えられた色鮮やかな花々がぶら下がっています。

マンションの窓から見下ろすと小ぎれいな公園で若いママ友らが談笑し、子供たちが遊具で明るい声をあげています。

夕方になれば在宅勤務の父親が書斎からダイニングテーブルに居場所を移し缶ビールをすすりはじめます。

どこの国のどこの家庭も似たり寄ったりの一日が終わろうとしています。

みな、まったりと平等に幸せなのです。

 

平和で安全で清潔で、犯罪とは一切無縁というわけではないのです。

良い事も悪い事も日常的に起き、誰しも悩みが絶えません。そんな中を、みんな幸せを感じて生きているんです。

不満だらけだけど幸せならいいんです。

 

みんなが幸せと感じる世界とは

 

完璧な幸せを求めると息苦しくなるんです。

「あとちょっとだけ給料が高かったらなあ」、「もう少し広いマンションに引っ越したいなあ」、「ドイツ製の高級車に乗りたいなあ」と誰にでも欲があります。

他人との生活水準を相対的に比較して、いっとき羨ましがってもいいじゃないですか。

『より良く』っていう感情は誰もが抱くもの。

現状に満足して平穏に暮らしていたとしても、ふとした瞬間に内側から漏れものなんです。

 

不公平が当たり前

 

人間社会における待遇のデコボコを全てへ平坦に地ならしすることなどできませんよね。

あの北朝鮮にだって貧富の差があります。

豊かさの違いが実力主義、能力主義につながっているのが資本主義国だとしたら、社会主義国における貧富の差はもっと強烈でダイレクトです。

支配する側とされる側、朝鮮労働党員と一般市民という枠組みががっしりとハメられているんです。

北朝鮮の人達をテレビのニュース番組で取り上げられるのを観るたびに思うんです。あの国で生活していて幸せなのだろうか、と。

でも、彼らは不幸だと感じていないんですよ。

あんな劣悪な環境ですら「金正恩先生、万歳!」とか叫んで幸せを感じている。

死んでもあんなふうにはなりたくないと思いつつ、少しだけ見習うべき所があります。不幸の中にいながらも、必死に幸せの種を見つけて育んでいこうとするメンタルです。

かなり極端な例ですね。

 

諦めがもたらす安堵感

 

北朝鮮の人々の幸せは諦めの上に成立している、と言う人がいます。

どうあがいても歯が立たない酷い現実を受け入れるために、自分は幸せだと自己暗示をかけているという理屈です。。

100%無理だと実感したとき、悔しさや怒りを追い払うために現状を好意的に受け入れる。せいぜいこれがオレの身の丈に合った幸せなのだ、と自分に言い聞かせるのだというわけです。

言われてみれば「なるほど、なるほど」なのです。

不平等を受け入れた幸せとは

 

ジェネレーションを幾つも遡らなければ現状の格差の根原など見えきません。

が、原因はともかくとして現状の不平等を受け入れたうえでの満足感とはどういうものか今一度考えてみました。

一つには、前述の自己暗示があります。自分の心を騙して不平等を受け入れるというパターンです。

二つ目は「自分は自分、他人は他人」と割り切って気持ちをなだめる作戦で、

これが最もオーソドックスですね。
でも欠点があります。

あまりにも不平等が大きすぎた時、心の許容範囲を超えて非常事態となることでなのです。

少々の不平等なら「損するときもあれば得するときもある」と、自分を納得させられるけど、大きすぎると無理が滲み出てくるのです。

 

「決して文句を言わない。愚痴もこぼさない」と心に誓って、あたかも現状を受け入れ満足したかのように見せていても心のどこかに嫉妬、やっかみ、被害者意識、恨みがましさ、損した感が噴出するのが人間の本性です。

円熟を通り越して枯れかかったように見える老人ですら、見た目からは想像もつかないような嫉妬に駆られていることだってあるのです。

80歳過ぎの老人がブツブツ文句を言いながら公園の花壇を踏み散らかしているのを想像してみてください。グロテスクでしょ。
歳を重ねても負の感情に翻弄されるものなんです。

持ちこたえきれなくなった瞬間にムカついてくるのです。

「ふざけんじゃねーよ!」と。

 

嫉妬が下支えした向上心

 

でも、この「ふざけんじゃねーよ」という嫉妬心や恨みがましさを乗り越えようとするところに向上心が芽生え、次のレベルの幸福へと案内してくれるケースも存在します。

現状にどっぷり漬かって満足してしまったら、我が身にムチ打ってまで上を目指そうという気持ちは起こりませんからね。

嫉妬心が「いつかギャフンと言わせてやる」という復讐心に変わって、「もっと便利に、もっと早く、もっと楽に、もっと快適に」という欲と向上心へと発展していくわけです。

 

競争心むき出しでリベンジに燃える自分に幸せを見出す人だっているんです。

腹立たしいけれど幸せ。

ムカついているけど幸せ。

目を三角にして困難に挑んでいるけど幸せ。

 

幸せにバリエーションがあって;

まったり系

ニンマリ系

イケイケ系

今に見ていろ系

ラッキー系

等々

 

だから幸せを満喫しつつも、更に上を目指せるというわけです。

悔しさや劣等感をバネにしてもいいし、今を楽しみながら進化をめざしてもいいんです。

ベースとして幸せがあって、そのうえにのっかって悪戦苦闘して生きていくのが楽しいわけです。

 

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