三島由紀夫氏のヤバイ精神構造
三島由紀夫さんの割腹自殺90日前にナマ録されたテープが発見されました。
「危険な人間でいたかったんだ」というメッセージがそのテープから聴き取れます。
「放っておいたら何をするかわからないヤバイ精神構造の奴」とみられたかったのでしょう。
その証拠に、こんなふうにテープで言っています。
「僕は危ないことは承知ですから、、、初めから安全な人生を送ろうと思って生きている人間じゃないから」 「死が外から体の中に入ってきて」 「川端康成さんの文章は怖い、僕はああは書けない」 「僕の物語が劇的すぎる」
三島由紀夫さんの生録テープに残されたインタビューから、はじめに頭に浮かんだのがこんな人間像でした。
『空気は読めないだけど超難事件をこともなげに解決する傍若無人な危険な刑事』
『金閣寺』、『仮面の告白』とあれだけの作品を残しながらも、「川端康成の文章は怖い」と言っています。
自らの文体を「キャンバスへの塗り残しを認めない油絵」で、川端康成氏の作品を「余白をも味わいとする日本画」に比喩しています。
圧倒的な文章力で読者を三島ワールドに叩き込むあの三島由紀夫氏が、川端の文章と文章の飛ばしが怖いのだという。
三島氏の中に深く根を下ろす異常性が、脅迫神経症のように疼いて文章の余白を許さないのかもしれませんね。
「三島由紀夫はそんなヤバイ精神構造の持ち主なんです」と言っているように聞こえるのです。
良い、悪いは抜きにして、許容枠からはみ出した存在と認知されたかったのでしょう。
物書きに人生を捧げた狂気の天才は、読者に解釈の自由などあたえない、と。
行間を読んでください、なんて勝手な真似は許さないのです。
三島由紀夫を読みたければ、最初から最後まで三島由紀夫に服従。
俺の身体を削って書いた三島ワールドを堪能せよ、と。
持って生まれた異常性が物書きへと駆り立てている、そんな雰囲気に憧れていたのかもしれませんね。
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自己顕示欲
三島由紀夫氏のテープに戻りますと、かなり自己顕示欲の強い人だったとお見受けできますね。
自滅するタイプの要素をたっぷりと含んだ性格です。
「安全な人生なんて送ろうと思ってない」と言い放った90日後、市ヶ谷の自衛隊の総監部に行き、益田総督を縛り上げてから、軍国の演説をして割腹自決を果たした。
45歳没。
全世界が三島由紀夫氏の異常な行動に驚愕しました。
三島由紀夫とは、いったいなんて奴なんだ!。と。
で、その三島由紀夫氏ですが、何かで読んだことがあるのですが、精神鑑定を受けているんですよ。
自己顕示欲の強さが透けて見えるます。
自分の内面に興味があったのでしょうね。燃え滾る自分の内面を客観的に見てみたかったのですね。
「あんたの精神構造はかなりヤバイですよ。間違いなくサイコパスで危険極まりない。このまま黙って返すわけにはいきませんなあ!」なんていうふうに精神科医から言われたかったのでしょう。
精神鑑定の結果は、本名(平岡公威・ひらおかきみたけ)で記録されています。
職業は作家で、著書に『金閣寺』、『仮面の告白』等があり、と記述がありますから三島氏であることは一目瞭然なんですよ。
精神鑑定の結果は 三島由紀夫氏ご本人が期待する鑑定結果ではなかったのです。
意外にも、ごくごく普通の人だったのです。
精神構造に危険性を秘めたヤバイ人ではありませんでした。
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いたって健全な思考の普通の人間。
ヤバくもなければ、キモくもない、普通のおじさんでした。
ご本人、さぞかしがっかりしたことでしょう。
「ちょっと、この人、ヤバクねえ?」みたいな評価が欲しかったんですよ、本人は。
危険な人間と鑑定されたかったんですよ。
俺の中に寄生するもう一人のヤバイ俺、みたいのを期待していたに違いありませんからね。
三島氏を幼少の頃から知る人に聞くと、かれは臆病な性格だったと言います。
発行されている作品は確かに天才が産み落とした超一流。
でも、晩年の強烈な自己顕示から割腹自殺へとのめり込んでいくあたりは、案外、「臆病な性格」から来ているんじゃないかと感じるわけです。
自己異常宣言は「俺を舐めんなよ!」的な強がり、に通じているように思えるわけです。
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サイコパス的危険な人格
冒頭、ナマ録テープのインタビュー内容を読んで、KY&頭脳明晰の印象を感じたと書きました。
いまでこそ、企業トップにはサイコパスが多いことが知られています。
悪い事をするわけじゃなく、サイコパス思考で企業戦略を練っているという事です。
発達障害者なんかの人口比率も思いのほか多いことが分かってきています。
テレビドラマや映画に登場する主人公が人並みはなれた推理力や行動力を発揮するとき、主人公の思考回路の非凡性が魅力的に感じられる事ありますよね。
大胆不敵で、その場の空気なんて関係なく、上司と部下の上下関係全も然気にしない。
三島由紀夫氏が生きた時代には、社会への適応が苦手でありながらも難事件をものの見事に解決する探偵なんて概念は無かったでしょう。
おそらく、芸術家としての存在は【私生活むちゃくちゃな鬼才タイプ】と【普通のおじさんタイプ】に色分けしたときに、川端康成氏を後者、三島由紀夫氏を前者と位置づけていたのではないでしょうか。
でも実際問題、思考感覚がしっかりバランス取れていなけりゃ、あんな長編小説など書けるわけもないでしょうから。
普通の感覚,、大切じゃないですかね。
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