あなたの心は汚れてない|他人の幸せを素直に喜べない人

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学生時代の友人の結婚披露宴。

美男、美女の結婚式です。

不愉快極まりないのです。

浮気でも何でもして別れてしまえ、と思ってしまう。

で、罪悪感で落ち込むのです。

 

えっ、お隣の◯◯◯ちゃん、お受験に失敗した?

我が家では公立小学校への入学を初めから決めていたから、お隣の不合格がなぜかハッピーなのです。

で、自分の心は汚れているのだろうか、と真剣に悩む。

 

いや、アナタの心は汚れてなどいません。

それが普通の人間心理なのです。

ここでは、他人の不幸で自分のメンタルを支える人に、ついて解説させて頂きます。

 

同じ方向に向かっているから最下位が恐い

 

日本人ってみんなと同じが好きでしょ。

一番安心できるのがみんなと同じって状態なんです。

一人だけが全然違う事をしだすと、途端に浮いていないか不安になってくる。

得意、不得意は誰にでもあるけど、ひとつだけ抜きん出て凄い才能があったりするより全体的に平均点チョイ上の方が高評価を受けがちなのも日本の特徴です。

端にも棒にも引っかからない落第点は、幾ら別の分野で天才的な才能を発揮しても、許されない文化なんです。

落後者を放置せずにしっかり網でさらって引っ張っていこうという考えです。

だからこそ、同じ集団の中で最下位になるのが怖くてしかないの。

全員が同じベクトルで進んでいるから、その中での順位が人間としての価値みたいに感じられるのです。

だからこそ、自分より下がいる事が安堵につながってくるのです。

 

分野が違っていれば互いに認めあえる

どんなに頑張ったって、みんながみんな勝組になれるわけじゃないですね。

勝者がいるって事は、敗者も存在しているわけです。

だから友達どうしでも同じ土俵で競い合うより、別フィードで努力し合う方が波風立たない。

直接対決がないですから、友達の成功を素直に喜んであげる気持ちになれる。

ただ、それとて自分のフィールドで散々な成績だとしたら、友達だけが成功しているのが恨めしくも思えてくるものです。

 

全世界の安全と幸せ

 

新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか収まらない。

世界中の誰もが、感染の終息を願っている。

アメリカ、ヨーロッパ、インド、ブラジルが得にヤバイ。

そんな状況下で繁華街の飲み屋が願うのは日本国内の感染終息です。

 

観光名所の旅館や土産屋さんは、大のお得意さんだった中国の感染終息と、中国人の来日の自由化ですね。

事業をグローバル展開する企業にとっては、全世界規模でのコロナ終息が生きる上で大切になってくる。

世界の幸せは倫理的に賛成だけれど、実生活のレベルでは自分自身の立ち位置がどこかに掛かってくるわけです。

居酒屋経営者と航空会社の経営陣では求める物が全然ちがうし、自分に無関係な地域での回復になんて単なるニュースとしての興味しかないのです。

これを取り上げて、心が汚れていると責められる事などないでしょ。

 

大きな脅威と小さないがみ合い

紛争地域でやるか、やられるかで生き残りをかけている人にとっては、命を脅かす敵対者が脅威となるわけです。

こちらに攻め込んできて、家族や隣近所に手榴弾を投げ込んでくる。

黙って大人しくしていたら殺されるとなれば、一致団結して敵対する相手への攻撃を仕掛けます。

持っている全ての武器を集結して攻めに転じるわけです。

紛争に巻き込まれるまでは、些細な事で意見の食い違いがあった隣人とも、それまでの諍いを水に流して協力し合う。

 

でも、紛争という特殊事情がなければ隣人は常に神経を逆なでするウザい存在だったのです。

ゴミの分別や娘のピアノレッスンの音がうるさいと文句を言われる毎日。

殺し合いという大きな脅威があってこその協力がそこにはあり、脅威が無いからこそ小さないがみ合いが発生する、という構図です。

 

嫌いという感情

嫌いという感情も実は相対的なものですね。

前述の、些細な文句を日々発するウザい隣人を目の敵のように感じて生活していたわけです。

大嫌い。

いつか絶対に痛い目に合せてやる。

時として、自分はどうなっても構わない、娘のピアノに文句を言うあいつだけは許せない、と思ったりもするわけです。

ところが地域紛争が勃発して、敵陣が攻め込んでくるとなった途端に、それまでのいざこざなど瞬時に忘れて怒りの矛先が敵陣に向けられる。

嫌いという感情は相対的に変化するのです。

 

他人の不幸は蜜の味

ある一定レベルの幸せな環境で生活していると、幸せな感覚が当たり前になってきて、他人の不幸が刺激的な甘い蜜の味に感じられる。

それまでは他人の生活など見ている余裕も無く、しゃかりきに働いて生計を立てていたのが、だんだんと社会の経済基盤が整って自分の生活も安定してきた。

ふっと隣の家の生活レベルが気になってくるのです。

衣食住のどれをとってもほぼ同レベル。

お互いに望んでいた生活レベルが得られて良かったですね、とはならないのが人間心理なんです。

なぜか『勝った、負けた』の意識が芽生えてきてしまうのです。

それは、比較し安い環境であるからです。

同じ方向に向かって歩いてきた者どうしだから、“団栗の背比べ”であるにもかかわらず、少しで上でありたいという気持ちが滲み出てくる。

同時に、相手が下がれば相対的にこっちが上がった事になる、と直感するのです。

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