詰めが甘いから矛盾が生じる|みんなが前に進むためには最後まで深堀するのだ

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「なぜそうなるの?

矛盾しているじゃない!」

と感じること、一日何回くらいありますか?

 

遥か昔、小学校の高学年の頃、担任の先生が言っていたのを今でも覚えています。

「子供は子供らしく、開けっ広げでいなさい。ウソなんかついちゃダメよ」と。

そして、またある時は、

「もう5年生なのだから、少しは大人になりなさい。楽しければいいってものじゃないでしょ」と。

 

『子供らしくしていろ』と『大人になりなさい』の両方を突きつけられていたのです。

子供心に、ずいぶん都合の良い先生だなあ、と思っていました。

 

詰めが甘いから矛盾が生じる

 

人はすぐに矛盾に陥るのです。

立場が変わると、途端に言う事が違ってくるでしょ。

小学校の先生をしながら、小学生の子供を育てている人いますね。

先生の顔と親の顔を持っているのです。

穏やかに時が流れているときは二つの顔をもっていても矛盾はないのです。

でも、いじめの問題が注目をあびると途端に相反する顔が出現します。

 

教師としての顔

 

いじめ問題など、教師一人で解決などできるわけがない、という思いが先生の本音のはずです。

対処する時間がないのですから。

残業時間をみれば一目瞭然で、これ以上働かされたら死んでしまう、というセリフが喉元までせりあがってきているのです。

でも、それを言ってしまうわけにはいかないのです。

法律違反になってしまうのです。

だから、徹底して「いじめなどなかった」の一点張りを通すしかない。

「ひと月の残業時間は50時間を超え、家でもテストの採点、土曜日は部活動の顧問までやらされているんだ」と言いたくても言えないのです。

これを言った瞬間にいじめが有った事を間接的に認める事になってしまうからです。

親としての顔

 

自分の子供が学校でいじめに合っているとしたら、『いじめ防止対策推進法』で定義されている「いじめを受けていると思われるときは、適切かつ迅速に対処する責務を有する」という文言を持ち出すでしょ。

「いじめなどなかった」と学校側が主張するのは想定済みで、徹底的にいじめの証拠集めに注力し、教育委員会を巻き込んで事を大きくするわけです。

学校側、教師側が一番やられたくない事を知っているから、そこを突いてくるわけです。

その担任教師がひと月何時間くらの残業をしているかなんて関係ないのです。

我が子が、ひどい目に遭わされている問題を打開するまでは、徹底的に戦うわけです。

 

いじめ問題、何が原因なの

 

「いじめって絶対になくならない」と教育関係者が断言するほど難しい問題ですね。

その理由は『いじめ』そのものが問題であると同時に、解決策でもあるからなのです。

弱い存在を見つけていじめることで、自分の中にある劣等感や不安感をなだめているからです。

劣悪な環境に育って、親から愛されずに寂しい思いをしている子供が、自分よりも惨めな存在を作ろうとして、いじめに走るわけです。

その子供にとって、いじめる行為で自分の中の不幸を帳消しにしているのです。

つまり、或る子供にとっては残忍ないじめでも、別の子供にとつては薬の作用をするというわけなのです。

この問題を深堀していくと、各家庭事情の問題へとどんどん深くなっていくのです。

とても学校の先生が太刀打ちできるような問題ではなくなっていくんです。

 

問題なのだから解決した方がいいに決まっていますよ。

でも解決するには底が深すぎるのです。

だから掘り下げるのを途中でやめて、対策を立ててしまうから矛盾がでてくるのです。

詰めが全然甘いとしか言いようがないですね。

 

検察と弁護士の立場の違い

一番わかりやすい例は、検察と弁護士の立ち位置の違いです。

もともとは犯罪者に、罪を償うのに適切な刑罰を与えるのが仕事だったはずです。

ところが今や、起訴したからには絶対に有罪にしなければならないと検察は考えます。

有罪にできないなら起訴しない、というスタンスから95%が有罪判決を受ける結果になっているのです。

弁護士は無罪狙いで裁判に臨み、それが無理なら悪意はなかったと嘘をついてでも刑罰を軽くしようと検察の捜査の穴を突いてくるのです。

まるで真実を捻じ曲げてでも自分の職に有利な方向へと誘導しようとするかのようです。

罪を裁くのは法である、と犯人を憎む被害者の遺族をなだめても、結局は検察vs弁護士という面子を掛けた戦いとなっている。

これも凄い矛盾ですよね。

 

死刑宣告したのに刑が執行されない

 

裁判で死刑を言い渡されたのに、刑がなかなか執行されないケースがあります。

あれって、検察が表向き勝利したのに、刑が執行されないなら負けたに等しいでしょ。

これって凄い矛盾ですよね。

死刑って殺されるのが刑罰だから、刑務所に入らなくていいんです。

ずっと拘置所にいて、ある朝突然呼び出しがかかると言います。

だとすると刑の執行されないかぎり、裁判では検察の顔を立てたけれど本当は犯人じゃなかったのでは、って誰でも思うでしょ。

袴田巌さんは、20年以上も拘置所に閉じ込められて、えん罪で出てきた。

和歌山カレー事件の林眞須美刑囚も20年も経過しているのに刑が執行されないですね。

どちらも証拠を裁判所が採用していないのです。

裁判での詰めが甘いから矛盾が生じているパターンですね。

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