幾つになって子供は子供、親は親なんですよね。
ふっと、こんなふうに疑問を感じたのです。
なぜかオレは親から何か頼まれると、妙にイラっとするのです。
父親は脊椎狭窄症の手術を受け、車椅子か歩行器を使わなければ移動できない不自由な状態です。
何かにつかまればかろうじて歩けはするのです。
母親は専業で、若い頃から貯金や保険などの金銭面はすべて父親任せで、月々10万円くらいの食費をもらって家事をしていたような人なのです。
これは、そんなに珍しい役割分担ではないですが、、、。
母親がオレを心配性に叩き込んだ
自分が大人になってから感じたのですが、自分の母親には二つの特徴があったように思えるのです。
一つ目は;
子供(オレの事です)には何が何でも学業優秀でいてほしい。そして、クラス委員をこなしハキハキとしていて先生からも一目置かれている存在でいてほしい。
現実のオレは、さして勉強ができる方ではなかったから、クラス委員を決めるとき立候補するのが嫌でしかたがなかったのです。
でも、何の役職も得られずに家には帰れないと、恥ずかしながらも立候補しては、は母親に認めてもらおうとしていました。
二つ目は;
その一方で、母親は常に体の不調をうったえては、オレが心配するように仕向けていました。
毎日のように「体のあっちが痛い、こっちが痛い」と幼いオレに言い聞かせては、心配そうに母親を見上げる息子から自分の存在意義を確かめていたのです。
でも、母親にとってオレの反応(心配そうに母親を見る)だけでは物足りなかったのでしょう。
ある時は、胃がんで1年の命なのだといい、またある時は『求心』の小さなビンをみせて、「これは、とてもよく聞く特効薬だけれど、一度に2錠飲んでしまうと死んでしまうのよ」と言っていました。
母親は、姑や義理の弟との同居生活のなかでストレスフルになり、少なくとも息子からは大切に思われていると実感したかったのでしょう。
我が子が自分の母親の身を案じる姿をみて、フラストレーションをコントロールしようとしていたのです。
ちょっとアンバランスな印象を受けるでしょ。
でも子供だったオレには、これに疑いの目を向けることができなかったのです。
こんなことがあって、オレは極端な母親心配性になっていったのです。
さんざんウソを吹き込んでオレの心を弄んで
その母親もそれから数十年が経過し、年を取りました。
最近いは身体のあちこちにガタが来ているようではあるのです。
実際、体調がすぐれない日だってあるのは事実なのです。
でも、相変わらず、何か言うたびに「アタシもあんまり調子よくないから、、、。」を必ず付け加えるのです。
この、体調不良のひとことを付け加えないと物足りないのでしょう。
絶好調だと言ってしまって、突き放されたら困ると思っているのか、それとも長年のクセで言ってしまうのか、、、。
年老いた母親が「腰が痛いとか脚が痛い」とか言ってきても、半信半疑になってしまうのです。
信じる気持ちになれないのです。
さんざんウソをついてオレを神経症的な心配性に叩き込んでおいて、今更本当に具合悪いわるいからなとかしてくれなんて都合がよすぎるじゃないか、という気持ちなのです。
オレを愛していたのにウソはない
母親がオレを愛していたのにウソはないと思っています。
これだけは自信をもって断言できるのです。
だって、成人して大学を卒業するまで育ててくれたのですから。
でも、引っかかるものがある。
一旦、その引っかかりを棚に上げて、今更思う事は、
幼少期に、もっと自分の感情に正直でいればよかった、ということなのかもしれません。
母親に対して、もっともっと大好きだと言葉に出して言えばよった。
もし、そうしていたならその言葉で満足してくれていたかもしれない。
くだらない病弱のようなウソをつかずとも、我が子から愛されていると安心感を得ていたかもしれない。
だとすれば、口の利き方やオレの態度から、「この子はもしかしたら自分の事を好いていないのでは?」と思わせていたのかもしれない。
何十年も前の子供の自分を反省しながら、それでもどうしても気持ちがついていかないのです。
イラつく
「電子レンジとオーブントースターと掃除機を買ってきてくれよ、金は出すからさあ」
車椅子でしか長い距離の移動ができない父親がオレに言いました。
母親はクルマの運転もできないし、家電量販店に買い物になど行けないのです。
イラつくオレをみて、母親は「私がしっかりしていれば、アナタに迷惑かけずに済むのに、悪いね」とメソメソと目頭を押さえるのです。
そしてある時は、
「美味しい梅干し買ったから、あげるよ。何か器を持ってきて」と母親が、一階の階段の上がり口から、俺に叫び掛けました。
録画しておいた半沢直樹の最新回を観ている最中でした。
梅干なんていらない、別に好きでもないし、と思いながら悪いから、返事をします。
「はーい、今行きます」
半沢直樹を一旦スタップしてタッパーををもって階段を降りました。
これ、いい梅だからさあ食べなよ。
俺は菜箸で10個ばかりの茶色の梅をタッパーに移しました。
タッパーの蓋を閉め終えるか終えないかのタイミングで、奥から父親の声が耳に入ってきた。
また、面倒臭い事を言いつけるつもりだろう、と嫌な予感がします。
「金庫の鍵を、あけてくれよ。俺、金庫前に座れないからさ。」
ダイヤル式の金庫は、慣れない人にとっては面倒この上ないのです。
貯金通帳が入っているのか、なにか大切な書面でも入っているのか分からないけれど、人の都合など全く無視して頼み事をしてくる。
母親にはダイヤル式の金庫など開けられるわけがないのです。
「忙しければ、あと後でいいよ」と父は言うものの、どうせオレが開けなきゃならないだろうと思うと今やってしまった方が気が楽だ。
年老いた親の頼み事を聞くたびにイライラするのは、なぜなのだろうとも思うのです。
子供の頃、散々オレにしっかりしろと言ってきたくせに、今じゃ何も一人でできないのか、と蔑むような気持ちが湧いてくるのです。
物凄い自己嫌悪に襲われます。
それでもイライラは止まらないのです。
相手が親だという甘えがあるからイラつくのか?とも思うのです。
育ててくれた親なのに、なぜ俺は優しく接することができないのか。
そんなふうに感じずにはいられないのです。
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