脳は悪い事に対して異常に敏感に反応する|非科学的な祈りへの執着

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脳って悪い事に対してすごく敏感に反応するんです。

すぐに不快な気分になって、それが顔に表われる人っているでしょ。

あれも本能的なものだから仕方ないの。

むしろ、気の毒に思わないといけないんです。

 

ちょっと頭が重いだけなのに、なにか重い病気なのか不安になる。

本人も辛いはずなんです。

 

昔だと、下駄の鼻緒が切れると不吉な予感ってことになった。

今でも、女性のショルダーバッグの肩掛けの紐が突然切れたとか、女性だとハイヒールのヒールが折れたとかすると、途端に悪い予感を思い浮かべて気持ちが暗くなったりする。

病院に4号室がないのも、死を連想させるからとか、お見舞いに鉢植えの花を持参するのは避けたりもする。

 

ここでは、悪い事に過敏になりがちな脳の特性について解説させて頂きます。

  

自己防衛本能と悪い事への異常な反応

 

まずは人間の本能の実態を知らないと話になりませんね。

人間って安定を好むでしょ。

本能的にはスリルより安定なんです。

たまに、太く短くとかイキガッテいるヤバイ奴もいますけど。

 

で、安定するためには現状維持が基本なのです。

昨日と同じように今日を生き、また明日も変わりなく日が昇り暮れてゆく。

人間は狩猟民族から農耕民族へと進化して生活が安定してゆきました。

「獲物が取れなかったから、今日の晩飯は水だけ」じゃ困るから農作物は生活水準の安定に最大限に貢献したのです。

田畑で農植物を育て、家畜を飼育して、池で魚を養殖して暮らしを安定させていくわけです。

 

そこで日照とか雨量とか寒暖差とかに異常があると、途端に神経がピリピリするんです。

だって、生きるうえでそこが一番のネックになるわけですから。

だから雨が降らないと雨乞いして、大切に飼育していたヤギとかを神様に差し出してお願いする。

雨が降ってくれないとせっかくの畑の食物がダメになってしまう。

ヤギのクビを切って生き血をお皿になみなみと注ぎお供えするんです。

男も女も裸になって夜通し踊り続けて神様にお願いする。

やれる事は全部やって祈ろうという切実な願いなのです。

この非科学な儀式のDNAが今日まで脈々と続いているんです。

連想が悪い方へと倒れ込んでいく

 

干ばつ、猛暑、極寒みたいな天災って誰かにお願いしても、どうしようもないでしょ。

でも頼む相手がいないから、何もしないで腕組みして待つ、ってことができないのが人間なんです。

宇宙衛星ひまわりで雲の流れを把握できる現代社会で生きながらも、雨乞いをせずにはいられない人達もいるのです。

雨雲一つないのだから雨乞いしたって、ヤギを差し出したって仕方ないのに、そうせずにはいられないところに人間の弱さがあるんです。

何もせずにいると、悪い方へと妄想が傾いていくんです。

さすがに一晩踊り続けはしないけれど、お供え物だけはと神様にお願いする。

今ここで雨乞いをしておかなければ、干ばつがこの先何年も続き、大切に育てていた農作物が全滅してしまう、って胸騒ぎが止まらなくなるのです。

宇宙衛星ひまわりが映し出す衛星写真には映り切らない規模で神様に願いを届けようとしている。

 

目に見えない物や、存在しない物との戦いとなっていくんです。

まともな神経なら、何をしたってムダなときはムダ、とわかるのに天災の前に盲目と化してしまう。

 

非科学的な祈り

 

「やっても、やらなくても大差ないよ」って事はよくあります。

野球の素振りなんて、或る程度の腕力がついてしまえば、やってもやらなくても大した違いはないんです。

つまり、やらないよりは、やった方がマシ程度。

これに人間は引っ掛かっちゃうんです。

 

いまどき上司にお中元やお歳暮を贈る人なんてほとんどいないでしょ。

贈ったってコンプライアンス違反と言われて、突っ返されるのがオチ。

だったらせめて暑中見舞いでも、って思うかもしれない。

でも、暑中見舞いなんてもらっても、もらわなくても一緒でしょ。

それならなぜ、暑中見舞いを出すのか?

気持ちが許さないからなんです。

自己満足なんです。

 

後になって、「あの時、暑中見舞いを出しておけばよかった」という局面が来た時の為に郵便ポストに投函するのです。

これをやっておかないと、メンタル的に持たないからなのです、

悔いが残らないように、やれることはすべてやっておく、という感覚です。

敏感さが異常になってくるのです。

つまり最善を尽くさなかった事への罪悪感を残したくないからなのです。

 

執着へのスライド

 

やり残しや手抜かりに気づいたとき、たまたま何か良くない事が起こってしまうと、そこに因果関係を見出してしまうことがあります。

ツボにはまった、という状態です。

「ついつい、うっかり」と、惨事とが同時期に起こったとき目に見えない糸で二つを結び付けてしまうのです。

当事者でなければ、「そりゃたまたまだから気にすることはないよ」と判断できる。

でも、当の本人はまともな判断ができない。

自分の事だからこそ、弱さが出てしまうのが人間なのです。

まるで強迫神経症のように、止めずにはいられないメンタルの弱さが人間にはあるのです。

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