オレは特別なんだという自己愛まみれの伊勢谷友介|日本じゃ違法でしょ、知ってるよ、弁護士が来たら話すから

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伊勢谷友介、大麻所持で逮捕!

「日本の法律じゃ違法なんでしょ。知っているよ。弁護士きたらお話ししますから」と。

自分は特別。

ピエール瀧や清原和博や槇原敬之や沢尻エリカとは別格なんだ、と言いたい雰囲気がプンプンします。

 

大麻や覚醒剤やコカインで逮捕される人たちが、身も心も汚れきっているとは限らないですね。

傷ついた心を癒す優しい音楽で社会貢献したり、圧倒的なパワーでスポーツ競技を盛り上げたり、学校法人を設立して、学びの大切さを波及させたりしているのです。

誰もが尊敬の念で見つめるその輝かしい顔の裏に、違法ドラックで手取り早く癒しを堪能して、また次の作業に取り掛かからねばならないタイトな日常があったのだろうとも思ってしまうのです。

でも、伊勢谷友介はどうも違う。

誇らしげなドヤ顔の下の苦悩に歪む紅潮した顔面ではなく、自己愛を満足させるためのハッタリのように思えてならないのです。

 

俺は別格、芸術を創造するためにはいっときの深い休息は許されている

 

伊勢谷友介が大麻所持で逮捕されましたね。

これ、どう見ますか?

彼は東京藝術大学を卒業したインテリさんなんです。

現行犯逮捕された後、「弁護士さんが来てからお話します」と落ち着き払っているあたり、アカデミックな知性に溢れているのでしょう。

というよりは、実刑判決には至らないと踏んでいるツラの皮の厚さを感じます。

 

で、芸能人としての実力は?

いまいちパッとしないでしょ。

 

確かに有名人だしテレビ、映画にもたくさん出演しています。

でも、はっきり言って人気的には1.5流。

とても一流とは言えない。

阿部寛とか堺正人とか香川照之とか、あのあたりと比較するとガクッと落ちるでしょ。

阿部寛の独特な聞きづらいセリフには味わいがあって、堺正人や香川照之には場面を切り裂くパワーがある。

伊勢谷友介にはクセの強いはまり役はあるけど、あの耳ざわりな声をストーリー全面で聞かされたら嫌気が差すじゃない。

 

こんなはずじゃなかったと手を広げてみたけれど

 

役者、監督、ボランティア、学校経営等々、多才の顔を持つと形容されるけど、どれも軽いニュース程度にはなるだけで、大した注目を浴びてはいませんね。

それよりも女癖の悪さは、一旦横に置いておいて、彼の心情たるやいかなるものだったのか?

『1.5流の役者で終わる俺様じゃない』、ってところを自分自身にも世間にも示したかったのなか、って思うんです。

凝りに凝った役作りで撮影に挑みながらも、助演男優賞あたりで持ち上げられて、主役のオファーなんかちっともこない。

前述していますけれど、東京芸術大学卒業の高学歴がむしろ人生の邪魔をしていたように思えてならないのです。

芸術を追求しようとするあまりエンターテインメントから逸れて行っている。

俳優としての幅も狭い。

チンピラがかったトッポイ悪、インテリチックの悪徳高官、腕の立つ用心棒、、、。

44歳のわりに一皮むけていないんです。

だから、俳優とは別の活動で自分の才能を開花させて自己満足しようとしていた。

本職の役者や監督業では、あくまでも芸術を追求する。

そのためには、違法と分かっている大麻とて、人に迷惑をかけるわけじゃないし、いいじゃないか、と自分をごまかしていた。

「違法であることは知っています」と平然と答えるあたり、どこか精神に狂いが生じてきていますね。

 

オレは特別なんだという自己愛

 

子供の教育に熱心だったとか、東日本大震災でのボランティア活動に参加したとか良いニュースが大麻所持の映像と交互にテレビでは流れます。

同じマンションに住む人の話はでは、普通に挨拶する気取らない普通の人だとの事ですね。

伊勢谷友介さんだけじゃなくて、凶悪殺人犯でも強盗でもたいていは、日常生活においてはごく普通に立ち舞えるのが人間ってものなんです。

いったい、いつから伊勢谷友介の思考に狂いが生じてきたのかと考えるに、俳優としてのデビュー後の上昇の鈍化とか、求められる役柄のマンネリ化あたりでしょう。

東京藝術大学への現役合格で自尊心は最高潮に高まり、これからの日本の映画界をけん引していくくらいの勢いだったに違いないんです。

見た目だって決して悪くないし、一気に人気のトップ街道を突っ走ってもおかしくなかったと本人は思っていたのでしょう。

が、彼なりの芸術の価値観が邪魔をして、当時役を与えてくれた製作側の監督やプロデューサーと意気投合できなかった。

でも、そんなふうにして干されていく俳優なんて幾らでもいます。

普通は干されたらそれで消えていくか、厳しい監督に鍛えられて芽がでるかなんです。

でも彼は違っていた。

自分なりの役作りで存在感を見せることに執心したんです。

それはそれでスクリーン上では光って見えた。

でも、主演でボンボン起用されるような輝きではなかったんです。

つかこうへいに鍛えられて輝きだした阿部寛とは全然ちがったんです。

そこで役者以外の監督業や学校教育へと手を伸ばしていった。

監督業はまだしも、たまたま東京芸術大学に現役合格したことの延長線上で教育論を語られても、単なるまぐれ当たりの実体験解説みたいなものですから。

これはある種の自己愛のようなものです。

役者以外での活躍を世間に見せる事で自尊心をキープしようとしたのでしょう。

 

それが高じれば高じるほど、自分はその辺に居るただの役者とは違う。

オレは特別な存在なんだ、という気持ちが自己愛から滲み出てきたのです。

「日本の法律では確かに違法だよ。そんな事は百も承知さ。でもオレは特別な存在なんだ」

という狂気じみた心境が出来上がってしまったのです。

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