弱い者をいたわる気持ちと、弱っている自分をアピールして同情を引こうとする者

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いいわけから入ってくる人っているじゃないですか。

「なんだか今朝から頭がズキズキ痛くていたくて、、、」とか

「昨夜ほとんど眠れなくてさあ、、、」とか。

いつも元気いっぱいで前向き・積極的な人が弱音を吐くと、ただならぬ予感がします。

「えっ、大丈夫?今日はゆっくり休んでいた方がいいよ」って事になる。

でも、毎度毎度ネガティブパワーで来られると嫌気がさしてくるんです。

こっちの同情を期待しているように思える。

ここではネガティブパワーで来る人の心情について考えてゆきます。

 

弱っている自分をアピールして同情を引く

 

睡眠不足、頭痛、腹痛、気持ちが悪い、ふらつく、物がかすんで見える、等々の「身体が弱っていますアピール」を必ず出してくる人がいますね。

これって、本当はフィジカル面に問題があるのではなくてメンタルの問題なんです。

自分のパフォーマンスが他者より劣る原因として、身体の不調をまず出してくるんです。

実力の100パーセントを出せない理由とか、手抜きせざるを得ない理由を体の不調だと言っておくことで、本当の自分はもっと凄いのだからね、と主張しているんです。

 

難しい問題や、時間のかかる大仕事を目前にして、自分は体調が悪いのだと言い訳をしておくことで、問題・大仕事をやり切れない不安感を打ち消そうとしているのでしょう。

ワタシは具合が悪いのだから、うまくいかなくても仕方がないのだと。

それがいつの間にかクセになり、何かと言えば睡眠時間、頭痛、腹痛、、、、を言わずにいられなくなったんです。

もの知らぬ子供を適当に言いくるめる

 

人には弱い者をいたわる気持ちがあります。

子供だって赤ちゃんが泣いているのを見れば、どうしたのだろうと思うでしょ。

赤ちゃんのお母さんはどこにいるのだろうと、当たりを探すじゃないですか。

人間ってもの心物ついた頃から、自分よりも強い者、弱い者の区別をしているんです。

それは、強者ならこの人のいう事に従った方がいいと思うし、弱者だったら気を遣う必要はないと判断し、また時には助けてあげなきゃならないとか思う。

たぶん、動物の世界でも同じような本能があるはず。

 

だから大人が子供に向かつて、昨晩眠れなくて体調が悪いからと言えば、子供は大目に見てくれたり、ときには助けてあげなきゃと同情すらしてくれるの。

純粋な子供ならではの反応を見せてくれるのです。

それで味をしめて子供を延々と適当に言いくるめて手名づけようとする大人がいるのです。

場の空気を読むのに長けている

 

弱っている自分をアピールするひとって、場の空気を読むのに長けています。

他者への気遣いが綿密で、場を盛り上げる話が上手かったりする。

言葉で人をコントロールし、わざとミスして笑いを誘ったり、悲しいエピソードで周囲の注意を引くのに長けているんです。

でも、話のバリエーションを毎回変えたとしても、やり方が一辺倒だとだんだんとまともな大人は気付き始めるものです。

これが、この人の作戦なのだと。

だから、コントロールし続けるのが可能なのは子供だけです。

その子供も成長し、ある年齢に達すれば気付いてしまうのです。

 

騙せないとわかるや、同情を引く

 

笑いや、悲しい逸話で注目を浴びたとしても、結局は子供だましに過ぎない。

大人、すなわち大学生以上あたりになれば人の本質を見抜く力がついています。

人当たりはいいけれど、嘘つきでやる事に筋が通っていない人。

愛想はないけど、実直で仲良くなれば心強い味方になる人。

こんなふうに人の本質を感じ取って、味方ととらえたり、騙さるものかと距離を置くようになるものです。

すると、残りの一手は心身の不調をうったえて同情を引くしかなくなるの。

本当にすべきことは、自分の上っ面のウソから脱却することです。

でも、ある年齢に達すると、もうそれが出来ない。

身体に染みついた長年の生き方を変えることができないんです。

だから、『泣いた赤鬼作戦』みたいなのにいつまでも取りつかれるの。

 

体調が悪いはオオカミ少年

 

大人相手に自分の都合よく騙すなんてできないのが普通です。

みんな普通に歳を重ねて行けば見抜けようになるものです。

だから、付き合いの多いひとから順番にオオカミ少年の烙印を押して離れていくんです。

「また、あんな事をいっているよ」

「無意識に口にでちゃうんだろうね」

「あんまり真に受けないようにしよう」等々。

 

厳しい社会的責任を背負った人間には通用しない

 

人間ってよっぽどの酷い目に遭わない限り、性善説だと思うんです。

とくに日本人は正直で親切だし、泥棒とか嫌いでしょ。

妙に明る過ぎない。

話にオチがなくても、普通に会話して満足できるし、友達もできる。

 

だから、いつも面白おかしくいエピソードなんていらないし、注目を集める必要もないんです。

面白い話を聞きたければテレビをつけてチャンネルをお笑い番組に合わせればいいの。

友達どうしは、ウチワウケでいい。

面白い話なんて無くて、ただの雑談で充分なんです。

ましてや、物事上手くいかない理由を敢えて言い訳する必要なんてないじゃない。

「実力不足でした」

「次はもっと頑張ります」

でいいじゃない。

 

他人に厳しすぎると自分の弱みを見せられなくなる

 

他人に厳しすぎる人って自分の弱みを見せたくないでしょ。

「自分だってできないくせに、他人にばかり厳しくして」と陰口を叩かれるのが分かるから、言い訳がましくなる。

 

これはロジックとしては正しいんです。

でも、弱みを見せない為には自分は絶対に失敗しない、と決めつけると自分の首を絞める事になる。

100%の成功確率を150%や200%に上げておかないと安心できなくなるからです。

すると、ここで今日は朝から頭痛が激しくて、、、、と失敗したときの予防線としてウソをつくようになる。

 

人に完璧を求めるなら、自分も完璧でなければならない、という心理です。

 

失敗したら自分も謝るという発想

 

でも、みんなで完璧を追及するのは普通のことなんです。

パーフェクトを目指して悪い事なんて無いんです。

だとしたら、自分を辛い立場に追い込まないためには、失敗したときは自分も謝ればいいのです。

間違えた時には進んで周りの助言を受ける。

どこがダメだったのかに謙虚に耳を貸す。

これができれば問題ないんです。

 

子供を適当な言葉で騙して己の面子を守るんじゃなく、子供と目線を合わせて過ごすようにすれば信頼されるんです。

大人だって完璧じゃないと教える事も大切でしょ。

なぜなら、完璧な大人を見て育ったがゆえ、弱っているをアピールして同情を引こうとする自分ができ上がってしまったのですから。

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