腰を手術した父親が入院して5カ月が経過し、順調に回復してきています。
おかげさまです。
でも、ここにきて母親の様子がどうもおかしい。
頭がボーっとする、と言いだしたの。
早速、病院でCTスキャンを撮ったけど何も異常なし。
ここでは自分の体調の不具合を連発していた母親の心理についに解説します。
ガンだと告白した母親
オレが小学校2年生の頃、母親は子供のオレに、
「お母さんは胃ガンだから、あと1年間くらいしか生きられないのよ」と言ったのです。
ある日突然、唐突に言ったわけじゃないんですよ。
身体のあちこちに痛みがあると毎日のように、オレに訴えてかけてきくる毎日だったんです。
その度に子供だったオレは「お母さん大丈夫?」って心配になっていたんです。
でも普段は心配でたまらない気持ちを半ば隠すかのように、普通に学校に通っていました。
二つ歳上の姉と同じ部屋で生活していたオレは、母親の体調不良が心配で、その気持ちが高まって嫌な夢をみるようになってきました。
具体的にどんな夢だったかは覚えていないのですが、、。
でも、その悪夢で夜中に目が覚め、寝ぼけるようにして両親の寝室に飛び込むようになったんでんす。
強烈なストレスに泣かされ
いま思い出すと母親から強烈なストレスを掛けられていたのだと思います。
でも、あの頃のオレにはストレスという概念が何なのかも分からなかったんです。
解決しない心配事に四六時中まとわりつかれている感じです。
学校では大好きな体育の授業で、みんなとドッジボールをしたりすると、一瞬だけ母親の体調不良を忘れられたのです。
ワイワイガヤガヤで盛り上がって、その時は100%明るい自分に戻るの。
でも、1日の授業が終わって、仲の良い友達とつるんで家路に着くと、またあの嫌な「お母さんねえ、胃が気持ち悪くて、朝から何も食べられないの」みたいな不調説明が胸いっぱいに広がってくるんです。
男の子はちょっとくらい辛くても我慢するものだ
たぶん誰かに言われたのでしょう。
「男の子は少しくらい辛くてもじっと我慢するんだ」と。
なんとなく、その気持ち頭に残っていて、母親の体調不良を聞かされて異様なほどの心配を胸いっぱいに抱えていても、誰にも辛いとは弱音を吐かなかったんです。
それが、なんとなく正しいように感じられていたんです。
胃ガンだと言われた冬の夜、来年の紅白歌合戦のテレビ中継の時は、母親はここにはいないんだなあ、と思ったんです。
手術や、抗がん治療なんて知識は子供にはありませんから、がんは不治の病という印象しか無かったのです。
鈍感な子ねえ
母親にとって子供の頃のオレの反応は、イマイチだったのでしょう。
心配な気持ちを押し殺して、平然としていたのが物足りなかったのかもしれません。
二歳年上の姉はドレイなタイプで母親にとっては論外でした。
「あたしには、病気の事は良くわならないかわ。病院行ったらいいじゃない」とでも言われたのでしょう。
体調不良で姉にまとわりついているのは見たことがありませんから。
ただ、その姉と比較すれば、まだオレの方が心配そうな仕草を見せたのだと推測します。
でも、悲しみ苦しみを我慢しているオレの反応をみて、母親は鈍感な子ねえ、と手応えの薄さを感じていたにちがいないのです。
毎日のように具合の悪さをうったえてきましたから。
その日も、母親はオレに言い寄ってきました。
「お母さんねえ、頭の奥の方がズキズキ痛いの。これ、なんだろうねえ。」
その時、いままで言いたかった事が、すっと口から飛び出したんです。
「そんなことお父さんに言えばいいじゃないか。僕に言われたって、何もできないし、ただ心配な気持ちに、なるだけだろう」と。
それ以来、母は黙りました。
具合が悪いとか、病気かもしれないとか、そういう事を口に出さなくなったのです。
オレの気持ちが分かったのかもしれません。(もちろん確認などしていませんが)
共感してほしかったのか
あれから数十年か経過しました。
オレの一言の後は、体調不良の愚痴をオレにこぼす事はなくなったのです。
徐々に年老いていった母親ですが、オレには滅多に体調がどうのこうのとこぼさなくなったのです。
オレに心配をかけてはいけないと悟ったのか、それとも言っても冷たくあしらわれると思ったのか、どちらかかはわかりません。
そして、父親が腰の手術で入院して5ヶ月が経過したある日、頭がボーッとすると姉にうったえてきたのです。
入院中の父親ばかりを、姉弟が気にかけているからなのかもしれません。
メンタルの疲労で軽い精神安定剤を処方されているのが原因だろうとオレは推測しています。
近くの町医者も、同じ意見で精神安定剤の種類を変えてくれたみたいです。
それでも、頭がボーッとするといっては、近くに嫁いだ姉を呼び出して話相手にしているみたいです。
女性と話すときは共感が大切だと言われます。
母親の病気話しは、共感を求めるための作戦だったのかと最近思うのです。
子供だったオレを相手に、ガンだと嘘をついてまでも共感してほしかったのかと思うのです。
我が子を心配性の性格に引きずり込んでしまったのにも気づかずに、自分に関わってほしいと考えていたのかもしれません。
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