自殺を止める力|死ぬ気になればなんだってできるは通用しない

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人を自殺に追い込む試練とはいかなるものでしょうか?

 返済不可能な多額の借金

治る見込みのない重篤な病気

家族を失った悲しみ

他人を殺めた後悔

余生を想像したときに感じる空虚さ

 

自業自得があれば、不条理なアンラッキー、不可抗力もあります。

人生ってしょせん平等なんかじゃないし、寿命を全うするつもりなら不公平をも許容範囲として心の準備をしなければならなんです。

 

ここでは死を選択せざるを得なかった悲しみについて考えてみます。

 

死ぬ気になれば何でもできる

 

「死ぬ気になれば何でもできる」って言いますね。

死ぬのが前提だからもはや何も恐れるものはない。

警察や自衛隊がきて身柄を確保されようが全然平気。焼くなり煮るなり好きなようにしろ、といきがるわけです。

 

でも、倉庫の奥からドラム缶でできた釜茹の刑の道具を一式引っ張り出してきたらビビるでしょ。

あっちーぞ!

すると、「頼む、武士の情けだ。助けてくれとは言わないよ。だから、ひとおもいにやっちまってくれよ」と懇願するに違いないんです。

やつぱり、ただ死ぬといっても辛い死に方とそうでないのがあって、やっぱり楽に死ねる方を選択するものなのです。

 

「死ぬ気になれば何でもできる」とはいうものの。釜茹でと比較した瞬間に、もう少し頑張ってみようかなあって気持ちがでてくるかもしれない。

 

万事休すのとき

 

「万事休す」と覚悟を決めた時、死を選択する。

ここで、死ぬ気になれば何でもできるじゃないか、とさとすわけですね。

「死ぬきで頑張れば、逆境を乗り越えられるかもしれないじゃないか。それでもダメなら死ねばいい。死のうと思えばいつだってしねるのだから、、、。」

 

死を覚悟するときの状態は人それぞれです。

返済不能な多額の借金を、自分の生命保険で帳消しにしようとする人は、おそらく多くの金融機関に頭を下げて回り自宅を担保に幾ら借り入れができるかを試算したのでしょう。

30年の木造家屋が担保じゃあ幾らにもならない。

それでも二束三文で売り飛ばし、あとひと月あたり50万円の返済を10年間続ければ借金は完済できる。

このシミュレーションで愕然となり、もう無理だとサジを投げて自分の生命保険での返済を考えた人に、死ぬ気で働けば何とかなる、という励ましは何の役にも立たないのです。

 

死ぬ気で何をすればいいのか、と問われれば、少なくとも「一生懸命働く」ではない。

銀行強盗、誘拐により身代金要求とか、人殺しの請負人になるとか、、、。

まともな努力を死ぬ気で貫いても不可能なのはわかったうえでの死の選択なんです。

 

心を突き刺す苦しみから逃れたいとき

 

「治る見込みのない重篤な病気」、「家族を失った悲しみ」、「他人を殺めた後悔」

このような悲しみに耐えられなくなって、こんなにもつらい日々を過ごすのなら、という意味の死の選択ですね。

死ぬ気になれば、と勢いをつけてみても、悲しみをいっときでも忘れさせてくれる代替的なものが思いつかない。

 

先ほどの銀行強盗くらい不謹慎になってしまえば、覚せい剤、大麻、危険度ラック等々がいっとき悲しみを忘れさせてくれるかもしれないよ、と無茶なアドバイスができるかもしれない。

 

一方では、ワーカーホリックの方がまだましで、目が覚めている間はずっと仕事をするの。

何も思い出せないくらい仕事に没頭して、顕在意識を仕事でいっぱいいつぱいにしてしまう。

これを続けていると本物の仕事依存症に陥りますね。

依存症だから、そえをせずにはいられないようになる。

死を回避するために狂気を選ぶ、っていう作戦なんです。

カルト宗教に救いを求めて、経済的に破綻するかもしれないけれどメンタルだけは救われた気持ちになれるかもしれない。

もしくは出家して、まっとうな仏の道に入る人もいるし、ボランティア活動に没頭したりして気持ちを紛らわす人もいます。、

先日ニュース番組で観ていて知ったのは、悲しみは決してなくならず、人間にできるのは悲しみに慣れる事だといういこと。酒も薬(ヤク)にも手を出さず、悲しみに正面から向かって、その悲しみに慣れていくという辛い方法です。

 

 

苦しいのはオマエだけじゃない、という説得

 

「苦しいのはオマエだけじゃない。もっ辛い思いをしている人はたくさんいるんだ。」

と説得を試みるケースもある。

責任感の強い勝気な性格の人を動かすには有効かもしれない。

「すべてを終わりにしたい気持ちは良く分かる。だが、オマエには生命が残っている。それを無駄にするのは罪なんだ。なんでも構わない、命が続く限りできる事があるだろう。死ぬのは命を使い切ってからじゃなきゃダメなんだ」

 

確かに人生は楽しむためにある、という名言があると同時に、辛い人生だってある。

命をロウソクに例えて、ともされた火がきえるまでどう生きるかは本人の自由。

だが結果が楽しくても、苦しくても、同じ人生で炎が消えるまで続けなければならない。

人生が不平等なのは、ここでも同じなのです。

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