「そんなに頑張らずに、上達の過程を楽しめばいいのに」
「そんな事言ってたらいつまで経っても上手くならないよ。俺はやるなら道を極めたいんだ」
頑張る事は悪い事じゃない。
スポーツやゲームだって上手い下手がいて、道を極めた『神』と呼ばれる存在が頂点に君臨していて、みんな尊敬の念で見ている。
でも、ストイックすぎると趣味のはずが、仕事になってしまうんです。
ここでは頑張り過ぎることによる弊害について解説させていただきます。
歌自慢か歌手に、野球自慢がプロに
村の歌自慢の女の子は将来を嘱望されていた。
透き通るような高音でビブラートを効かせたサビの部分に会場は波を打ったように静まり返る。
あの子は間違いなく東京に出て歌手になるべきだ。
そうなる運命でこの世に性を受けたんだ。
幼かった彼女もまんざらではなかった。中学校を卒業すると、東京の高校へと、進学していった。
音楽事務所に所属して歌のレッスンにも通った。
一発で売れると思っていた。
地元の人気が、そのまま東京でも通用すると信じてた。
まだまだ気持ちは浮ついていた。趣味の、延長が仕事に結びつくと。
気がつくと10年が経過していた。
ヒット曲はまだない。
これが、プロの世界なんだ。
どんな世界でもプロになると楽しさから辛さに以降する
ピアノでもバイオリンでも野球で、趣味として楽しんでいるうちはストレスの発散で体にいいんです。
思い切りやりたいときはやればいいし、休みたくなったら休めばいい。
でも仕事にしてしまうと全くの逆となるんです。
ストイックすぎる人は、ここで一流でなければプロとしては失格なのだと自分を追い詰めてしまう。
アマチュアからプロへの移行になみなみならぬ覚悟があるからだ。
ストイックな人の弱点とは
ストイックすぎる人の弱点は自分で自分の首を絞めてしまうところになる。
モチベーションを高く保ち、決めた事を最後までやり遂げる気持ちの強さがある。
が、人間はそんなロボチックなものではない。
ダメな面をさらけ出して人に甘えることもメンタルバランスでは必要なのです。
歯車が狂って、上手く事が運ばなくなったときに、サジを投げてバンザイしてしまう勇気があった方がいいんです。
「全然タメダメ、もうどうしようもないな」とお手上げ状態の無様な自分をさらし、誰か助けてくださいと女々しさを公衆の面前で見せつけるくらいでちょうどいいんです。
これができる人は楽になれるんです。
人生のペース配分なんて誰にもできないけど
自分が何歳まで生きるかさえわからないのだから、人生のペース配分なんてできっこないですよね。
ただ、時々立ち止まって、周囲を見回すことができないと視野狭窄になって思わぬ方向へと流されていくの。
“常にほどほどに頑張る”って年寄り臭くてつまらないでしょ。
頑張るときはやれるところまで120%頑張っててクタクタになると気持ちがスカッとするじゃない。
疲れたら休めばいいのだからペース配分なんて必要ないんです。
休む時はドカンと休めばいいんです。
やりたくないときはボチボチやればいいし、やっているふりをして怠けて立ったいいんです。
80%くらいの負荷で延々頑張り続けるとエネルギーが枯渇してくる。
でも、まだ頑張れるような気もするんです。
それで気が付いたらうつ病になっていたりするの。
メリハリなんてカッコつけないようがいいよ
“メリハリをつけて”っていうのとはちょっと違うんです。
メリハリって優等生っぽくてオレは好きじゃないですよ。
もっと、だらしなくていいの。
サボったり、怠けたり、慌ててとりつくろったり。
そういうドタバタでいいんです。
今は休み時間、今はガンバル時間っていう大枠は決まっていいけれど、それにこだわり過ぎると休みたいときに休めないの。
他人に迷惑をかけてしまう状況なら大枠にはこだわるべきだけど、自分個人ならラフにしておいた方がメンタル的にも楽なんですよね。
土俵際での粘り強さはメリハリをベースにしたストイックさよりも、その場その場でのらりくらり修羅場をくぐり抜ける図太さなんです。
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