目には見えない負のスパイラルに陥ったときアナタならどうする

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思い通りにものごと進まないと嫌気がさしてくるものですね。

やる事、なす事全部裏目にでると、自分が不幸に思えてくる。

そんな逆境のときこそ人間性が問われるんです。

ここでは、負のスパイラルに陥ったときに、人間がどんな反応を起こすかについて考えてゆきます。

  

目に見えない負のスパイラルで自分が信じられない

 

「もう、私、自分が信じられない」と悲痛な気持ちを表現する人がいます。

“自分で自分が信じられなくてどうするんだ”って思うけど、実際には本人は自信が無くなってきている状態なんですね。

やる事、やる事すべてが裏目にでると、不安になってきて、ついには自己不信に陥るでしょ。

 

うむっ、なんかおかしいぞ、自分の判断が世間とズレているのかもしれないぞ、と潜在意識が自分の脳みそを疑い始めるわけ。

失敗の原因は自分の判断にあるけど、具体的にどこなのかが分からない状況です。

だから、もしかして脳に甚大な欠陥があるのでは、って思えてきたりするものなんです。

 

でも、これがいちばん適切な反応で、修正しやすいの。

自分が信じられないと自暴自棄になったとしても、暫くすれば落ち着いてくるはずなんです。

冷静になったときに考え方に修正をかけるだけですから。

 

大きな成功を収めるためには、その前段として幾つもの失敗を繰り返して、それらを肥やしにして一段上に上がる。

だから上手くいかないのが連続したって構わないんです。失敗を自分が至らないからだと考えるのも次へのステップなんです。

 

自分に自信がなくなったときは、正解(みんなから指示される意見)をじっくり見て、自分の中でしっくりくるかどうかです。もともと、間違えた回答を出していたわけだからすぐには、しっくりこないのは当たり前ですね。

それでも、“ああなるほど、みんなはそういう考え方をするのか”と納得できれば問題ないんです。

自分が、多数派の意見を理解できたという事ですから。

 

目に見えない邪悪なものに憑りつかれている

 

ところが、変な勘繰りをする人もいますね。

 

オレを邪魔する陰の圧力がうごいている

誰かにハメられた

邪悪なものに憑りつかれている

周りはすべて人間の恰好をした宇宙人にちがいない

 

若干、飛躍気味なインスピレーションもありますけど、こん被害妄想的な考えが浮かんでくるとちょっとヤバイ。

自分の努力が報われないとき、その原因を自分以外のせいにして身軽になろうとする。

失敗は自分の責任ではないと言い張る。

 

自分を敵視する者が妨害工作や嫌がらせをしていると考えたり、得体の知れない邪悪な存在が負の方向へと引きずり込もうとしていると感じたりするんです。

  

なぜ自分の非を認められないのか

 

自分の非を認められない人の特徴は自尊心が低いことにあります。

怖くて非を認められないの。

“自分は常に正しい!”って繰り返し自分に言い聞かせていないと落ち着いていられないタイプの人です。

 

一見、自分に非がないと主張する人の方が自尊心が高いように見えますね。でも、実際には逆なんです。

自尊心が高いからこそ間違いを認める事が出来るんです。

自分のミスなら、潔く認めて少しでも早く正しい方向へと自分を導く、という自分自身への自信がある。

自力があると自分自身でわかっているから、その時々のミスなんてあっさり認めて受け入れてしまう。それで自分をより高めるという正しい思考回路です。

 

目に見えないところに原因を求める

 

目に見えないところに原因があると言い出すと、深みにハマって危険なんです。

都市伝説を語ったいるうちはいいけど、新興宗教がかってくるとヤバイ。

 

確かに目に見えないからといって、その存在を否定することはできませんよね。

見たことがないから信じない、なんて非科学的ですね。

 

呪い、幽霊、魂、オーラ、パワースポット、超能力、宇宙人、神様、、、、はともかくとして、磁力、引力、重力、放射線、、、は存在している。

今は見えないけれど、科学の進歩とともに実在を証明できるかもしれない、と言われると返す言葉がないですね。

 

万物を司る全知全能と輪廻転生

 

目視できないものを都合よく利用したって、“嘘も方便”の範疇なら罪はないですね。

 

人間なんて弱い存在だから、頼りがいのある全知全能の神があったら心強いよね、とか。

死の不安を取り除くために輪廻転生説を掲げて、魂の存在を主張してもいいんじゃないの、とか。

目に見えないからこそ絶大なパワーを発揮します。無限の強さみたいな迫力がみなぎってくるの。

生きる上で道徳心を忘れぬための、偶像に何百年、何千年も手を合わせて拝んだりする。

でも、いい意味で“見えない物への敬意”は道徳心を高める。

 

でも真実はわからないんです。

「俺はこの目で確かに見た」という勘違いもある。

見たと思い込みたい気持ちが、真実だと脳に刷り込んでいることもある。

 

自尊心が完璧に出来上がっている人ばかりじゃないですよね。

自分に自信が無いときだってある。

だから、とりあえず自分への時間稼ぎで目に見えない物のせいにしちゃってもいいじゃないですか。

 

真実は誰にも分らないのを承知で、いまは自分に非がないと思うほうが楽だと思ったら神でも魂でも信じればいいんです。

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