無神経な奴にズケズケと失敗や欠点を指摘されたり、言われたくない秘め事を指摘されて心が傷つくことがあります。
忘れかけていたずっと昔の汚点を突然指摘されて愕然とし、自分をまた責める始めて、負のスパイラルへと突入していってしまう。
自己愛が強すぎるから、ささいな事でハートがシクシク涙を流すのだ、とバカにされるケースもある。
自尊心が確立できていないから、他人のたわごとでズダズダに切り裂かれてしまうんだ、と心の傷を悪化させられる事もあるんです。
ここでは心が傷つくとは何かを見つめ直して、ダメージを受けづらい柔軟な心の作り方について解説させて頂きます。
なぜ心が傷つくのか
タフガイの代表のような軍人ですら、戦地で生きるか死ぬかの体験をしたことでPTSDの症状に悩まされてしまうことがあるんです。
アメリカ陸軍の心身ともにゴリゴリの軍人がアフガニスタンから帰国して間もなくPTSDの症状で苦しみだした。
戦地での銃撃戦や爆撃の光景がフラッシュバックしてきてパニッウ障害やうつ病へと誘発していくんです。
これはかなり強烈な例ですが、実際にアメリカでは社会問題となっていますね。
傷つくとは外部の刺激への反応
“心が傷つく”とは外部からの刺激に対して、自分の性質が反応したときの結果なんです。
刺激の質や強弱に、その人に備わった心の持ち様が反応したアウトプットですね。
だから人によって様々です。
でも、刺激が弱ければ押しなべて傷つくほどの反応にはならない。
外部からの刺激を弱めるように生きる人種
外部からの刺激をコントロールすることなんてできない、って思うでしょ。
それがある程度までは現実問題、可能で、実際に無意識のうちにやっている人って多いんですよ。
周りの人に喧嘩を売らない
過激な発言をせず分をわきまえる
敵を作らない
本音と建て前を巧みに使い分ける
八方美人で誰にでも適度に合わせる
言われてみると、これに近い生き方をしているなあと感じる部分があるでしょ。
誤解を避ける意味で先に言っておきますけど、これって悪い事じゃないんですよ。
ほどよい程度にこれらを自分の生き方にまぶせる事ができるのが、大人なんです。
それが奇人変人に見えないようにちょうどいい感じに自分の考えを抑えられるのが、“場の空気を読む”とか“相手の心情を鑑みる”とかいう事なんです。
これと反対なのは;
出る杭は打たれる
攻撃は最大の暴挙的な生き方
太く短く
過度なマイペース
傷つかぬように自分をマインドコントロールする
周囲からの反応が鋭くならないように自分を抑制するのとは若干趣をことにする方法があります。
“傷つくのが嫌だから自分自身をマインドコントロールする”っていうやり方。
いっときハウツウ本の『鈍感力』がベストセラーになりましたね。
あの、鈍感力を発揮して受け流してしまうわけです。
「真に受けたって仕方ないじゃない、笑って受け流せばいいの」、「反省ばかりして暮らしていたって人生損なだけ」って心の中で自分に言い聞かせるんです。
いちいち真剣にとらえずに、上手い具合に受け流す練習をしていくんです。
受け流し方としては、大声で笑って聞きたくない批判や文句をシャットアウトしてしまうんです。
「だから何なんだ!ばかばかしい」って相手にしないんです。
傷つく理由をしっかり理解する
それでもショックが癒えないことってあります。
心の底から信じていたからこそ、気持ちの落差が大きいってケースです。
見ず知らずの人から何かの拍子に小バカにされたり、無視されたって単純に腹が立つだけで心に傷なんて負わないでしょ。
でも信頼していた人が裏で悪口言っているって知ったらショックじゃないですか。
こういうのが心に傷を残すんです。
人間不信になったりするの。
親切をあだで返された、騙された
親友だと信頼していたのに裏切られた、陰口を言われた
こういう理由から目を逸らさないで真正面から受け止めるんです。
しっかりと頭で原因と結果(心が傷ついた)を整理するのは辛い事です。
でも、それをやらないとモヤモヤ感が晴れないんです。
多少時間がかかっても気持ちは落ち着いてくるし、心の傷も癒えてくるんですよ。
心の傷を晴らすポイント
まず傷つきやすい性格であることを理解する必要があります。
本来、傷つきづらいはずなのに、メンタルがやられたとしたら、それは別の意味で大きな問題。
冒頭のタフガイのPTSD的症状の可能性が高いですね。
その場合は専門医の治療を受けるしかないから覚悟しないとダメ。
でも、普段から傷つきやすくて、すぐに気持ちが落ち込むようだったとしたら、その原因を自己の性格と照らし合わせ理解しておくのべきですね。
傷つきやすいのは刺激の強い意見を突きつけられる経験がすくなかったから
ヒントとしては(よくありがちなパターン);
親からも叱られた事がない箱入り娘である事を認識する
いつも良い子を演じてきて、上位者を盾にして生きてきた
意見の衝突を避けて、平和主義をモットーにしてきた
自分が折れれば、口論にならずにすむと事なかれ主義を貫いてきた
多数派に着くことで、自分が矢面に立って意見を発信しないで済むポジションを確保してきた。
ひとことで言いうと、口論慣れしていないからなんです。
ただでさえ日本人は空気感を読みながら、互いの面子がそれなりに保てるところで妥協しようとするでしょ。
相手の意見に反対し、徹底的に潰しにかかることってそんなにしないですね。
そんな社会環境の中にあって、さらに自分の意見を控えてきたら、そりゃー打たれ弱くなるのは当たり前、と自分に言い聞かせる事が必要です。
自分と他人の意見の食い違いは当たり前
他人と意見が食い違うのはあたり前だと腹を括る必要があるんです。
でも食い違いにスポットライトを当てずに、あえて共感部分を前面にだそうとするの。
単一民族の日本人は“推して知るべし”の精神からバランス感覚を大切にするんです。
論争への発展を避けようと、“なあなあ”でその場を終わらせるのに慣れてしまってる。
その慣れを利用して、普通なら口にしないようなストレートな物言いで、歯に衣を着せぬ無遠慮な言葉でズバッと突き刺してくるから、心が傷つくんです。
まとめ
心が傷つくとは、外部からの刺激への反応なんです。
その刺激が微弱であれば心が傷つくことなどめったにない。
それでも、生まれ育った環境から傷つきやすい性格が形成されることがある。
鈍感力で乗り切るのが一案で、言われた事を真に受けない。
一方で、信じていた人から裏切られた時に、深く傷つくことがある。
これを事実として受け止めないと、あとあとまで傷が疼くんです。
日本人が口論慣れしていない事実がある。
互いの欠点を言い合って潰しあうのではなく、ほどよい所で妥協してしまうのが普通となっているのです。
ただ、それを逆に利用して、歯に衣を着せぬ物言いでこっちの心を抉ってくる人間もいる。
そんな攻撃の仕方があることも知っておくべきなんです。
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