必要とされたい人って自尊心が悲鳴を上げている

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必要とされる人間になりたい。

頼りにされる人間になりたい。

 

サラリーマンをやっていると、こんなふうに感じる事があります。

確かに給料をもらって家族を養うっていう立派な役割を担っている。

卑下する必要なんて全然ないの。

 

でも、それだけじゃ物足りなく感じる時があるんです。

同僚や後輩に先を越された時、俺って何やってんの?って思うでしょ。

勝ち組、負け組みたいのが頭をよぎるじゃない。

そんな時、もっと生きている手応えが欲しいです。

 

ここでは必要とされる人間になりたいと感じる心のからくりについて解説してゆきます。

 

必要とされる人間とは

 

あの問題については彼に聞け、という専門知識を持っている人物。

ヤバイ事態に巻き込まれたときには奴に頼るのがいちばんだ、というという問題解決能力の高い奴。

癒されたいなら彼女に相談するといいよ、という癒し系の女神。

会議でも飲み会でも、その場の雰囲気を盛り上げたいなら彼を呼ぶべきだよ、とどんな話題にも斬新な角度から踏み込んでくる機転の利く情報通。

 

たぶんこんなような人物になりたいと考えているのでしょうね。

上記のキャラクターとて毎日、必要とされているわけじゃないけど、そういう目で見られている事が自尊心を満足させる。

欠かせない存在との違い

 

欠かせない存在という位置づけだったら、子供にとっての親の存在、学校の先生、親しい友人等々、いろいろある。

でも、それだと平凡過ぎて自分を認める気持ちになれないんです。

もっと特別なスキルや特殊技能があって、周囲から一目置かれる人物でありたいと感じているわけです。

自分で自分を偉い存在だと感じていたいんです。

裏を返せば、今のままの自分は価値が低く、尊敬に値しないという思いが生きる根底に流れているということなんです。

人から褒められ、認められた事が無いのが原因

 

褒められて伸びる人も、叱られて伸びる人も、成功体験によって自尊心を高めていくものですね。

叱られて悔しい思いをして、それがバネなって懸命な努力へと発展していくわけです。

結果、「よく頑張ったな」と叱りつけた相手が一声かけてくれる。

これが認めてくれた証になるんです。

これで良かったんだと、自分を認める事に繋がるんです。

 

人との交流の中で認められた経験が生きる自信になり、辛いときでも踏ん張れるメンタル力になる。

“必要とされる人”に固執などしなくなるんです。

 

 好かれようとして良い子になるな、媚びるな

 

好かれようとして良い子になる子供。

上司に媚びて点数稼ぎをする部下。

横暴な彼氏の言うとおりに何でもやってあげる尽くす女(彼女)。

 

こんなふうにして自分の居場所を確保する人がいます。

いつの間にか無意識に、そんな存在へと自分を流し込んで“必要とされる人”を形成してしまっているの。

でも実際には、利用されている場合が多いんです。

 

わざと良い子を演じる“ませたガキ”を好む大人なんていないでしょ。

気持ちの悪いガキだぜ、って思いながらも良い子は何かと使い勝手がいいんですよ。

媚びる部下を適当に優遇して顎で使う上司もたくさんいる。

業務命令だと言えば、尻尾を振って何でもするから都合がいい。

要らなくなったらいつでも切ればいいって思っている。

浮気をしても気付かない振りをして、尽くしてくれる女なんてそうそういないから敢えて別れる必要なんてないじゃん、っていうクズ男も幾らでもいる。

 

“卑屈なオマエが大嫌いだけど、利用したいんだ”って思っているんです。

“良い子”も“点数稼ぎの部下”も“尽くす女”も、遅かれ早かれ自尊心が満たされない事に気付く。

そして、特徴のある人間になって必要とされようと頭を抱えるんです。

専門分野の確立をするか、問題解決能力を身に付けるか、他人を癒せるスキルを習得しようか、、、と。

 

頑張ってスキルをみにつけても底なし沼

 

頑張ってあるスキルを身に付けて、必要ある時に声がかかる存在になったとしても、心の底にあるもの悲しさやある種の不安は払拭できないんです。

ビジネスで大成功して大金持ちになったら一生安泰、と思いつつ心の中の不安は消えないんです。

何をしても癒されない底なし沼なんです。

 

人間って、それまで生きてきた過程で幼年期、少年期、思春期、青年期にその適度、年齢に見合った承認や共感があってはじめて健全な精神が形成されるんです。

あとになってから“ハイ全部まとめてこれならどうだ!”と万札の束をテーブルに山積しても効き目はないの。

心に浸透しないんです。

幼年期に親から捨てられた子供は、その寂しさを一生引きずるでしょ。

後になって捨てた親と再会して仲直りしたとしても、幼い頃に感じた虚しさ悲しさは消えない。

絶妙のタイミングで孤児院の優しい先生がお母さん代わりになって埋めてくれていれば、その子は本当にラッキーなんです。

 

必要とされなくても気にしないメキシコ人

 

“遊び仲間ならいいけど、一緒に仕事はしたくない”って5年くらい前にメキシコ人と一緒に仕事をして思ったんです。

彼はとてもフレンドリーで陽気でいい人なの。

だから一緒に酒を飲んだり、食事をするのはとても楽しいんです。

でも仕事はダメ。

ルーズなんです。

約束の時間も大雑把だし、品質検査の報告書の数値も当てにならないし、アウトプットの±が大きすぎて仕事面では信用できない。

 

でもメキシコ人にそれを指摘してもほとんどの人が直らないの。

「こんなにいい加減な仕事していたら、誰も信用してくれないよ。必要とされないよ」って注意してもダメ。

かれらの自尊心はもっと別のところにある

時間ピッタリなんてメキシコ人の価値観には含まれていないし、品質検査の報告書なんてそれなりに記載しておけばいい程度のものなのかもしれない。

友達がたくさんいるとか、人見知りせずに誰とでも気兼ねなくおしゃべりできるとか、人生を楽しんでいるとか、そういう事が出来ている人が素晴らしい人なんです。

仕事で眉間に皺を寄せて毎晩遅くまでPCに向かい、パーティーにも参加せずに、家族や友達との時間を大切にできない人など価値がない、と思っているんでしょう。

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