全てがつながっていると思うと怖気づいてしまう|因果応報なんて無視でいい

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あんなに良くしてもらって、文句を言ったらバチがあたる。

こんなに豪華なご馳走頂いて、口に合わないなんて言ったらバチがあたる。

なに不自由ない生活をさせてもらって、不幸せだなんて思ったらバチがあたる。

 

こんなふうに考えるおばあちゃん、おじいちゃんは昔は多かったみたいですね。

 

因果応報って仏教の言葉で、行いによってそれにふさわしい報いが表れる事を言います。

デジタルチックに言うなら、インプットとアウトプットのことで、良くしてもらったら感謝しなきゃいけないって事なんです

 

ここでは、因果応報に対してどの程度、心を寄せるべきかについて検証してゆきます。

 

全てがつながっていると怖くなる

 

“神は全てお見通し”みたいに思っていると、なんだか怖くなって、怖気づいてきて何もできなくなるんです。

悪い事はもちろん、本音すら口に出せなくなるの。

冒頭で挙げた三つの例があるでしょ。  

良くしてもらっても、豪華なご馳走を頂いても、不自由ない暮らしをしていても、文句を言いたい時は言ったらいいんです。

超高級な大トロを出されたって、生ものが嫌いな人もいれば、あっさりした鯛とカッパ巻の方が美味いと思う人いるでしょ。

それで文句いって当たった人なんて見たことない。

不自由ない生活にも満足がいかないから進歩があるんです。

因果応報って時差がある

 

植物の種を植えたあと、発芽して開花するまでに時間がかかる。

これって因果応報の時差なんです。

我が子を立派に育て、ようやく子離れした。

さて、育児というインプットに対してのアウトプットはいつになるのか?

結婚して子供を育て、人さまに迷惑をかけない人生を全うしたとき、すなわち何事も無くあの世に旅立ったときなのか。

が、両親による子育てだけがその子の人生にインパクトを当たるわけじゃないでしょ。

限りない要素で、その人の人生って左右される。

 

つまりは、人生全体を見渡したときの因果応報をて気にしていたって人間の頭で列挙できるインパクトの要因(インプット)なんてたかが知れているんです。

因果応報なんてあって無いようなものなんです。

 

最後には前世をも持ち出しかねない

 

台風、地震なんかの自然災害で苦しい生活を強いられる人がいます。

不可抗力で何も悪い事をしたわけじゃないのに、家族を失い、家を失い、職をも失ってしまった。

よりにもよって、あんな真面目で誰にでも親切な人が不幸のどん底に突き落とされるなんて神も仏もあったもんじゃない、ってみんなが思うわけです。

 

すると因果応報を全面的に支持するカルト宗教の幹部がでてきて、もっともらしい顔をして言うんです。

「アナタの前世に問題があったのですよ」と。

 

こんなの有り??って思うでしょ

前世もコミコミの因果応報なんて許せないでしょ。

 

因果応報の反対語って

 

運否天賦(うんぴてんぶ)っていうのが因果応報の反対語ではいちばんアカデミックな表現です。

もっと下世話に言うと、“とばっちり”とか“流れ弾に当たる”って感じ。

こっちの方がしっくりしますね。

 

因果応報と“とばっちり”ってどっちの確率が高いか

 

「理不尽な世の中ですけど、お互い頑張りましょう」が日本人が割とすきなフレーズです。

「やれば、やっただけのことはありますなあ、ワッハハハハ」って少ないでしょ。

 

会社の業績が悪いから2000人リストラとか言われて、30年近く忠誠をちかった開始やから強引に首を斬られる世の中じゃないですか。

30年寄り添った古女房から、定年退職と同時に離婚を言い渡される。

一家の財産はいつの間にか女房の名義にあっていて、自分の普通預金には30万円くらいしか残されていないとか

 

こんな状況でも、案外日本人って頑張って生き延びるの。

物騒な騒ぎを起こすことなく、つつましく生き続けるんです。

因果応報なんて自分には皆無なのに、それでも「そんなこと言ったらバチがあたるよ」っているんです。

とばっちりを受け入れるのは心が広いのか、不幸慣れしているのか

 

“インプットの詰めが甘いから、それに見合う結果が得られないんだ”と反論されると返す言葉もないんですが、、、。

でも、かなり公平な目で見て、日本人って不平等とか不条理を冷静に受け止める国民ですよね。

極端なクレーマーとかも少ないし、デモ行進で政府や勤め先の会社に異議申し立てとかしないでしょ。

たぶん正直が根底にあって、相手だって悪気があったわけじゃないだろうし、って寛大な心で許す。

誰にも責任は無いっていう、不幸に慣れているんです。

 

因果応報なんて気にする必要ないんだ

 

こう考えると、因果応報を気にするあまりビクビク生きるよりも、法律が許す範囲内で生きる分には問題ないんだ、と考えた方がいいの。

犯罪を犯したら、その罰をうけるのは当然。

でも、“我がまま”とか“自己中心的”とか“忙しくて人に八つ当たりをしてしまった”くらいは世の中の許容範囲なんです。

存在するかしないかわからない神様のさじ加減にビクビクしてても仕方ないでしょ。

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