ストレスがないと腑抜けになると言われますね。
ボーッとまる一日何もせずにいる。
気持ちを奮い立たせるスパイシーなストレスが人間には必要なんです。
“よっしゃ、やったるでー”
と
“またかよー、勘弁してくれよ”
のストレス違いには何が隠されているのか。
何が違うのか、どこに違いがあるのか。
そこを見抜くことから、自分を守る秘訣が如実に見えてくるのです。
モチベーションを上げるストレスが良いとは限らない
ご褒美がもらえる挑戦ってよくあるでしょ。
これが出来たら、欲しい物を買ってあげる、と親にそそのかされて子供の頃勉強をしませんでしたか?
親もちょうどいい難易度を見計らっているから、必ずしも子供は欲しい物がゲットできるわけじゃない。
できたり、できなかったりなんです。
でも、連敗が続くと子供の方は嫌になる。
「この問題ができたら好きな物を買ってあげるよ」がストレスになってくる。
半ば、負け犬根性に染まりかかった子供にとっては、モチベーションを上げるどころか、聞きたくもない提案なんです。
長嶋茂雄さんが、“ストレスを楽しむ”と言っていたのは連敗が無かったから。
勝負に勝てる人だったから、ストレスを楽しめわけなんですよ。
勝てない勝負を繰り返していると、心が押しつぶされてしまうんです。
一方で、適度な勝率がキープできれば(野球の打率で3割前後)はストレスはモチベーションとして機能してくれるの。
だからモチベーションを上げるためのストレスは上手に使わないと効果がないんです。
急な変化は心を切り裂くストレスとなる
人間は現状維持の生き物だから、突然大きな変化を強いられるとストレスを感じるんです。
自分にとってウエルカムな変化でも同じなんですよ。
大抜擢で突然、重要なポストに就いたとしたら、それまでの努力が報われたと感じて、すごく嬉しいでしょ。
でも、その次に襲ってくるのが変化によるストレスなんです。
この変化にどう対処したらいいのかで頭がいっぱいになる。
大抜擢はいいけれど、今までと何の接点もない仕事を任されても、どう対処したらいいかわからない。
下手をするとこれで、うつ病に叩き込まれる人もいますからね。
大好きな彼女と結婚して所帯を持った。
二人だけの新生活が始まったのは嬉しいけど、どこか落ち着かない。
思ってもみなかつた価値観の違いなんかが露呈してきて、嬉しいはずの新婚生活がストレスに感じられることって少なくないんです。
帰宅拒否に陥るひとだっているんです。
これは、じっくりと耐え、慣れていくしかないんですけどね。
矢継ぎ早に襲ってくる難題と、何が来るかわからない不安感が心を押しつぶす
新入社員として一流企業に就職が決まったりすると、たっぷり時間をかけて新入社員を育成する会社と、いきなりプレッシャーをかけてくる会社があるんです。
後者は、新人の特性を見るための会社側の作戦で、矢継ぎ早に難題を吹っ掛けてどう対処するかを見るんです。
難題といいながら、徐々に傾向が見えてきたと思ったあたりで、突然、毛色の違う問題に切り替えるの。
何が来るかわからない不安感を与えて、機転を試すんです。
これって息の抜けないストレスです。
緊張感で視野が狭くなっています。
出された難問に全神経を集中させているから、自分の心身の疲れなんかはどこかに飛んでしまっている。
このストレスを一定期間以上続けると、ふっと正常に戻ったとき燃え尽きているんです。
ストレスの重圧にずっと耐えながら戦っていると、その反動として心身が動かなくなる。
PTSDやうつ病になるケースも少なくない。
極度な過労も同様で、本人の気がつかないところで心をむしばむ。
この仕事も、あの仕事も自分責任だ、って思い詰めるタイプはヤバイんです。
「少しだけ気晴らしして、それから続きを」っていう発想がないの。
気晴らしなんかしているなら、少しでも仕事を前にすすめなければ、っていいながらどんどんお自分の首を絞めていくんです。
このタイプの人って、自分の都合のいいように解釈してストレスを逃がすことができないんです。
「この仕事は基本、2日以内に終わらせてワタシのところに提出するように!」と言われたら、2日以内になんとしてでも終わらせようとするの。
上司の中には、この“基本”という抽象的な言葉が大好きな人がいる。
“例外なく”と言ってくれれば、全員がどんな事情があろうとも、と解釈するでしょ。でも、“基本”なら、“よんどころ無い理由があれば”ってことになる。
でも、この中途半端な表現が、一部の真面目過ぎる人の首を真綿で絞める結果になるの。
中途半端を上手う利用できる人、利用できない人によってストレスのかかり具合がかわってくるんです。
ストレスは逃がし方ひとつでどうにでもなる
ストレスには善玉と悪玉がある。
腸内菌と同じように体にいいものと悪い物。
逃がし方ひとつで、善にも悪に変わるんです。
逃がすのは量と質。
質の場合は難易度の上限と言う意味なんです。
注意点は体調とのバランス。
体調が良い時は量が多くても、質が高くても(難しくても)問題ない。
逆に体調がわるいときは、量は少なめで、難易度は低め。
量と質のコントロールの仕方
仕事でも勉強でも、上司や教師から命ぜられたとき、量が多すぎるとか難しすぎると半ば反論めいた意見を言えないとコントロールなんてできないですよね。
でもストレスを抱え込みやすい人って、もともと反論したり、文句を言ったりできない性格なんです。
逆に考えると、それが言えないのに付け込まれている可能性も高いんです。
前述の、新入社員の教育でいきなりストレスをかけてくるのは悪意があるわけでないのだから仕方ないと諦める。
でも、そうでない場合は自分の許容量を意識するようにするの。
ストレスを感じる量かどうか。
難しすぎないかどうか。
今までは自分の許容量が分かっていなかったから、バランスが悪すぎたんです。
でも、バランスの悪さを自覚できていなかったの。
我が身にムチを打って、前に進んできたわけです。
その結果がストレスとなって心を病ませてきたの。
許容量からかけ離れている場合はどうするか
許容量を知らなければ、話にならないんです。
ただ仕事にもて遊ばれるだけ。
自分の許容量をしれば、心の準備ができるようになるの。
今日は少し多めだとか、相当多いぞとか。
難しいなとか。
これが分かれば、あとは腹をくくって訴えかけるだけなんです。
厳しいかもしれないけど、許容範囲が分かったあとは、自分から動くしかない。
それは本人の責任で、他人に頼ってはいけない事なの。
「これの量は1日では終えられません」とはっきり言えるようになる訓練するしかないんです。
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