そんな事して何が楽しい|狂気の精神構造を解き明かす

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脳が受け入れを拒否する犯罪がありますね。

拒否というよりも“わけわかんない!”って感じ。

“そんな事して何が楽しい!!”

理解できるまでに時間が掛かるんです。

 

オマエの右腕を叩き切って、オマエを産んだ母親に食わせて、ババアのケツからクソになって絞り出されるのを、オマエに見せてやるんだよ。

それを見るまではオマエは絶対に死なせない。

腕を失い、それがクソになっちまった喪失感を味合わせやりたかった。

こんなの聞かされたって、理解できないでしょ。

ここでは、ここでは、理解不能に近い狂気の犯行について解説さけて頂きます。

 

狂気の精神構造は責任能力なし

「刑法39条に刑事責任能力のない人は処罰の対象外とする。または、処罰を、軽減する」とあります。

もう一つ処罰を免除するのが少年法と、それより若年(14歳以下)の触法少年。
反省さえすれば一切罪には問わない。

 

責任能力が有るか無いかって話になると、精神病であるなら罪の有無の判断などしないというのが刑法 39条。

子供だからまだ善悪がわかってないから罪の有無の判断をしない、っていうのが少年法や触法少年。
精神病者と子供は罪人にはならないんです。

法律でこんな理由を認めているからあとあとヤバイことになる。

そんな事して何が楽しい|脳が受け入れ拒否する犯罪

 

発端は、

むしゃくしゃしてたから

思い通りにコントロールできなかったから

保険金が欲しかったから

苦しむのを見てみたかったから

喪失感を味合わせやりたかったから

正義の為だから

これが人格障害者の脳を通過しると、とたん変化するんです。

“思い通りにならなくて、むしゃくしゃしていたから”っていうのは、「何が思い通りにならなかったの、どれくらいアナタの希望とかけ離れていたの」っていう分析から入っていく。

 

思い通りにならいのは何?

どれくらいむしゃくしゃしてた?

 

封通の感覚なら「みんな大なり小なり“理不尽さ”や“悔しさ”と日々向き合って暮らしているよ。アナタだけが辛い目に遭っているんじゃないんだよ」って事になるでしょ。

 

それでも、まだブチブチ言っているから本腰入れてよくよく聞いてみると“こりゃあ、根性ひん曲がってもしかたがねえや”って判断の感覚が変わってくる。

 

「不幸はもうたっぷり味わったんです。

だからその埋め合わせに、仕返しするくらいいいじゃないですか。

だって幸運と不運はプラマイゼロじゃなきゃおかしいでしょ。」と犯人は主張するの。

 

耐えきれない不幸を味わい続けた結果が、あの犯行だったんだ、みたいに肯けちゃうこともある。

正義のために悪人を裁くのが民主民国家

 

 

法律で裁ききれないのが出てきたとき、事態は複雑怪奇になってくるんです。

法律で裁けないってことは、裏を返せば、確実には黒じゃないってことでしょ。

被害を被った当人にしてみれば、「アイツの魂胆は“真っ黒けのけ”」だとしても、被疑者の主張と弁護士の抗弁を聞くと、客観的にはウムーって感じな、わけよ。

でも、腹に据えかねた被害者は、頭に血が上って人格障害気質が爆発するんです。

 

ここで法律の網の目から逃れる悪党を見逃すわけにはいかない、とか言って魚屋のまな板みたい鮮血ドバドバながしながら、片っ端からバッサバッサ切りつけていくと逆恨みが引き起こして大量殺人となる。

毒を持って毒を制すとかのレベルを完全に超えちゃってるから、殺人マシンって週刊誌に書かれるの。

 

控訴して最高裁まで粘り強く争えばいいって考えもあるけど、人格障害者はそこまで待っていられるか、って気持ちになる。

人格障害は病気じゃないから殺人罪に問われて、確実に罰をうけることになるの。

 

ここがオレら小市民には理解できないところなんです。

 

 処罰をのがれるにしても、意味が全然違う

 

刑法39条で責任能力を免除してしまう人がいます。

例えば、二重人格の人がいて、普段温厚でお人好しの太郎が闇金融に騙された。その敵討ちに別人格の龍二がでてきた。凶暴な性格の龍二が闇金を刃渡り30センチの出刃包丁で惨殺。それでも龍二(太郎)は責任に問われないんです。

 

1996年のリチャードギア主演のアメリカ映画『真実の行方』がこのパターン。

 他にも、統合失調症の患者も妄想や幻聴で暴れ出して人殺しても、精神鑑定で責任能力なしとなれば無罪か減刑なんです。

連続幼女誘拐殺人で死刑執行された宮崎努は裁判で統合失調症を演じて減刑を狙ったけど、見事に見破られた。

 逆に弁護士が精神疾患の減刑作戦に出たものの、被疑者本人がそれを自ら否定して死刑判決を受け入れたのが植松聖(相模原津久井やまゆり園、大量の殺人事件)。

 

“精神の病気が犯罪を起こさせた”っていう理屈で罪の有無、軽重を問うわけです。

疾患なら治療して病気が治れば、反省もするだろうし再犯も防止できるという考えです。

 

でも実際には被害者の遺族としては全然納得できないんです。
“罪を憎んで人を憎まず”なんてそうそう受け入れられるものじゃないでしょ。

 

 2時間ドラマの殺人事件には人が受け入れられる人物背景が描かれているんです。
事件をひも解いていくと、最後に人情が滲んでくる。

 我が子のために殺さなせればならなかった、みたいな悲しい裏の事情ね。
被害者は殺されても仕方ないような人手なし。

これで視聴者は納得するんです。
脳がOKをだす。

 でも悪趣味と思われようが、いちばん興味深いのは脳が拒否する狂気の犯罪なんです。

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